「いやあ、人の家の前で随分と楽しそうに騒いでいるなと思ってね。いつまでやっているつもりなのかとつい眺めてしまっていたよ」
アルセーヌの声に紛れて、廊下の上を歩く時の僅かに擦れる音がやけに脳裏に響く。もう何度も見たことのある景観のリビングと、すっかりと見たことのある人達という認識が産まれてしまっている。果たしてそれがいいことなのか悪いことなのか、オレにはよく分からなかった。
「知らない間に、仲良くなったみたいだね」
「な、仲良くはないと思うけど……」
「仲良くはねーよなぁ」
二人で発したそれに当てはまるであろう言葉は、アルセーヌの認識と一致することはなかった。ネイケルがどう思っているのかは分からないが、仲がいいというのとは少し違う気がしてしまったのだ。
「さて、キミたちが何をしに来たのかが気になるところだけれど、そもそも話す気はあるのかな?」
「オレは全然ねーけど」
「そうか。じゃあ、少なくともキミはホットケーキを食べないで帰るんだね」
この状況には少しそぐわない「ホットケーキ」という単語に、急に気が緩くなってしまったのがよく分かった。せっかく緊張感を持っていたのに、台無しになってしまったような気がした。
「作ろうかなぁって思って、材料買ってきた帰りだったんですよ」
沢山の荷物はそのせいだったのかと合点がいったのもつかの間、リアは荷物を持ったまま隣の部屋へと向かった。「ちょっとだけ待っててくださいね」最後にそう付け加えて、あっという間に姿を消してしまった。
「……どうする?」
「食べまーっす」
問われたネイケルの答えは即答だった。考えたのかどうかも怪しいくらいだ。
「キミは?」
質問の矛先は、いとも簡単にオレに向かっていった。何も答えることをしないのだから当然といえばそうなのだろう。
「食べる……」
ここで断るなんていうのは、出来るわけがなかった。
「さて、リア君が準備をして居なくなっている間に言いたいことがあるなら今のうちに言っておいた方がいいんじゃないかな。特にそこのキミ」
「オレ? まあ……」
さてどうするかとネイケルが視線を反らしたのもつかの間、ここでようやく真面目な面持ちになった。分かってはいたものの、なんとなくネイケルが貴族であるというのを改めて見せつけられたような、そんなそんな感覚だった。
「やるならもうちょっと真面目にやれってロエルさんに怒られた、ってことだけ言っとくわ」
「彼が……? ということは、ここに来た後に会ったんだね」
「ほんとにアルセーヌさんのところに言いに行くとは思わなくてさ」
「それはキミの失態だね。思っているよりも律儀で怖いよ、彼は」
聞き覚えのないロエルという名前が、よく耳についた。オレがまだ会ったことのない貴族の名前なのだろうか? そうだとするなら、もしかしたらどこかのタイミングでばったりと出会うことがあるのかも知れないと思うと、会ったこともないのに少しばかり背筋が伸びる。どうやら気難しい人であるというのだけは伝わってきたのだ。
「まあ、今はこれ以上聞かないことにするよ。今長い話をされても困るからね。……キミはどうする?」
アルセーヌの標的が、するりとオレに移り変わった。なんだか貴族にしか分からないような話だったような気がするのだけど、ものの数分で終わらせて本当に良かったのだろうか?
見慣れているはずなのに、やはりアルセーヌの視線がこちらに向くと少々言葉に詰まる。成り行きで来たとはいえ、今日は聞かないといけないことがあるからここまで足を運んだのだ。いい加減、腹を括らないといけない。それなのに、やはりオレの口は閉じていたくて仕方がないようだ。
「……オレ、ちょっとリアちゃんのとこ行ってくるわぁ」
いそいそと、さっきリアが向かった先へと足を進めていく。電光石火とまではいかないが、その行動は呼び止める隙もないものだった。
「気の使い方が分かりやすいね」肩をすくめ、アルセーヌは苦笑いをした。
さてここからが本番、という声が聞こえてきそうなくらいに、アルセーヌはオレのことを見つめている。
「今日は、一体何しに来たんだい?」
そこに威圧感のようなものはなく、どちらかというと優しさすら感じてしまう。そう思ってしまうのは、オレがこの状況に少なからず慣れてしまったからなのか、それともアルセーヌが本当にそういう振る舞いをシテイルのか、もはや見当がつかなかった。
「……アルセーヌってさ」
だが、それが余計にオレの口を開かせた。もう今さら逃げる余地なんてないと、そう思ったのだ。
「オレとの始めましては、路地裏のあの時じゃないよね?」
今度は、オレがアルセーヌのことをしっかりと見据える番だ。
「……それを聞くということは、何か思うことがあったのかな?」
オレの質問を聞いてもなお、アルセーヌは表情一つ返ることをしなかった。
ごく僅かな沈黙の中で何を思ったのかは計り知れないが、オレはといえば内心気が気じゃなかった。アルセーヌにはバレているのかも知れないが、そんなことはもうどうだって構わないだろう。
「オレ、アルセーヌとの約束破ってこの前またレズリーの家に行った。……ごめん」
その前にひとつ、オレはまず言わなければならないことを口にした。押しかけるだけ押しかけて自分の否は後回し、というのは余りにも自分勝手で嫌だったのだ。
「そこでその……なんていうか、昔あの家で起きたことが見えて……」
しかし、あの家でオレが見たということをどうやって伝えればいいのかが分からなかった。あの時のことを思い出したというだけだったらそれでいいのに、この場合はそうじゃない。せっかくここまできて言わなきゃいけない状況に晒されたのに、言葉がちゃんと掴まってくれなかった。
「……起きたこと、隠さないで全部言ってごらん? 考えるのはその後にしよう」
「で、でもオレ……あんまり上手く言えないっていうか……」
「別に上手く言わなくていいよ」
はっきりとした口調に、おれは思わず驚いてしまった。説明しないといけない側が上手く説明出来無いだなんて、ただの時間の無駄なはずだ。
「私は、キミの言葉で何があったのかを聞きたいな」
それなのに、アルセーヌはそんなこと知ったことではないと言い切ったのだ。それが、僅かにオレの緊張を落ち着かせる要因となった。こっちにおいでとオレを招き、アルセーヌがソファーに座る。オレは当然のようにアルセーヌの向かいに座ろうとした。
「そっちじゃなくて、隣においで」
「と、隣?」
「うん。嫌?」
「嫌じゃないけど……なんで?」
「なんで、か。そうだな……」
アルセーヌは顎に手を当て、考えるフリをした。
「私がそうしたいからっていうのじゃ、理由にはならないかな?」
答えになっていないね。そういって笑みを見せるアルセーヌに、もはや緊張感のようなものは全く感じられない。その様子にいつかの既視感を覚え始めたのが気のせいでなければいいなと思ったというのは、内緒にしておくことにした。
