09話:真実の在処


2024-08-13 00:09:13
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 ガチャリと玄関のドアが開く音が聞こえる。それはこの家の主が帰ってきたということの表れだった。

「あ、帰ってきたのかな……」

 私がそう言葉を溢してすぐ、何かが落ちるような大きな音が家中に響く。突然の出来事に、思わず手にしていたお皿を落としそうになった。

「な、なに……っ!?」

 反射的に、ここからでは見ることの出来ない玄関へと身体が向いてしまう。お皿をテーブルの適当な場所に置き、すぐ側にあるソファで寝ているとある人物には目もくれず、私はゆっくりと玄関へと足を運んだ。

「あ、アルセーヌさん……?」

 歩きながら、帰ってきたのであろう人物に声をかけるが、返事が返ってこない。完全に静まり返ったことに、段々と不信感が募る。流石にないと思うけど、知らない誰かが身を潜めていたらどうしよう。そんな余計な心配が、私の心臓を少しだけ早まらせた。
 結果、それは要らない心配だった。その場で、崩れ落ちたかのように膝をついているアルセーヌさんが目に入る。ただ、そこにいたのは彼だけではなかった。

「はあ……っ」
「だ、大丈夫ですか……? それに……」

 もうひとりの彼、この前アルセーヌさんが家に呼んだ人……。確か名前は「シント」と言っただろうか。彼はどうやら気を失っているようだけど、この様子からして、アルセーヌさんが背負ってここまできたらしい。それに関しての疑問はもちろんだけど、こんな状態のアルセーヌさんを、私はここに来てから一度も見たことが無かったから、動揺が隠せなかった。

「また彼が来てるのか……」
「え? ああ、はい……」

 玄関に置かれた、この家の人間のものではないひとつの靴が、アルセーヌさんにそう言わせた。

「……すまないが、呼んできてくれないか?」
「は、はいっ! ネイケルさん、ネイケルさん起きてくださーい!」

 バタバタと音を立てて、ネイケルさんが寝ているソファへと向かう。私はとにかく彼を一刻も早く起こさなくてはと必死だった。

「ネイケルさあんっ!」
「んんっ……ちょ、わかっ……わかったから叩くのタンマ……何?」
「いいから来てくださいっ!」

 ネイケルさんの腕を引っ張って無理やり起こす。強引過ぎる行動ではあるけど、こうでもしないと、この人は早く来てくれないというのはよく知っている。大あくびをしながら歩く彼だったけど、玄関で起きているそれを見ると、気だるそうだった態度が少しだけ変わる。ほんの少しだけ、だけど。

「わー……アルセーヌさん、どこでそんな無茶してきたワケ?」
「……私のことはいいから、彼を運んでくれ」
「はいはい……開いてる部屋あるんだっけ?」
「あ、二階だったら……」
「えー……二階まで行くの? クソだる……」
「ネイケルさんっ!」
「わかったわかった。そんな怒んないでよー」

 ネイケルさんが、アルセーヌさんの代わりにシント君を抱え上げる。それに次いで、ゆっくりとアルセーヌさんが立ち上がった。ふらつくアルセーヌさんに手を伸ばすけど、途中で制止されてしまう。「私はいいから、彼を案内しなさい」なんて言うところが、いつものアルセーヌさんだ。
 その姿に、何もすることが出来なくなってしまった自分の無力さを痛感する。正式なお手伝いさんだったら、もう少し違ったのかも知れないけど。なんていう答えの見つからない思考を、思いっきり振りほどいた。アルセーヌさんもだけど、ネイケルさんがおぶってくれている彼もなんとかしないといけない。取り合えず、私はネイケルさんを案内する為に先導する。アルセーヌさんはというと、部屋には向かわずリビングに一直線だった。ああもう……どうして自分の部屋に行かないんですか、という言葉を言いそうになるけど、それは後だ。二階の空いている部屋のドアを、ネイケルさんの代わりに開ける。家具だけはそれなりに揃っているその部屋のベットに、ゆっくりと身体を預けた。
 こういう時、私だけじゃどうすることも出来ないから、ネイケルさんがいてくれて良かったかも知れない。この人が家に来る理由が理由なだけに、尚更。
 出来るだけ音を立てないように、静かにその部屋を後にする。階段を降りて少しした先、リビングにあるソファに目を向けると、そこではアルセーヌさんが横になっていた。

「アルセーヌさん、横になるならお部屋に行った方が……」
「いや、ここでいい……」
「よ、良くないですよ! こんなところで……」
「……彼が起きたら呼んでくれ」

 彼、というのは恐らく一緒に帰ってきたシント君のことだろう。呼ぶのは構わないのだけれど、少しは自分のことも考えてほしい。これじゃ休まる訳がないのに。
 ばさりと音を立てたのは、さっきまでネイケルさんが向かいのソファで使っていたタオルケット。それは、アルセーヌさんの身体に無造作にかけられる。その行動を起こしたのは、私ではなくネイケルさんだった。

「アルセーヌさんって、意外と無茶するんだね」
「……で、キミは何しにきたんだい?」
「え? あー、ちょっとタダ飯でもしようと思って」
「……はあ」

 予想していた言葉だったのか、アルセーヌさんは深く溜め息をついた。私は知ってはいたけど、改めて理由を聞くととても気が抜けてしまう。

 この会話以降、シントくんの目が覚めるまで、アルセーヌさんが何かを喋ることはしなかった。


   ◇


 きっと、オレは知っていた。あのレズリーっていう人の言う通り、忘れているんじゃなくて、思い出したくないだけ。全部、全部ちゃんと覚えてるんだ。だけどオレは……。
 オレは、その思い出した過去の先に何かがあるような気がして、何も知らないふりをしていたんだ。

「ここどこ……?」

 気が付けば、オレはレズリーの家ではない何処かの家のベットで横になっていた。よくわかんないけど、身体が怠い。なんだっけ……確か、レズリーの家で父さんと母さんのことを思い出して……。思い出して、それで?そこからどうなったっけ?

「……なんか、疲れたな……」

 髪の毛に手をかけて、初めて分かる。いつの間に髪の毛を結んでた紐が解けたんだろう。それは別にいいんだけど、やっぱり邪魔だ。
 そういえば、父さんも長く伸びた髪の毛をいつも結んでたっけ。……ついさっきまで昔のことなんて覚えてなかったから、別に父さんの真似とかいうつもりはなかったけど、こうやって思うと、なんか……。
 そんな思いは、ドアの方から響くノックをする音によって払拭された。

「あ、はい……」
「こんにちはー……」

 その声に、オレは聞き覚えがあった。確か、アルセーヌの家にいた女の人。名前は……なんだっただろうか。

「だ、大丈夫ですか?」
「うん……」
「あ、お水飲みますか? 持ってきたんですけど」

 その人が手にしているお盆の上には、コップが乗せられている。「う、うん……」と肯定をして、オレの手元にわたる。冷えた水は、いつにも増して美味しく感じた。

「……ここ、アルセーヌの家?」
「そうですよ。あ、アルセーヌさんに知らせてくるので、ちょっと待っててくださいね。すぐに戻りますから」
「あ、待って」
「な、なんでしょう?」
「えっと……」

 続く言葉を口から出す。その人は、一瞬こいつは何を言っているのか、みたいな表情だったけど、理由を説明するとすぐに柔らかな笑みを向けた。
 ほんの少しした後。二、三分も経っていないだろうか。本当にすぐに、女の人は戻ってきた。「一階でアルセーヌさんが待ってますよ」そう言った後、オレが求めていたものを差し出され、手にとった。歩きながら髪の毛をまとめるというのはちょっと難しいけど、まあ別に、邪魔にならなければなんでもいい。寝癖は置いておくとして、一階に辿りつく頃にはそれなりにいつもの髪型に戻っていた。
 ソファに座っているあるが視界に入る。上着を脱いでいるその姿は、なんていうか新鮮だった。

「やあシント君、元気かな?」
「……わかんない」
「そうか……まあ、座りたまえよ」

 アルセーヌが座っているソファ。その向かいには、知らない人が思いっきり横になっていた。

「誰この人……」
「ああ彼かい? ネイケル君だよ」
「ふーん……」
「ほらキミ、いい加減起きないか。座れないだろう」
「はいはい……マジだる……」

 如何にもダルそうに身体を起こす誰か。市民なのか貴族なのかもよく分からない人。貴族……の、ような気もするけど、なんていうか、見た目だけでいうならそれっぽくはない。
 ネイケルと呼ばれた人物が普通に座ってくれたことによって、オレの座る場所が出来る。これから起こることが何なのかはよく分からないけど、なにか、大切な話があるということくらいは聞かなくたって分かる。だから座るしかなかった。

「……で、誰コイツ」
「勝手に上がり込んでいるくせして、随分と口が悪いね。というか、キミは帰りたまえよ」
「いや、寝起きでそれはキツいっしょー……。ってか、勝手じゃないから。ちゃんとリアちゃんが居るときに来たから」
「……どうせ、無理矢理家に上がったんだろう? まあ居るのは別になんでもいいが、客人との話の邪魔をしないでくれるかな?」
「オレも一応客人なんだけど?」

 その言葉に呆れたのか、目の前にいるアルセーヌは息を吐く。その様子は、どこか疲れているように見えた。

「……さて、何から話せばいいかな……。こうも立て続けに色々起こってしまうと、話す順序に困ってしまうね。……ああリア君、キミもここに居なさい」

 ああそうだ、そうだった。アルセーヌの座っている後ろで、ゆっくりと気付かれないように何処かに行こうとしていたこの人の名前はリアだった。呼び止められた時、リアの肩が動くのがわかった。

「ま、またですか? でも……」

 言い淀むリアに、アルセーヌは何も答えない。どうやらそれが返事のようだった。

「わ、分かりましたっ」

 空いている場所、つまりアルセーヌの隣にリアは座る。どうしてか少し怒っているようで、ぼふりとソファの鳴る音がよく聞こえた。

「さて……話をする前に、だ。シント君に確認をしなければならないことがあるのだけれど」
「確認……?」
「ああ。今から私が話そうとしていることは、キミからすれば、聞きたくないと思うようなことばかりだろうからね」
「え……」
「ただ、現段階であれば、私はキミを取り巻いている疑問にある程度答えることが出来る」

 オレが聞きたくないと思うようなこと。そう言われても、正直なところいまいちピンとこない。続けて、アルセーヌがオレに言った。

「私はね、シント君。キミが知りたくないと思うのであれば、それはそれで構わないと思っているんだ。これからどうしたいのか。どうありたいのか。私の口からそれらを聞きたいかどうか……キミの意思で、決めてごらん?」

 アルセーヌは、何故かオレに全てを委ねようとしている。答えの分からないオレが黙りこくってしまった為か、辺りはとても静かだった。そういえば、オレはこれまで自分自身でなにかを決めたことがあっただろうか? おじさんやおばさんの言うことも、出来るだけ波風が立たないように聞いてきたし、意見を求められた時だって、出来るだけ曖昧な言葉を返してきたという自覚はある。
 ああでも……。今日は自分の意思でアルセーヌの後をついていったんだっけ。いや、どうなんだろう。本当にそうだったら、もう答えは決まっているはずだけれど。
 聞かないという選択肢をとることは簡単だ。それだってひとつの主張だし、現に、つい最近のオレはそうだった。なにも聞きたくなくて、適当に言葉を返して。まるで、幼い子供の小さな抵抗みたいだ。でも、今日のオレの口はどうしてかお喋りだった。

「……昔、オレの父さんと母さんが、事件にあって死んだって聞いたんだけど……」

 これは、いつだったかにおじさんから聞いた話。この話は、オレが靴屋に預けられた後、少ししてから聞いたこと。単純に、「事件に巻き込まれた」といったようなことしか聞いていないけど、それ以降、オレを気遣ってなのか、おじさんもおばさんも、オレだってこの話に触れることは一度もなかった。
 だから、こんな話をまさか自ら話題に挙げるなんて、思っていなかったのだ。

「……レズリーが行方不明っていうのと、なにか関係があるんだよね?」

 断片的な記憶の中にあるみんなのこと。レズリーの言葉と、アルセーヌの行動。両親が死んだのは、約十二年前。レズリーの行方不明が十年くらい前だと言っていた。これら少ない情報がいくつも羅列されたせいで、それに対しての答えをオレは、自然と求めていた。

「……少し長くなるが、知りたいかい?」

 その問いに、オレは小さく頷いた。
 それらが本当繋がっているのか、関係しているのかどうかなんて知らない。でも、きっとオレは、オレの知らないどこかでそんな気はしてたんだと思う。レズリーと出会った、あの日から。だからきっと……。

「……前にも少しだけ触れたけれど、あれは今から十二年ほど前のことだ」

 オレは、全てを拒絶したのだ。

「十二年前、彼……レズリーが行方不明とされた日。あの日、彼の家で、従者二人とたまたま訪れていた客人二人が殺害されるという事件が起きた。従者二人の名は『ティシー』と『トール』。客人の名前は、『カルト・クランディオ』そして彼のご婦人である『シエル・クランディオ』……」

 ただ、それでも。分かっていても。

「キミの、ご両親だ」

 心臓の音が、妙に騒がしく聞こえた。


   ◇


「……死亡した四人には、刃物で刺されたような傷が複数あり、刃物が屋敷の何処からも見つからなかったということと、家の主であるレズリーがどんなに探しても見つからないという点から、警察は最終的に彼が犯人であると断定した。……だが、私はそれに疑問を持った」
「疑問……?」
「ああ。……それは、彼の家で人ひとりが消える程の魔法が使われたということだ」

 魔法という単語を聞いた時、オレはどきりとした。

「貴族の家で起きた事件ということと、彼が失踪したということから、この街の貴族が総動員されるという異例な出来事があってね。そこで、警察との繋がりが深いノーウェン家が捜索の指揮をとりながら、現図書館長であるクレイヴと、予てからレズリーと親交があった私が、彼の家を捜査することになったんだ。私とクレイヴは、彼の家に向かう道中から、既に魔法が使われているという確信を持っていた。それくらいの魔法が使われた……いや、暴走したといった方が正しいだろうね」
「暴走……」
「……今日、キミが起こしたそれに近いものかな」

 それはあれか、オレの周りを風が取り巻いたあの時か。余り覚えてないけど、なにか、知らないものに憑りつかれたような、そんな感覚だった。

「魔法は本来、使役者……つまり貴族がそれを望まない限り、使われるということはまず無いし、暴走するなんてことも無いと言ってもいい。だが、逆に言うなら、使役者本人がそれを望めば、意図的に自分の魔法を暴走させることも可能ということになる。……そして、それを止められる人物がいなければ、そのまま魔法と共に消えていくことになる。……それが起きたら、我々ではもうどうすることも出来ないんだよ。暴走を起こすということは、魔法を使役していた人物をのみ込みながら魔法と共に消えるということなんだ」

 アルセーヌが、オレをじっと見つめる。その瞳から目を離すことになるのは、まだ先のことだった。

「そしてそれは、何らかの形で市民が魔法を使えてしまった場合に起こることが圧倒的に多い。何故なら、市民は魔法を使う資格というものを持っていないからだ。だから、自らの意思で魔法を制御するということ自体が容易ではない。……それは、何となく分かるね?」
「う、うん……」
「と言っても、そう多く起こる現象ではないが……。私が、この事件で何が一番引っかかっているかと言うとね、つまり、あの事件に巻き込まれた事件の中で、本当にレズリーだけが魔法を使えたのか? という部分だ」

 なにか、嫌な予感が頭を過る。

「状況証拠的な観点から言えば、レズリーが犯人である可能性は否定できない。ただ、本当に彼が犯人であるという証拠はない。他の人間が犯人だったという可能性は十分にあり得るんだよ」

 ここまで聞いて、アルセーヌがオレに何を言いたいのかを理解するのは容易だった。

「……つまり、アルセーヌは父さんと母さんも容疑者だって言いたいんだよね?」
「あくまでも可能性の話だよ。そこにいた従者だってそうだ。私はまだ、誰が犯人なのかという結論に辿りついていない。警察だって、こちらに捜査を要請しておきながら、犯人であるレズリーが凶器を持って逃げたと決めつけた。……まあ、本当にそれが真実なのか?という、ただのいち貴族の疑問だよ」

 ただのいち貴族の疑問。確かにそうかも知れない。だけど、その疑問が出てくるということは、犯人の決定的な証拠がなく、それだけこの事件が不可解であるということなのだろう。
 もし、事件の犯人が父さんか母さんだったら? そんな余計なことを考えてしまっていた。

「……シント君。私は、キミにふたつ程お願いをしなければならないのだけれど、聞いてくれるかい?」
「……なに?」
「ひとつは、今後レズリーの家にひとりで行ってはならないということだ」
「え……?」
「今日あった彼……。あそこで起きたこと、あの場所に残っていたものが何なのかは、まだ私の中で明確な答えは出ていないから何とも言えないが……。これは決して脅すわけではないのだけれど、彼の様子は明らかにおかしかった。と言うより、魔法にのまれかけている時のそれに見えた。例えば……次に彼の家にキミがひとりで行った場合、もしまたあの状態だったとしたら……。私は、キミの命の保証をすることが出来ない。だから……」

 アルセーヌの言葉が途中で止まる。次の言葉を探しているのか……いや、オレにはどこか今までと様子が違うように見えた。

「……とにかく、今後ひとりであの場所には行かないで欲しい。約束できるかい?」
「う、うん……それはいいけど……」
「それともひとつ……そのブレスレットだけれど……。どうやら私は少し勘違いをしていたらしい。確かに、それには魔法が込められてはいるが……」

 そして、ゆっくりと言葉を向けた。

「……大切に持っておきなさい。それは、必ずキミを助けてくれるはずだよ」

 袖から少しだけ顔を出すブレスレットが視界に入る。前、似たようなことをレズリーも言っていた。どうして皆、これに拘るのだろう。それに、アルセーヌがしていた勘違いって一体なんのことなのか。こういう疑問っていうのは、思ったのならちゃんと聞いた方が良いのかも知れないけど、そのアルセーヌの様子を見て切り出せるほど、オレは馬鹿ではない。

「……すまないが、今日はここまででいいかい? 余り調子が良くなくてね」
「う、うん……」
「ネイケル君、悪いが彼を家まで送ってくれないかな?」
「えー? オレ、タダ飯食いに来ただけなんだけど?」
「だったら尚更だよ。たまには、そのタダ飯とやらの分くらいは働きなさい」

 しぶしぶといった様子で席を立つネイケルに合わせて、リアが身体を動かした。それは、客人を送り出す時のそれだったから、オレの身体も勝手に動く。アルセーヌに何かを言わなければならない気がするのに、その何かを言葉に出来ないでいた。
 ネイケルが、じっとアルセーヌを見つめる。面倒くさそうに、アルセーヌが口を開いた。

「……何かな?」
「別に? 大変だなって思っただけ」
「……いいからさっさと行きなさい」
「分かった分かった。あ、オレは戻ってくるから締め出さないでね」

 そう言いながら、足を翻すネイケルの後を追おうとしたとき。言わないといけないことというものが、やっと形になったのを感じた。

「あ、あのさ……」
「……なんだい?」
「アルセーヌだよね? オレをここまで背負ってくれたの……。全然覚えてないけど……」

 アルセーヌはそれに答えない。でも、アルセーヌ以外の誰かが、この家まで連れてきてくれた、なんてことはきっとない。なんとなく、そんな気がしたから。

「だから……あ、ありがとう……」

 これくらいはちゃんと言っておかないといけないって、そう思ったのだ。

「じゃ、じゃあね……っ」

 ドタドタと、騒がしく足音を立ててアルセーヌを視界から消す。言及されないように、出来るだけ早く家から姿を消した。

 ――思ってもいなかった彼の言葉。それが私に笑みを溢させたが、それと同時に、酷くのしかかる疲労が私に溜め息を落とさせた。

「はあ……」
「……だ、大丈夫ですか?」

 戻ってきたリア君の声が、近くから聞こえる。

「ああ……」

 その言葉だけを返すのが、精一杯だった。
 魔法という存在はのはとても面倒だ。なんだか、久しぶりそれを痛感した気がする。まともに力を使うとすぐこれだし、この、魔法という存在に身体を持っていかれそうになる感覚は、どうやっても慣れたものではない。最も、こうなる程の魔法なんて使うつもりは無かったのだけれど……。
 レズリーが放ったあの台詞と、それに付随する行動が、私にそうさせた。

『……ねえアルセーヌ。どうして彼は、あの時のことを何も覚えてないんだろうね?』

 人ごとの様に言葉を羅列させる彼。

『……早くここから離れてくれないと、私は……』

 そして、私の後ろで血に塗れたナイフを手にしている彼。

『私は、君たちを殺してしまうかもしれない』

 その中にある、一瞬だけ垣間見えた本当の彼。あの時と何ら変わらなかった彼の、優しい笑みの中に見え隠れする、感情を無理やりおし殺しているかの様に歪む眉。
 十二年前なら、彼が犯人ではないと言うことが出来た。仮にもそれなりに親交があったし、どちらかといえば、犯人であって欲しくないという思いの方が先立っていた。それは今も変わらない。でも、だ。今の私は、彼が犯人ではないと言い切れる自信がない。

「……あの、アルセーヌさん。……その、どうして私は、また同席を求められたのでしょう?」

 その言葉が、ひどく耳障りに聞こえる。何故なら、その馬鹿らしい問いは、愚問以外の何物でもなかったからだ。私を心配したのかなんなのか、近くに寄ってきた彼女の腕を掴む。その顔は、当然ながら驚きに満ちていた。

「本当に、分からないか?」

 顔が近い。我々の間に入るソファの肘掛けが、非常に邪魔だ。

「まさかこれまでの会話が、シント君のみに向けられているものだと本気で思っている訳ではないだろう?」

 言うだけ言って、腕を話したと同時にソファへと倒れこむ。

「はあ……」
「あ……」

 まるで時が止まったかのように、リア君の言葉が止まった。だがそれは、本当に一瞬のこと。

「アルセーヌさん! だから寝るならお部屋に……」
「……分かったから、そんなに急かさないでくれたまえよ」
「ぜ、絶対に分かってない……!」

 誰が起こすと思ってるんですか、とかなんとか、そんな言葉が聞こえてくる。「そうやって無理矢理取り繕うキミは、酷く滑稽だよ?」そんな辛辣な言葉は、辛うじて私の口から漏れることはなかった。


   ◇


「あーだっる……」
「な、なんかごめん……」

 アルセーヌの家を出たオレらは、騒がしい市場ではなく、図書館のほうを歩いていた。「そっち騒がしいからヤダ」という、ネイケルの意思表示によるものだった。

「……ネイケルって、貴族?」
「ま、一応な」
「ふーん……」

 やっぱりというか、意外というか。まあ取り合えず、この人は貴族だった。貴族なんだろうなあとは何となく思っていたけど、喋り方とか態度とか、そうは見えない要素ばっかりだったから判断が出来なかったけど、なんかすっきりした。

「……貴族に見えねぇって言いたそうな顔してんな」
「え、いや……ちょっとしか思ってないけど」
「思ってんじゃねえか」

 中々に貴族との会話らしくないことをしてしまっているような気がするが、それは無かったかのように話はレズリーの話へと切り替わる。

「……ところでさー、いなくなったって言われてるレズリーさんに会ったってマジ?」
「う、うん……。ネイケルは会ったことあるの?」
「いや無いけど。そもそも、オレんちって隣街だし」
「そうなの?」
「ちょっと野暮用があってなー、オレだけこっちに来てるだけ」
「へー……」
「まあそれは何でもいいんだけど。アルセーヌさんも言ってたけど、貴族の行方不明ってことで、隣町まで捜索願があってさ。父さんも駆り出されてたっぽくてなあー、結局見つからなかったけど。つか、魔法が使われたって時点で、警察の判断なんて役に立たねーからなぁ……」

 こうやって聞くと、改めて貴族という存在の大きさというか、大きな事件だったんだなっていうのがよく分かる。隣町の人にまで捜索願いがあったいうことは、本当に見つからなかったのだろう。
 それに、魔法に関することは基本的に貴族の判断を仰ぐって聞いたことがあるけど、アルセーヌの話を聞いた限りだと、そうでもないのだろうか。ただ単に、早く事件を終息させたかっただけなのかも知れないけれど。

「……オマエさ」
「なに?」
「結構冷静だよな」
「え……?」

 思ってもいなかった言葉に、思わず聞き返してしまう。どうしてそう思われたのか、よく分からなかったのだ。

「べ、別に冷静じゃないよ……。ようは、誰が犯人かまだわかってないって話でしょ?」
「いや、それもそうだけど、親が犯人かも知れないって言われて、よく普通に聞けるよなって」

 ああなんだ、そのことか。というのが率直な感想だった。

「……それはそうかも知れないけど、なんていうか……」

 まあ確かにそうかも知れない。身内の誰かが犯人かも、なんていう話を聞けば、普通は動揺するとか庇うとか、何かしらの反応をしていたのだろう。でも、オレはそれをしなかった。

「もういないから、別になんでも良いかなって……」

 だって、どこか他人事のような感覚で聞いていたから。なにか反応を起こすとか、そういうことじゃない。それ以前の問題だったのだ。

「そ、それに、アルセーヌが体調悪そうにしてたのって、多分オレのせいでしょ?」
「あー……まあ、今にも死にそうな顔してたもんな……。あれ、何処かで魔法使ったんだろ?」
「そうなの? じゃあ、やっぱりあの後なにかあったのかな……」

 アルセーヌが魔法を使わなきゃいけない程の何かが起きた。貴族がそうやって言うのなら、多分そうなのだろう。オレが倒れた後、残されたふたりに一体なにがあったのか。……少し気になってしまう。
 そんなことを考え呆けている間、ネイケルはじっとオレのことを見つめていた。

「な、なに?」
「いや、なんつーか……」

 言葉を探すようにして、一瞬だけ何もない空を視界に入れた。

「……オマエって苦労してんのなって、思っただけ」
「別に、苦労はしてないけど……。最近まで、親と一緒にいた記憶なんて覚えてなかったし、それに……」

 それに、一緒に住んでる人たちは皆いい人だから。そのたった一言が、どうしてか言えなかった。

「じゃ、じゃあ……家あそこだからっ」

 これ以上この人に突っ込まれると、なんか余計なことまで言いそうになってしまって、オレは逃げるようにしてネイケルに背を向ける。幸い、本当に見える範囲に靴屋の看板があるということが救いだった。

 ――言うだけ言って、シントは一目散に走りだす。それを特別追いかけることもせず、オレはただただ眺めていた。看板のある店のようなところに入っていったけど、どうやら、家がすぐそこだということは嘘じゃなかったようだったから、別にそれを追いかけるということはしなかった。
 色々思うことはあるけど、それら全てにいちいち首を突っ込んでいられる程、今のオレは暇ではない。

「……ま、オレが首を突っ込むことじゃねーか」

 シントが視界から消えたのを確認して、オレはアルセーヌさんの家に向かう。多分、何だかんだでちゃんと入れてくれるだろうから、そこに関しては別に心配なんてしていない。一応タダ飯という目的があるから戻るけど、なんか面倒そうな話聞かされて、いや、聞かされたっていうか居座ったんだけど、ぶっちゃけさっさと帰れば良かった。自分のことじゃないけど、ああいう真剣な話は聞いてるだけでも疲れるというものだ。
 オレの向かった先は、市場のある道だ。行きは連れと一緒だったからここを通ることはしなかったけど、特別好きでもない人込みの多い道を、オレはわざわざ選んだのだ。
 喧騒の響く道の中、ある程度の声をシャットアウトさせる。これだけ人がいるのだから、それが見つかる可能性は高いだろう。隣町に来てまで、オレは一体何をしているのか? そんなこと貴族という地位にいるのだから、相場は決まっている。そして、幸運なことに、オレの探しているものがのうのうと姿を現した。いや、姿を現したというのは語弊があるかも知れない。でも、オレはそれの気配がちゃんとそこに存在していることを確認した。

「……やっぱり居るか」

 行きかう人間に紛れた、隠しきれていない殺意にも似たそれ。
 こんなの忘れるわけがない。間違えるわけがない。この気配。魔法の気配は、明らかに、あの時オレを殺そうとした人物の魔法の気配なのだから。

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