04話:幻影畑


2024-08-14 20:07:35
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 眩しかった視界。無意識のうちに目を瞑って、かつ咄嗟に腕で遮っていたようだったけど、その動作が次第と不要になっていくのがよく分かった。
 僕は、意を決して目の前を邪魔しているそれら全ての行為を止める。ゆっくりと辺りが開けていった先に見えたのは、あからさまなほどに眩しかった光が少しずつ粒へと変わっていく姿。
 さっきまで僕の目に映っていたものなんていうのは無かったかのように辺りに広がっていくのは、僕の手のひらにおさまっているロデオと、何かを考えているとも呆けているとも取れるルシアン。それに、当たり前のように存在しているリベリオさんの部屋と静寂のみ。
 僕の目に見えた何かなんていうものは、もう何処にも存在していなかった。

「今のは……?」

 自然と、口からそんな言葉が零れていく。それに反応したのは、他でもなくロデオだった。

「この家の、記憶なの……」
「記憶?」
「でも……」

 彼の声が、段々と小さくなっていく。

「もう、なくなっちゃった……」

 その一言に、一体どれだけの思いが込められているのかは今の僕には分からない。ただ、ロデオの消沈具合からして、彼はこの家にかなり関係しているのではないかということだけはよく分かった。

「……ルシアンは見た?」
「ああまあ、うん……」

 僕と同じものが見えたのかどうなのか、何かを考えているようでいまいち歯切れの悪い返事を反してくるルシアンは、次に一言だけ言葉を漏らした。

「花畑ねぇ……」
「ルシアンは知ってる?」
「……いや、この近くにあるだなんて聞いたことないな。もう枯れてるだけなのかも知れないけど……」

「まあそれはそれとして」と前置きをしつつ、ルシアンは言葉を続ける。

「帰りに行ってみる? さっきのでなんとなく場所は分かったから」
「そう……だね」
「じゃ、さっさと行こうか。結構いい時間だから、あんまり長居は出来ないし」

 本当は、ルシアンに聞いても分からないようなことをもう少し沢山聞きたいんだけど、余りにも冷静ないつものルシアンがそこにはいたから、何となくタイミングが掴めないまま。

「お、おいら……」

 ゆっくりと、ロデオが声をあげた。

「行かないほうが、いいとおもう……」
「……どうして?」
「だって……」

 ルシアンの問いに、ロデオはすっかり黙ってしまう。

「まただんまり?」

 その様子を見て、呆れに似た溜め息がルシアンの口から漏れた。

「……じゃあ、ロデオくんとはここでお別れだね」
「え……?」
「ちょ、ちょっとルシアン?」
「またね、小さな妖精くん」

 それだけ言うと、誰の話を聞くこともせずその辺りに置かれたランタンだけ手にとって、僕をも置いて部屋から出ていってしまった。扉の絞まる閉まる尾とが音が、酷く耳につく。

「ルシアンってば……もう」

 いつものルシアンだと言われれば確かにそうだったかも知れないけど、やっぱりどこかおかしいというか、どこか不自然で僕には少し怒っているように見えた。いや、怒っているというのは語弊がある。僕が質問する一切の時間を与えなかった辺り、出来るだけ早くこの場所から去りたかったといった感じに見えた。
 どちらにしたって、別に置いていくことなんてないのに。

「……ルシアンはああ言ってるけど、ロデオはどうする?」
「うう……」

 ロデオは、眉を歪ませながらどうしようかといった様子で僕を見つめている。今にも涙が零れ落ちそうだったが、それよりも先に声をあげた。

「お、おいらも行くよお……!」
「分かった分かった、じゃあ早く行こうか。あれじゃ本当に置いてかれちゃうし」

 宥めるように、僕はロデオを胸まで寄せる。今にも枯れ果ててしまいそうな程に溢れている涙と、それに合わせてグズグズ言わせている鼻のお陰で、マフラーもそうだけど服が大変なことになっている。
 これは帰ったら全部洗わなきゃなあなどと苦笑いを浮かべながら、僕は誰かが閉めていった扉を再び開けた。


   ◇


「……あ、なんだいたの?」

 リベリオさんの部屋を出ると、すぐ横には腕組みをして壁にもたれ掛かっているルシアンの姿があった。

「鍵閉めても良かったなら、行ってたけどね」
「本当にされそうなのが怖いんだけど……」

 僕の次にルシアンが視界に入れたのは、恐らくロデオだったのだろう。ちらりと僕の手付近を視界に入れたのが分かった。

「……ま、いいか」
「なにが?」
「行くんでしょ、花畑。さっさと行くよ」
「あ、うん」

 明らかに何かを言いたげだったが、それに対する答えが返ってくることはない。足早に廊下を歩くルシアンを追って僕らがこの家を出ていくのには、そう時間はかからなかった。
 正門の扉をルシアンが閉める。僕が見ている景色の中には、見ているだけなのにどこか物静かなリベリオさんの家が聳えている。鍵が錠に触れた時に発する音を皮切りに、僕は名残惜しくも家に背を向けた。

「さっきの、なんだったんだろうね?」
「さあ……。あそこにあった文字? と、そこにいるロデオくんが鍵みたいだったけど。あの家に残ってた記憶ってやつじゃない?」

 名前が出たからなのか、いつの間にかマフラーの中に移動していたロデオが、ピクリと体を反応させるのが分かる。ルシアンのことをまじまじと見ているようだけれど、敢えてなのか何なのか、当の本人はその視線に答えることはしない。

「記憶って……そんなことってあり得るの?」
「貴族の持ってる力と、妖精くんの力を使ったのなら可能かもね。あれはうちのところの力じゃないし、大昔にリベリオさんがやったっていうのが、まあ一番辻褄も合うと思うけど」
「ふーん……」

 そうか、リベリオさんが貴族であるなら、貴族が持っているらしい不思議な力を使えばそれも可能なのかも知れない。と、危うく普通に流してしまいそうになったけど、ちょっと待った。

「……リベリオさんって貴族なの?」

 今のルシアンの言い方だと、まるでリベリオさんが貴族みたいじゃないか?彼が貴族だったなんて話、僕は一度も聞いたことがないのだけれど。

「公にはされてないけど、そういう風に聞いてるよ。俺は余り信じてなかったけど、あの感じだと本当みたいだね」

 どうしてこう、ルシアンは重要なことをさも日常会話かのように口にするのだろうか。やっぱり、貴族という肩書きに長く触れているとそうさせるのかも知れないけど、僕にはそれがよく分からない。僕だったらもっとはしゃぐと思うんだけど。

「そういえば、リベリオさんの素性とかって余り出てないけど、それって貴族だったってこととなにか関係あるの?」
「どうしてかは俺も知らないけど……。昔は今よりも貴族への当たりが強かったらしいから、そういうのもあるんじゃない?こんな街外れに住んでるくらいだし」
「そっか……」

 確かに、それはあるのかも知れない。今でこそ軟化しつつあるけど、昔は格差も大きかっただろうし、貴族が小説を書いているという部分だけ見ると確かに反感買いそうだし、素性不明で活動している方が何かと都合がよかったのだろう。
 僕みたいなイチ市民がこうしてルシアンと一緒に居ると言うのも、恐らくは今の時代だから出来ることであって、よっぽどの理由がない限り当時は無理だったんじゃないだろうか。

「……ところで、ロデオくんはどうしてついてきたの?行きたくないんじゃなかったの?」
「だ、だって……」

 突然話題に上がったからなのか、それとも言いたくないからなのか、ロデオはそれ以上言葉を続けることはしない。多分、どっちもなんだろうなと思うけど。

「ま、別に言いたくなかったら良いんだけどね」
「おいらが言っても、信じてくれないよ……」
「そうかな? というか、教えてくれないんじゃ信じるも何もないと思うんだけど」
「うう……」
「ま、まあまあ……。ルシアンちょっと冷たくない?」

 見かねた僕は、思わずふたりの間に入る。一番最初、ロデオと会ったときのルシアンはわりと優しかったような気がするんだけど、あれは僕の気のせいだったのだろうか。

「……別に、普通だけど」

 それだけ言うと、ルシアンは少しだけ息づいた。

「人のこと詮索するのは結構だけど、そっちは帰り道でしょ。こっちだよこっち」
「え? ああ……そうだったっけ」
「そういうところ、本当気を付けてよね。俺、またあの時みたいにアオイのこと探したくないから」
「は、はは……」

 呆れからなのか、ルシアンから再びため息が地面に落ちる。変わりに、心当たりがありすぎて一体いつのことを言っているのか分からない僕の口からは、言葉にならない笑いが自然と溢れていた。
 リベリオさんたちが歩いていた場所。木々が作った自然の陰りは、さっき僕らが見たそれと全く同じ。ある意味では当然かも知れないけど、見ることのないものを見てしまったからなのか、心なしか期待に胸を踊らせていた。ひとつ土を踏みしめていくたびに分かる、草の匂い。恐らくは、あと少しで目的の場所につくのだろうし、早く見てみたいという気持ちも当然ある。
 確かに、僕は期待しているのだ。リベリオさんの見たものを僕だって見てみたいし、何よりこんなところに花畑があるだなんて知らなかった。あの光景を見なければ、多分ここに来ることはなかっただろう。

「ここ……?」

 でも、それと同時に何処かで物案じていたのも確かだった。

「こんなところ、あったんだね……」

 そこには、当たり一面風に靡いている草原の姿があった。当然、と言うべきなのだろうけど、そこに花畑というモノは存在しない。これが時期的なものなのか、それとも既に枯れてしまったからなのかは分からない。出来れば前者であってほしいなとは思うけど、僕らが見た景色は何百年も前のことだから、それは難しいだろう。
 でも、頭の中では分かっているものの、それを目の前にしてしまうとやっぱり悲しいというか、寂しいというのが本音だ。

「ねえルシア――」

 言いながら、ルシアンがいたはずの場所に体を向けたはいいものの、どうしてか僕から少し離れた場所に足を進めていた。辺りを見回しているその様子は、まるで落とした何かを探しているようにも見える。

「……どうしたの?」
「ああいや、いないのかなって思って」
「何が?」
「さあ?」

 また、まただ。今日のルシアンは、どうもいつもより明言を避けているように見える。果たして、何がルシアンにストップをかけているのかは、僕には分からない。さあ? って、どうして僕が聞いてるのに疑問で返してくるのだろうか。これ以上言及してもきっと適当な答えでかわされるから聞かないけど、恐らくは、僕には分からない何かをルシアンはどこかで感じていたのだろう。

「――×××××!」

 でなければ、知らない誰かの声が風に混じって僕の耳に入ってくるだなんてこと、あるわけがないのだから。


   ◇


 もし本当に、かつてここが花畑だったのだとしたら。一度だけでいいからこの目で見てみたかったと、純粋にそう思った。だって、あんなに綺麗に僕の頭の中にその景色が映ってしまったのだから、そう思うのは突然だろうし、ある意味では必然だった。だから、という訳ではないのだけれど。

「×××××!」

 まるで、最初からそうなるであろうという予測を立てていたのではないかと思ってしまうくらいに、僕は躊躇することなく後ろを振り向いた。その先には、当たり前のように一面に広がっている色鮮やかな花畑と、ひとりの女性の姿。

「やっぱり×××××ね。私、あなたが来るのずっと待ってたの」

 その景色が、どうしてか僕の心を物憂げにさせた。
 ルシアンでもなくロデオでもなく、明らかに僕の知らない声。知らない名前。知らない景色。いや、花畑だけでいうなら、さっきリベリオさんの家で見たものとほぼ変わらないのだろう。でもそれだけじゃなかった。さっき見た数百年前の景色の中に、僕がいる。知らない女性がいる。それなのに、ルシアンとロデオがどこにもいない。さっきと同じ現象であるのなら、別にそれでも構わなかった。
 でも、彼女は明らかに僕を目を見て話している。僕を認識している。間に入る風が、どうにも鬱陶しい。そう感じてしまうほど、恐らく僕も、彼女のことを見つめていたのだろう。これが果たして驚いているからなのか、別の意味があったのか。分かる術なんてどこにもない。ただ、ひとつ分かることがあるとするなら。
 目の前にいる彼女が、僕という存在を待ちわびていたということだけだった。

「ねえ、すっごく綺麗でしょ?×××××が綺麗だって言ってくれたから、私頑張ったの」

 言いながら彼女は草を踏みしめ、さも当たり前のように近付いてきて僕の手をとる。彼女の気に圧されて体が勝手に後ずさるも、距離はすぐに縮まった。

「ちょ、ちょっと待って。僕はそんな名前じゃ……アオイって名前で――」
「アオイ……?」

 あどけない表情で首をかしげ、僕をじっと見つめたのはほんの数秒間。

「ふふ、おかしな名前ね」

 クスクスと、人間味のない笑い声が頭の中に響いた。

「だって、私が見えるってことはそういうことでしょ?」

 その言葉と、どこか妖しく狂喜に満ちている笑顔に、どうしてか心臓をそのまま掴まれているような感覚に陥っていく。
 それに言い様のない恐怖と背筋が凍るのを感じた僕は、誰かの手を咄嗟に弾き返していた。
 彼女はそれに一瞬だけ驚いた様子だったけど、弾かれた手を口元に寄せ、柔和な笑みを浮かべていく。

「……中々来てくれないから、忘れちゃったのかなって思ってたんだけど――」

 自分の鼓動が、酷く騒がしく辺りを蔓延する。
 他の誰の声も、風の音すらも耳に入ることはない。

「やっぱり、待ってて良かった」

 それなのに、彼女の声はやけに鮮明だった。

「あの、君の名前は……?」

 冷静に、無理矢理心を落ち着かせるようにして、僕は目の前にいる誰かの名前を問う。そうだ、だって僕は、この人のことを知らない。見たことがない。名前を聞いたところで分からないのだから、この後で人違いだと言わないといけない。そんな名前、僕は聞いたことがないと、そう口に出さないと駄目だ。
 彼女の口が、ゆっくりと動いていく。この時、果たして僕はどんな顔をしていたのだろう。鏡でもない限り見ることは叶わないけれど、でも恐らく、その名前を聞いて僕は驚愕していたんだと思う。

「アオイっ!」

 ただ、それが一体どうしてなのかという肝心な部分は分からないまま。

「……なに?」
「いや……。何か、いた?」

 僕の腕を力強く掴むルシアンが視界に入った。

「別に、何もいなかったよ」

 辺りを見回すと、そこにあるのは一面が草原の、元々は花畑があったのであろう場所。そして、この場所に足を踏み入れた僕とルシアンとロデオだけ。

「……なら、いいけど」

 それ以上のものなんて、僕の目には映っていなかった。

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