03話:記憶媒体


2024-08-14 20:05:20
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 無機質な扉をノックする音が、大きな廊下に控えめに響く。それは、目的の人物の耳に入ることは無かった。

「……リベリオ様?」

 いつものことではあるけれど、この家の主の声が一向に返ってこない。大方、深夜まで起きていたのだろうし、普段だったらこの時間に彼の部屋に入ることは余りないのだけれど、今日はその限りではない。

「入りますよ?」

 仕方なく、私は彼のいる部屋の扉を開けた。目の前にある作業机には、当然の様に姿はない。となると、残る場所はベットかソファしかないのだけれど……。

「にゃー」
「ああ、おはようクロード」

 猫のクロードの鳴き声が、足元から聞こえてくる。その黒い毛並みを撫でてくれと言わんばかりに顔を摺り寄せてくるのに合わせ、私は彼女の視線に出来るだけ近づくように一旦しゃがんだ。

「えっと……?」

 彼女の頭を撫でながら、元の目的である人物を目で探す。というより探すまでもないもだけれど、視界に入った彼の姿を見て、私はため息をついた。

「……またあんなところで寝て」

 クロードを抱きかかえ、彼のいる場所へと向かう。大方、いつものようにソファに身体を預けてそのまま眠りに着いたのだろう。テーブルと床には、乱雑に散らばった用紙と、恐らく資料として何度も読み返したのであろう本が大量に置かれていた。
 正直なところ、このま布団でもかけてそのまま出ていきたいところではあるけど、そうもいかない理由があった。

「リベリオ様、そろそろ起きないと時間が……」
「んー……?」
「今日は、皆さんで出掛ける予定じゃないですか。私、一週間前からずっと言ってますよね?」
「……うん」

 たった一言。リベリオ様はそれだけを口にして、ソファから落ちないように寝返りをうったかと思うと、また小さな寝息を立て始めた。この人が夜遅くまで作業をしているのは十分知っているし、別に私だって、特に用が無ければ無理に起こすなんてことはしたくない。でも、約束をしているというのであれば話は別だ。

「……ちょ、ちょっと寝直さないでください。またレイヴェン様に怒られますよ?」
「んー……」

 この状態、果たして私が無理矢理起こすべきかと考えあぐねていると、抱きかかえていたクロードがするりと腕から外れていく。彼女はその軽い身のこなしで、すたりと彼の身体に飛び乗り、顔の近くまで歩みを進めていった。

「んにゃー」
「クロード……?」
「にゃっ」

 そして、彼女は自身の右手を高らかに上げた。

「ん……んんっ……」

 ぺしぺしと、彼の顔を叩いていく。それは多分、クロードなりの起こし方なのだろうけど、爪とか当たったらそれなりに痛いはずなのだから、出来れば止めて欲しいものではある。しかしまあ、日常的なそれであることは知っているから、止めたりはしない。というより、これを私は待っていたのだ。

「んにゃっ」
「……な、なに……?」
「にゃあ!」
「いてて……な、なんだよクロード……飯か?」

 観念したのか、クロードのそれを制止しようと彼の手が動く。捕まってしまったクロードは、相変わらず鳴き声を上げていたものの、彼の上半身を動かすことには成功した。
 そこで、はじめて私と彼の視線が交わった……のだと思う。眼鏡をかけていない今の彼の瞳は確実にぼやけているはずだから、今のこの状況では、恐らく「ゼフィルっぽい誰かがそこにいる」くらいのことしか分からないだろう。

「あれ、ゼフィルっぽいシルエットが……」
「おはようございます」
「……眠い」
「遅くまで作業してるからですよ。それより、今日はレイヴェン様達と近くの花畑に行く約束だったじゃないですか。そろそろ準備しないと、本当に遅れてしまいます」
「あー、そんな話もあったような……」
「早く後支度を。朝食の準備は出来ていますから」
「はいはい……」

 しょうがない、とでも言いたげなに大あくびをしながら、ほぼ手探りでテーブルに置いてあった眼鏡に手をかける。目を擦る彼の見ながら、私はいくつか思うことがあったため、彼を諫言するために口を開いた。

「それと……」
「ん?」
「面倒なお気持ちは分かりますが、これじゃベットの存在意味がないので、寝るなら然るべきところでちゃんとお休みください。それと、何度も言ってますけど約束の前の日くらいは早めに作業を切り上げて頂かないと……」

 途中で、私は言葉を止める。何故なら、彼の目は完全に閉じていたからだ。

「……聞いていませんね?」
「え? 聞いてる聞いてる……。準備しろって話でしょ?」
「……ま、とにかく急いでください。余り時間はありませんので」
「はいはーい……」

 絶対に分かってないであろう適当な言葉を述べて、やっと彼は重そうな腰をあげる。それと同時に、彼の手からクロードが離れていく。私が扉を開けると、一目散に部屋から出ていってしまった。
 時間が時間だから、当たり前と言われればそれまでではあるけれど、猫の気まぐれさというのはさながら私が仕えている主のようで、何とも形容しがたいものを感じてしまう。
 歩きながら、リベリオ様が腕を天井に向けて伸びをしているのが見えた。それはそうだろう。一日二日だけならともかく、この人は夜に作業する時にそのままソファで寝るのが癖になってしまっている。身体が悲鳴を上げないわけがないのだ。

「やっぱり、徹夜は身体痛くなるよなあ……」
「徹夜もあるでしょうけど、ソファで寝るからですよ……。というより、いい加減規則正しい生活を送っていただかないと困ります。現に生活にも支障が出ているじゃないですか」
「んー……でもなあ、夜のほうが捗るじゃん?」
「それは、昼夜逆転した生活を送っているからだと思いますけど」

 平行線で終わるいつもの会話。一階に辿りつく頃には、彼の眠気もそれなりに収まっているようだった。
 階段を下りて斜め右、リビングへと続く扉を開ける。そこには、既にリベリオ様の妹君であるニシュア様がいた。

「あ、お兄ちゃんおはよう」
「おー、バッチリ決めてるなあ」
「だって、折角皆揃って出掛けるんだよ? あそこの花畑だって、今なら綺麗に咲いてるじゃない?」
「花畑なあ……」

 頭に手をやりながら、まだ眠そうにしているのに気付いたニシュア様の目が、少しだけ曇ったように見えた。

「……余り乗り気じゃない?」
「いや、徹夜明けとかじゃなきゃなあ……。もっとこう、清々しい気持ちで行けるじゃん?」
「でもそれ、お兄ちゃんの自業自得でしょ?」
「その通りだわ……」
「それよりご飯っ! お兄ちゃんと一緒に食べるの久しぶりだから、あたしずっと待ってたんだよ」
「そうですよー。クロードはもう食べ始めてますし、彼女の方がよっぽどしっかりしてますね」

 話の途中で割って入ってきたのは、この家のメイドであるティーナだ。但し、彼女の姿を捉えることは出来ない。恐らく、クロードの目線に合わせてしゃがんでいる為にテーブルが邪魔して見えないのだろう。

「なんだよ皆して……。だったらもっと早く起こしてくれよゼフィルー」
「は?」
「あ、ごめんなさい嘘です俺が悪かったです」

 思わず口が悪くなってしまいそうだったが、適当に謝られてしまったことによりそれ以上のことが言えなくなってしまう。全く、これだからこの人は。なんていう言葉を口になんてしないけど、ある程度長い付き合いだとこういうことを思ってしまうのは、まあ仕方のないことだろう。
 普段は余り揃うことのないこの人数。それが嬉しいはずなのに、いつもより少しだけ騒がしい朝の時間は、どうにも落ち着かない。 でも、それが酷く心地よかった。


   ☆


 心なしか急ぎの朝食が終わって暫く、それはリベリオ様の準備が終わってすぐのことだった。

「おにーちゃーんっ!」

 正門の方から、この家に住んでいる人物のものではない声がする。当たり前のように門を開けて駆け寄ってきたのは、約束人を交わしていたうちの一人である幼いロルフ様だった。
 タックルの如くリベリオ様へと駆け寄り、ドサリという音が辺りに散らばっていく。

「お、ロルフじゃーん。相変わらず元気だなあ……眩しいわ……」
「おにーちゃん疲れてるの?」
「え? んなことないよ、元気元気」
「えー嘘だよ。いつもと同じ顔してるよ」
「……俺、そんなに毎日疲れた顔してんのか?」

 そんなことないと思うけど、と腑に落ちないような素振りだが、しているといえば確かにしているし、知り合いであるなら恐らく誰もがそう答えるだろう。私もそう思うけど、仕えている身としては少々複雑な心境になってしまうから、せめて生活リズムくらいは何とかして頂きたいものだ。

「……どうせ、徹夜してさっきまで寝てたんだろ」

 トーンの低い声でそう唱えるのは、ロルフ様の父でありこの家と最も親交のあるレイヴェン様。

「なんだよー、相変わらず眉間のシワ深いなお前」
「喧嘩売る元気だけはあるんだな?」
「売ってない売ってない。だからんな顔でこっち見ないで」

 口喧嘩がにもならないいつものそれが繰り広げられているそのすぐ側では、レイヴェン様のご婦人であるノーラ様とニシュア様が仲睦まじく話をされている。話が一区切りしたのか、ノーラ様とリベリオ様の視線が交わった。

「ごめんなさいね、忙しいのに付き合ってもらって。ロルフがどうしてもって言うから……」
「いいのいいの。ロルフに言われちゃったらなあ、俺断れないし」
「ボクね、おにーちゃんとおねーちゃんに会うの楽しみにしてたんだよ」
「お前ってやつはー! そんな嬉しいこと言う奴はこうしてやる!」

 リベリオ様は、そう言うや否やロルフ様を抱き抱えて自身を軸に回転を始める。ふたりの楽しそうな声が庭を駆け巡りほんの少しした後、話の矛先はレイヴェン様へと向かった。

「こういう素直なところ、お前も見習った方がいいぞ?」
「ほー……。じゃあお前は、毎回毎回飽きもせず人のこと待たせてばっかりなのに、今日は叩き起こされながらもちゃんと時間通りに来て偉いよなあ? って言えば満足なのか?」
「そんなこと言えとは誰も言ってないんだけどな?」

 どうしてこう、このふたりは毎回こういうやり取りをしないと気がすまないのだろうか。そんなことを思っている最中、抱き抱えられたロルフ様が我々従者に話しかけてきた。

「ねえねえ、ふたりは来ないの?」
「そうですね、皆さんで楽しんできてください」
「そっかあ……」

 途端に、さっきまで楽しそうにしていた彼の顔が曇るのが分かる。その様子に真っ先に反応したのは、隣にいたティーナだった。

「ロルフさま」
「なあに?」
「戻ってきたら、今日あった出来事をわたしに沢山聞かせて欲しいのですが、宜しいですか?」
「いいけど……。おねーさんは来てくれないの?」
「わたしはー……こう見えても色々と忙しいので、今回は遠慮しますね。ロルフさまのお話、わたし楽しみに待ってますから」
「本当?」
「ええ。ですから、まずはロルフさまが楽しんでくださらないと。沢山お話聞かせてくださいね」
「うんっ!」

 ロルフ様とティーナが話をしているのを見計らってか、リベリオ様が私に声をかけてくる。

「悪いな、ちょっと行ってくるから」
「ええ。ごゆっくりどうぞ」

 まるでそれを合図にしたかのように、彼らはやっと出発するようだ。「またねー」と元気よく私たちに手を振るロルフ様に合わせ、隣にいるティーナが手を振り返している。彼らの姿が視界から消え、ようやくといったように彼女の手が落とされた。

「……本当に、行かなくて良かったんですか?」
「なんですかそれ。わたしが凄く行きたかったみたいじゃないですか」
「別に行ったって良かったんですよ? 留守番くらい私ひとりでも出来ますし」
「な、なんで今そういうこと言うんですか……。そりゃ、本当に行ってもいいなら行きますけど」

 一息ついて、彼女はこう言った。

「家族ぐるみのお時間に、わたしがいたらちょっと邪魔ですからね」

 そう口にしながら、やはりどこか寂しそうにしているように見えるのは恐らく私の気のせいではないだろう。ただ、これ以上言及することをしないのは、私もある程度彼女と同じ考えであるということが分かるから。
 私が言えることでも無いけれど、従者というものは、仕事としてある程度仕えている家に関わりを持たなければならないし、ある意味ではそれが一番重要だろう。ただ、だからと言って介入し過ぎるするものではない。
 彼女は特に、それを良しとしない気持ちが私よりも強いのではないだろうか。

「さて、そろそろ仕事しませんと」

 そう言って、まるで自分に言い聞かせるようにしながら彼女は自分の持ち場に戻っていく。足を翻した拍子に、揺れる髪の毛に隠れていた職業にそぐわないイヤリングが、やけに目についた。


   ◇


 木漏れ日が辺りを舞う、森の中にある道。元々、人なんてそうそう通ることもない場所ではあるから特別整備こそされていないものの、通るだけなら特別困ることも無い。俺とレイヴェンの前にはニシュアとノーラ、その間にロルフが入り、手を繋ぎながら前を歩いている。気付けば、俺の腕は荷物を除いてすっかり空になっていた。

「……花畑かあ」
「さっきからそればっかだな」
「いや、ああいう場所ってさ、話としては結構王道じゃん? だからあんまり手出してないんだけど、いい加減なんか書けないかなーっていう」
「……お前、こういう時くらい仕事以外のこと考えられないのか?」
「はいはい、分かりましたっと」

 果たして俺は、そんな頻繁にその言葉を羅列させていただろうかという疑問はあったけど、これ以上言うと本当に怒られそうだから言うとおりにしておこう。
 にしても、歩いているのが森の中にも関わらず、草木の隙間から洩れてくる日差しがかなり眩しく感じる。まだ昼というには早いこの時間って、こんなに明るかっただろうか?
 ……そういえば、ここ最近この時間に外に出たのはいつのことだっただろう。全く記憶にないということは、つまりはそういうことではないだろうか。

「俺、もしかしてこの時間に出るの久しぶりかも」
「……まあ、特別驚かないけど。夜行性も大概にしとけよ。お前の時間に合わせると俺の体内時計が狂う」
「お前はそもそも俺に合わせようという気がないだろ?この前も朝っぱらから押し掛けてきてよー……。あれビビるからホント止めてほしいわ」
「……朝の十時は、朝っぱらとは言わないからな」

 ゼフィルもこいつと似たようなことをよく言っているけど、こうなる前はごくこく普通の生活をしていた筈なのに、一体いつからこうなってしまったのかが全く分からない。思い出せないということは、恐らくそれくらい長い間、俺の中にある時間軸が狂っているということだろう。それはまあ、認めざるを得ないとは思う。直そうと思ったこともあるにはあるが、それは無謀な挑戦といっても良いくらいに、まるで意味がなかったのだ。
 でも、何だかんだ言いつつこいつらは俺に甘いというか、どちらかというと諦めている節があるから、口では言ってくるものの無理にどうこうなんてことはしてこない。きっと、俺もそれに甘えているのだろう。

 今日皆で向かっているのは、俺の家から徒歩数分のところにある花畑。ロルフに滅茶苦茶せがまれた結果、俺とニシュアも行くことになったのだ。
 正直なところ、ロルフに言われなければそう行く場所でもないんだけど、今こうして目的地に近付くにつれて、段々とそわそわしている自分がいる。まるで、はじめてその場に行く小さな子供みたいだ。
 木々が創る木漏れ日が、段々と少くなっていく。それは、目的地がもうすぐそこまで来ているという証拠だろう。途端に、前を歩いていたロルフが繋がっていた手をするりとほどき、足早に歩を進めた。そうして聞こえてくる感嘆の声が、一体何を意味するのかなんて考えなくても分かる。

「おかーさん、お花沢山だよ!」

 こちらへと振り向いたロルフの目は、太陽よりも眩しいと思える程よく輝いていた。

「本当……。やっぱり、この時期に来てよかったね」
「おねーちゃん早くー!」
「は、はいはーい!」

 言われたニシュアが、慌ててロルフとノーラの元へと駆け寄っていく。花に囲まれたあの三人というのは、どうしてこうも絵になるのだろう。

「あいつらは元気だよなあ……。お前も見習った方がいいぞ?」
「それは自分に言え。お前よりはマシだ」
「いやごめん、逆にお前がはしゃいでたら気持ち悪いから今のままでいいわ……」

 その中に混じる俺たちは、果たしてそれに値できているだろうか?

「ん……?」

 言いながら、手にしていたシートを雑多に広げている最中、近くの草がカサリと蠢いたのが見えた。単に葉っぱが擦れただとか、風に靡いたとかいうものでなく物理的に動いたようなそんな気がして、思わずじっとその辺りを見つめてしまう。

「何かいたか?」
「いや……。んー……まあ、虫くらいは普通にいるよな?」
「そりゃ、いないほうがおかしいだろ」

 当たり前のことを聞いて当たり前の返しをされたけど、本当は虫ではない何かなのではないかという期待が胸を踊らせていた。それは決して、鳥や小動物の類いなどではない。

「……お前ってさ、妖精って本当にいると思うか?」
「妖精?」

 俺の質問にレイヴェンが答えるのに、思ったほどの時間はかからなかった。

「……ま、こんだけ人の来ないところだったら、いないってこともないと思うけど」
「なんだよ、意外と肯定派か?」
「そこまで頭は固くないからな。この広い世界の中だ。知らないことの方が多いだろ」

 まあ確かに、レイヴェンの言うことはよく分かる。目に見えないことの方が圧倒的に多いからこそ、人は想像力を働かせては、本というひとつの娯楽の中にあんなにも沢山の要素を詰め込んでいるのだろう。

「妖精と花って、話としてはやっぱりありがちだよな?」
「そりゃ、あんだけ言われてるんだから話としてはそれなりにあるだろうな。でもま、リベリオ先生が描くはじめて妖精をメインにした話。……とかなんとか謳ったら、それなりの人数が食いつくと思うけど」
「そういうもんかねぇ」

 リベリオ先生などという、普段聞きなれない単語。恐らくこいつは、敢えてそれを口にしたのだろう。自分でいうのもなんだけど、俺が書いたものはそれなりに人の手に渡っているらしい。売れている、と言えばそれはそうなんだけど、個人的にはそんなことはどうでもいい。

「……意外とそういう話ないよな。お前の書いてるやつって」
「んー……なんつーか、そこに俺が手を出す意味が今のところ見つからないからな。妖精に出会ったら気が変わるかも知れないけど」

 妖精が出てくる類の話というのは、簡単に言うなら優しい風の匂いがするような話が多い。作風だけで言うのなら俺が書いているものとさして相違はないけど、今の俺には、妖精が出てくるような話を書くほどの理由が何処にも存在しないのだ。だから書かない、ただそれだけ。
 俺が話を書く時は必ず間にレイヴェンが入る為、この少し固執している考えはレイヴェンもよく理解してくれている。

「書きたいものだけ書いて売れてるのなんてお前くらいなもんだろ。他の作家からしたら、かなり羨ましがられるだろうな」
「そうかー? 結構いると思うけど」
「皆して名前を売ろうと必至だからな。書きたいものだけっていうのは、お前が思ってるよりもいないだろ」
「はーん……。ま、そりゃそうか」

 数年前の、それこそリベリオという名前が世間に出始めた頃は、「こういう話を書いて欲しい」などという依頼のようなものが騒がしいくらいに来ていたらしいけど、やらないの一点張りを貫いていたら、今となってはそれも殆どなくなった。レイヴェンが俺に言っていないだけで、実は来ているなんていうことがもしかしたらまだ起こっているかも知れないけど。

「別にさあ、大勢の人に見てもらうとか何とか、そういうのは別にどうでもいいんだよ。たまたまそうなちゃったってだけだし。でも、結果的にそれが俺のいる意味になっちまったから、そういう考えでいるのもいい加減限界あるよなあって」

 幸か不幸か、小説という一つの媒体を使って、好きなことを書いている今の現状が仕事として成り立ってしまっているのは、世間一般でいうなら羨ましがられるかも知れない。でも、いつまでもそれが続くとは限らない。単に運がよかったというだけかも知れないし、いい歳して子供じみた単純な理由を盾に書かないというのもリスクが大きい。
 俺ひとりだったら、別にそれでも良かっただろう。でも、あの馬鹿デカい屋敷に住んでいて、かつ小説家という肩書とは別の厄介なものが付きまとってしまっている以上は、そうもいかないのだ。

「……なんだよ?」
「いや……そういう話、お前の口からあんまり聞かないから、気でも狂ったかと疑った」
「俺だって真面目な話くらいはするぞ?」
「……ま、お前の好きにやればいいと俺は思うけどな。結果的にお前の書いたものが人の心を動かしてるんだから、難しいこと考えるのは程々にしとけ」
「つってもさー……」
「というか、書きたくないもん無理矢理書いたところでお前どうせ途中放棄するだろ。だから止めとけって言ってんだよ」
「あ、はいごめんなさい」

 そうだ、そうだった。忘れてたけど、だから依頼に近いものはほぼ断ってるんだった。余りに好き勝手やっているせいで、危うく忘れるところだった。

「おとーさん! みてみて! ふたりに作ってもらったのー!」

 何だかんだで、行き着くところは結局仕事の話。でもそれは、元気な声によって終止符が打たれた。
 少し遠くの方から、ロルフが何かを頭につけてこちらに駆け寄ってくる。レイヴェンの膝にドサリと音を立てながら笑顔を振り撒くのを見る限り、よっぽど楽しいことがあったらしい。

「花冠か……」
「お、いいじゃーん。俺も欲しいわー」
「えー……おにーちゃんは似合わないよ」
「お前なんてこと言うんだよ……。傷つくじゃん……」
「あ、そういえばね、さっきリスがいたの!」
「マジかよどの辺?」
「あっちー!」

 傷ついた、という言葉は一体どこにいったのか、あっという間にロルフとリベリオが走り去っていく。それと入れ換わるようにして、ニシュアとノーラが戻ってきた。

「……以外と元気だよな、あいつ」
「普段籠ってばかりだから、余計そう見えるんじゃないですか?」

 微笑混じりでニシュアがそう口にする。元々ああいう性格ではあるけど、今日は心なしかいつもより騒がしいように見えるのは、俺も同じだ。

「あの……今日はありがとうございました。家族水入らずのところに私たちが混じっちゃって……」
「あら、いいのよ別に。元々はロルフが言い出したんだし、合わせてもらったのは寧ろこっちの方なんだから」

 少々萎縮美味のニシュアに、ノーラが笑顔で言葉を返す。元はと言えば、出かけたいと言い出したのも、リベリオ達とも一緒に行きたいと言い出したのもロルフなのだ。

「なあおい! 蝶々がいたぞ!」

 ガサガサと騒がしい草花の音を立てながら、ふたりが足早に戻って来る。リベリオの目は、いつも会うときのそれとはまるで違う。さながら童心に返ったようにも見えた。

「そりゃ、蝶々くらいはいるだろ……」
「いや蝶々は蝶々でもデカくてさあ! こんだけ咲いてるから、やっぱり環境がいいのかなあ」
「ボク、あの大きさのはじめてみたー!」
「俺も俺も。他に何かいない?」
「……お兄ちゃんが一番はしゃいでるみたい」

 呆れにも似たニシュアの声に、思わず微笑してしまう。「あっちの方はまだ行ってないのー!」と、指を指しながらリベリオの腕を掴むロルフに合わせ、中腰で歩を進めて何処かに行くのが見える。ふと、もしあいつに子供がいたらきっとこんな感じなのだろうかなどどいう思考が頭を掠めた。
 そんなことが、果たしてあいつの人生の中で起こり得るのだろうか? もうそろそろ何かが起こっても良いだろうに、貴族という肩書きからなのか、こいつは行動を起こすことはしない。ああ見えてかなり真面目だから、やっぱり躊躇しているのだろうか。

「おとーさーん!」

 風に乗って聞こえる声に合わせて、花びらが中に舞う。靡く髪の毛が邪魔をするせいで、見えている人間を視界から消してしまいそうになるのを、俺は必至に堪えていた。
 ちょっと行ってくる。そう断りを入れて、俺は少し遠くにいるふたりの元へ歩みを進めていく。

 これは、俺とその周りの人間に起きた、とあるひとつの物語。なんていう聞き飽きた謳い文句なんて言わない。リベリオの書く小説には、いつもそんな言葉は一言も書かれていないということは、もう何度もこの自分の目で見てきた。
 そう、そうなのだ。何度だって見てきた筈なのに、どうして俺は、こいつの最期の小説を読んだあの時に、気づくことが出来なかったのだろう。
 筋書き通りの物語なんて、小説の中だけで十分なのだということに。

いいね!