いつもと同じ量のそれは、ドサリと重い音を立てて腕にのし掛かる。
「じゃあ、また来てね」
「う、うん……ありがと」
五人分のご飯となれば、そうなるのも当たり前ではあるけれど。面倒かと聞かれれば、まあ否定は出来ない。でも、それに文句があるわけではないし、オレにはそれくらいしか出来ないから。だから、別にそれに関してはどうとも思わない。
食料品を買う場所はいつも決まっていて、市場ではなく、靴屋を右に出て真っ直ぐ歩いた先。ほんの少しだけ人通りの少ない場所にあるお店だ。そこの人は、俺も前から知っている人で、行けば当然世間話が行われる。話を聞くくらいなら別にいいけど、オレについての話になるのは、なんて言うかちょっと困る。
別に、何か面白い話があるわけでもないし、かといって話すようなことがあるわけでもない……訳でもないけど。店主に適当な挨拶をして、いつも逃げるようにして店を後にしてしまうのだって、良いことなんかじゃないっていうのは分かってる。分かってはいるけど、色々と聞かれることが好きじゃないってことも事実なのだ。
市場から少し離れていると言っても、人はそれなりにいるわけで。重い荷物を持っていると、どうしても人にぶつかりそうになる。そんな道中でも必ず目に入るのは、路地裏に繋がる細い道。……いや、これは普通にただの細い道のような気がする。なんかもう、全部路地裏なんじゃないかみたいな、そんな気分にすらなってしまうのは、明らかにここ最近起きた出来事のせいだろう。
そんなことを考えていたからか、オレはすぐ近くまで誰かが迫ってきていることに、全く気づかなかった。
「……そんなところで突っ立って、何をしているんだい?」
その声がオレに向けられているものであると、どうしてかすぐに分かった。というより、考えるよりも前に体は声の主の方へと向いていた。……向かなければ良かったかもしれない。というのが、正直な感想だった。
「うわあ……」
「……キミ、もう少しまともな挨拶くらい出来ないのかな?」
この少し嫌味っぽい言い方は、紛れもなくアルセーヌだ。あれから二、三日経ってるからか、何となく久しぶりに会った感じがする。いや、言うほど久しぶりという訳でもないし、そもそも知り合いと呼ぶほど会ってないし、それ以前に別に会いたいなんて思ってないけど。ただ、出会ったくらいでは、もうなんとも思わなくなってしまっていた。慣れっていうのは怖い。
「……そっちこそ、こんなところで何してるの?」
「ああ……ちょっと、久しぶりに花でも手向けに行こうかと思ってね」
アルセーヌの言うとおり、その手には、オレには名前の分からない、簡素にラッピングされている一輪の花が持たれていた。それが何を意味するのかなんて、今この瞬間は別にどうでもよかったけど、次の言葉がアルセーヌの口から出てきた途端に、意味のあるものに変わる。
「……今から、レズリーの家に行こうと思っているんだけれど、一緒に行ってみるかい?」
「え……?」
思わず、呆けた返事を返してしまう。いや普通、そういうのってオレが行ったら駄目なんじゃないだろうか。あの出来事を無視したとして、確かその人って、もう死んでるんじゃ無かったっけ?わざわざオレを見つけたからといって、どうしてそんな話になるのだろう。
オレが一度、レズリーと会ったから?それとも、アルセーヌが……貴族が一緒だから、ついて行ってもいいということなのだろうか。どちらにしてもよく分からないけど。
「……貴族って、なに考えてるかよく分かんないね」
「そうかい?それは、キミがまだ何も知らないからじゃないのかな」
その言葉に、ほんの少しだけ眉が歪む。別にアルセーヌの言ったことがどうとかいう訳ではなく、単にそれが事実だったからだ。
確かに、あの日のオレはまるで小さな子供みたいに、知りたくないとはっきり拒絶した。だから、その言葉はまさしくその通りだった。
「どうして、キミがレズリーという人物に出会ったのか」
一歩、アルセーヌが何処かの道へと足を動かす。
「どうして、そのブレスレットを貰ったのか。どうして、彼に会わなければならなかったのか。そして何故、私が自ら、レズリーの家へとキミを案内しようとしているのか」
ひとつひとつ、オレが疑問に思っていたことを的確に言葉にしていく。その様子を例えるならば、まるで何処かの小説にでも出てきそうな、語り手のそれとよく似ているような気がした。
「少しでも知りたいと思うのならば、私は喜んで彼の家に案内するよ?」
アルセーヌに出会ってまだ間もないけど、なんというか、この人の言い方はとてもずるい。だって、こんなことを言われてしまったら、例えオレが、羅列されたそれらのことを全然気にしていなかったとしても、考えざるを得ないじゃないか。
でも、だからと言って、面倒なことに自ら首を突っ込むなんてことはしなくてもいいはずだ。いつものオレなら、考えるまでもなくそう結論付けていたと思う。いつもだったら、の話だけれど。
「……荷物、置いてきてからでいい?」
その言葉を聞いたアルセーヌは、柔らかな笑みを溢す。それを肯定だと捉えたオレは、答えを聞くよりも前に足を動かしまいそうになる。それはつまり、知りたくないと拒否していることが、嘘に近い何かだったということの表れだったのかも知れない。
「ここで待っているから、行っておいで」
「う、うん……っ!」
ああ、なんだ。何だかんだ言いながら、オレはちゃんと知りたがっているんじゃないか。気付けば、足は靴屋の方向へと歩みを進めている。それは、重たい荷物なんてものを感じさせない程によく動いていたが、そんな中で、ある疑問が頭を過る。
例えばの話だけれど、これが父さんと母さんについてのことだったら、オレはこうやって、素直に行動に移していたのだろうか、と。
◇
荷物を置いて戻って来たオレは、早速アルセーヌの後ろをついて歩いていた。
ローザおばさんには、簡潔に「出掛けてくる」ということと、遅くなるつもりはないけど、万が一のことがあるかも知れないから、「もしかしたら遅くなるかも知れない」ということだけ告げた。普段こんなことは余り言わないから、おばさんは少し困惑しているみたいだったけど、いつものように「気を付けてね」とだけ言って見送ってくれた。それが、どこか焦っていた気持ちを少しだけ落ち着かせてくれた。
「……今日は、アルベルいないんだね」
「いつも一緒なわけないだろう?彼とは、たまたま共に行動しなければならなくなっただけだからね」
「ふーん……」
それは確かにそうなのだけれど、オレからしたら、ふたりでいるところしか見ていなかったから、何処となく新鮮な気分になる。貴族が共に行動しないといけない程のことって、一体なんだろう。今聞いても、はぐらかされそうだから聞かないけど。
「ああ、ここだね。彼の家と繋がっているのは」
アルセーヌの目線の先にあるもの。それは、オレがあの変な空間に迷いこんだ時、何かに導かれるようにして入った路地裏だった。当たり前のように足を運んでいくアルセーヌの後を追って、薄暗い路地裏を進む。あの時と状況が違うからなのか、どうしても不安な自分がそこにはいた。
「……ねえ」
「なんだい?」
「……本当にこの先にあるの?」
「キミねえ……無ければわざわざこんな薄暗いところになんて、入らないとは思わないかい?」
「そ、そうだね……」
至極当たり前の言葉が返ってくるが、オレにはこの道の先にレズリーの家があるとはどうしても思えなかった。次にアルセーヌの口から出てきた言葉は、まるでオレの考えていることを全て分かってるかのようなものだった。
「……一般人が路地裏に入ったところで、彼の家に辿り着けるということはまずあり得ない。何故か分かるかい?」
その問いへの答えが思い浮かばないオレによって、少しの沈黙が訪れる。返事が返ってこないことが分かったからか、アルセーヌは歩きながら言葉を続けた。
「ここ一帯は、とある時期から彼の魔法で守られているんだ。だから、魔法を使える人間しか、彼の家に足を踏み入れるなんてことは出来ないのさ」
何となく、ではあるけど、アルセーヌの言ってることは分かる。つまり、貴族以外の人間はまずレズリーの家に入ることが出来ないということ。それは分かるんだけど、それと同時に、疑問がひとつ浮かび上がった。
「で、でも俺……ここに来たときはブレスレットなんて持ってなかったけど……」
独り言のようなオレの問いに、アルセーヌは答えない。その変わりに、全く別の言葉が返ってきた。
「まあでも……そのブレスレットがあるのなら、また彼に会えるかも知れないね」
「……え、なんで?」
純粋な疑問に、思わず声をあげてしまう。そういえば、レズリーも似たようなことを言ってたっけ。何かを答えようとしたのか、アルセーヌがオレに視線を向けるが、答えを聞くよりも前に、薄暗かったはずの世界は目映い光に包まれる。
これは本当に突然のことだったが、オレには、それが然るべきところに行くための合図であるということがすぐに分かった。何故なら、余りにも眩しい光に負けて閉じていたそれを開けた時。オレの目の前には、あの時と同じような景色が広がっていたから。
「……着いたね」
唯一、あの時とは確実に違うことがあるとするなら、傍にアルセーヌがいることくらいだろうか。どうしてかそれが、ほんの少しの安堵感を生み出しているというということに、この時のオレは気づくことが出来なかった。
「どうかしたかい?」
「いや、なんか……」
屋敷をじっと眺めているオレに、アルセーヌが問いかける。何か、一番最初に来た時とは違う違和感のようなものが、どうしても消えなくならなかった。
正門や、その先にある家。それに付随する周りの景観。まるで間違い探しのように、目の前にあるそれと自分の記憶を照らし合わせる。
そして、出てきたひとつの答えがあった。
「俺が来たときよりも、廃れてるから……」
ただひとつ、あの時と同じところがあるとするならば。ひらひらと舞っている木漏れ日が、寂しげに揺れているところくらいだった。
◇
「……今って、誰も住んでないんだよね?」
「そのはずだけれど、魔法の使える趣味の悪い誰かが勝手に住みついている……という可能性も、まあなくはないのかな」
アルセーヌの手によって、正門が開かれる。その時に現れる耳を掠める音が、古くなっている為であるという証拠だった。目の前にそびえ立つ家には目もくれず、すぐに庭のほうへと歩みを進めていく。迷いのないその行動は、アルセーヌがレズリーと知り合いだったのだろうか?という疑問を生むには十分だった。
「さて……」
庭に揺れている木漏れ日が、何処か歓迎の意を示していないような気がしたのは、恐らく風が少し冷たいからだろう。
庭には、オレが見た座ったであろうイスや、テーブルが並べられていたが、それはもはや、自分の居場所とでも言わんばかり庭に伸びた、ツルの定位置のようだった。そして、今の状況であれば当たり前なのだけれど。ティーカップやそれに付随するもの。それと、沢山並べられていたクッキーなんてものは、置いてなどいない。どうしてか、それに違和感を覚えてしまった。
アルセーヌが向かった先にあるのは、本来あるはずの水が枯れ果てている小さな噴水。落ちてそのまま枯れ葉になったそれが、寂しげに残っているのを少し眺めた後、上に被せるようにして、手にしていた一輪の花を包みごと添えた。
「ここなの? レズリーが死んだのって……」
「いや、彼が亡くなったであろう場所は、家の中ではあるのだけれど……」
言葉を探しているかのように、アルセーヌはいい淀む。
「……どうも、入る気にはなれなくてね」
優しく笑みを溢すアルセーヌだけど、その瞳はどこか寂しそうに見えた。一時の沈黙が訪れるが、その中でも風はゆっくりと流れ続ける。それは、まるでお喋りな人同士の会話のように、いつまでもオレらのまわりを取り巻いていた。
鬱陶しく感じてしまいそうになる程のそれは、アルセーヌが話を切り出したことによって、気にも留めることのないであろういつものそれに変わる。
「……そういえば聞いていなかったけど、路地裏を歩いていたらここにたどり着いたんだったね?」
「う、うん……」
「それ以外に、何か変わったことは無かったかい?」
「変わったこと?」
「そうだね……例えば、普段ではあり得ないような何かが起きた、とか」
普段では有り得ないこと、という言葉を聞いて、オレはそれに当てはまるであろう出来事を真っ先に思い出す。あの、誰の気配もなかった街の空間のことだ。言ってもいいものなのか、と、思いはしたけど。
「……この家に来る前、市場の噴水に行ったんだけど」
ぽつぽつと、アルセーヌを見ることなく口を動かす。
「何か、声が聞こえて」
「声?」
言おうかどうしようか。なんていう一瞬の迷いは当然あったけど、こういう意味の分からない出来事というものを、自分の中でかみ砕いて理解できるほどの情報を、オレはまだ何も持っていないから。
「多分、レズリーの声……」
こうして、目の前にいるアルセーヌに言うことしかできなかった。
記憶を辿りながら、ひとつひとつの出来事をアルセーヌに話す。手持ち無沙汰になっているオレの両手は、整備されていない噴水に落ちている葉っぱを手に取ったりと、酷く落ち着かない様子だった。
オレが話したのは、市場の先にある広場の噴水の近くから、レズリーらしき人の声が聞こえたということ。その声のする方へと体を向けると、そこには誰の気配も感じない街が広がっていたこと。そして、さっきアルセーヌと通った路地裏を進んでいくと、今オレらが足を踏み入れているこの場所よりは、幾分か綺麗な屋敷がそこにあったということ。そして、そこには行方不明とされているレズリーがいたということ。そのレズリーにブレスレットを貰い、気付いた時にはいつもの市場へと戻っていたということ。
このオレが体験した出来事を、アルセーヌがどこまで信じるのかは分からない。だからというわけではないけれど、誰か……女の人らしき声が、頭にチラついたということを話すことはしなかった。それは、決して忘れていたという訳でも、意図的に離さなかったという訳ではない。ただ、そこにある不確かなとある感情によって、オレの口から零れることを拒んだのだ。
「……そうか」
話せることは一通り話し終わったあと、アルセーヌは一言だけ言葉を漏らしたが、それは、まるで独り言のように、噴水の中へと落ちた。
「……今のって、言ってなかったっけ?」
「あの時のキミ、相当機嫌悪かっただろう?だから私は、必要最低限のことしか聞いていないよ」
「そう、だったかも……。いや、うん。反省はちょっとしてるけど」
「構わないさ。至極当然の態度だと私は思うよ。それに……」
アルセーヌが、オレの方に顔を向ける。
「いや……今は、至って普通だね」
その表情は、どこか嬉しそうで、ある意味では楽しそうにも見えた。
「だ、だって、今日は自分からついてきたんだし……」
自覚の無かったそれを指摘され、どうにもいたたまれない気持ちになる。何というか、今この瞬間までの一連の流れが、オレもまだ子供なのだということを証明するかのようで。これが、いわゆる羞恥心のようなものであるということに気付くのに、少しだけ時間がかかった。
「というか、その……アルセーヌからしたら、ここに来るのって寄り道だったんじゃないの?」
「ああいや、今日は元々ここに来ようと思って――」
アルセーヌの言葉が止まる。目線の先は、オレではなくその奥にある何か。オレは、それが何かを確かめるために振り向いた。
「これ……」
そこにあったのは、オレらが足を踏み入れたはずの廃れた屋敷ではなく、あの時にみた、オレの知っている屋敷の姿だった。
「じゃあ、また来てね」
「う、うん……ありがと」
五人分のご飯となれば、そうなるのも当たり前ではあるけれど。面倒かと聞かれれば、まあ否定は出来ない。でも、それに文句があるわけではないし、オレにはそれくらいしか出来ないから。だから、別にそれに関してはどうとも思わない。
食料品を買う場所はいつも決まっていて、市場ではなく、靴屋を右に出て真っ直ぐ歩いた先。ほんの少しだけ人通りの少ない場所にあるお店だ。そこの人は、俺も前から知っている人で、行けば当然世間話が行われる。話を聞くくらいなら別にいいけど、オレについての話になるのは、なんて言うかちょっと困る。
別に、何か面白い話があるわけでもないし、かといって話すようなことがあるわけでもない……訳でもないけど。店主に適当な挨拶をして、いつも逃げるようにして店を後にしてしまうのだって、良いことなんかじゃないっていうのは分かってる。分かってはいるけど、色々と聞かれることが好きじゃないってことも事実なのだ。
市場から少し離れていると言っても、人はそれなりにいるわけで。重い荷物を持っていると、どうしても人にぶつかりそうになる。そんな道中でも必ず目に入るのは、路地裏に繋がる細い道。……いや、これは普通にただの細い道のような気がする。なんかもう、全部路地裏なんじゃないかみたいな、そんな気分にすらなってしまうのは、明らかにここ最近起きた出来事のせいだろう。
そんなことを考えていたからか、オレはすぐ近くまで誰かが迫ってきていることに、全く気づかなかった。
「……そんなところで突っ立って、何をしているんだい?」
その声がオレに向けられているものであると、どうしてかすぐに分かった。というより、考えるよりも前に体は声の主の方へと向いていた。……向かなければ良かったかもしれない。というのが、正直な感想だった。
「うわあ……」
「……キミ、もう少しまともな挨拶くらい出来ないのかな?」
この少し嫌味っぽい言い方は、紛れもなくアルセーヌだ。あれから二、三日経ってるからか、何となく久しぶりに会った感じがする。いや、言うほど久しぶりという訳でもないし、そもそも知り合いと呼ぶほど会ってないし、それ以前に別に会いたいなんて思ってないけど。ただ、出会ったくらいでは、もうなんとも思わなくなってしまっていた。慣れっていうのは怖い。
「……そっちこそ、こんなところで何してるの?」
「ああ……ちょっと、久しぶりに花でも手向けに行こうかと思ってね」
アルセーヌの言うとおり、その手には、オレには名前の分からない、簡素にラッピングされている一輪の花が持たれていた。それが何を意味するのかなんて、今この瞬間は別にどうでもよかったけど、次の言葉がアルセーヌの口から出てきた途端に、意味のあるものに変わる。
「……今から、レズリーの家に行こうと思っているんだけれど、一緒に行ってみるかい?」
「え……?」
思わず、呆けた返事を返してしまう。いや普通、そういうのってオレが行ったら駄目なんじゃないだろうか。あの出来事を無視したとして、確かその人って、もう死んでるんじゃ無かったっけ?わざわざオレを見つけたからといって、どうしてそんな話になるのだろう。
オレが一度、レズリーと会ったから?それとも、アルセーヌが……貴族が一緒だから、ついて行ってもいいということなのだろうか。どちらにしてもよく分からないけど。
「……貴族って、なに考えてるかよく分かんないね」
「そうかい?それは、キミがまだ何も知らないからじゃないのかな」
その言葉に、ほんの少しだけ眉が歪む。別にアルセーヌの言ったことがどうとかいう訳ではなく、単にそれが事実だったからだ。
確かに、あの日のオレはまるで小さな子供みたいに、知りたくないとはっきり拒絶した。だから、その言葉はまさしくその通りだった。
「どうして、キミがレズリーという人物に出会ったのか」
一歩、アルセーヌが何処かの道へと足を動かす。
「どうして、そのブレスレットを貰ったのか。どうして、彼に会わなければならなかったのか。そして何故、私が自ら、レズリーの家へとキミを案内しようとしているのか」
ひとつひとつ、オレが疑問に思っていたことを的確に言葉にしていく。その様子を例えるならば、まるで何処かの小説にでも出てきそうな、語り手のそれとよく似ているような気がした。
「少しでも知りたいと思うのならば、私は喜んで彼の家に案内するよ?」
アルセーヌに出会ってまだ間もないけど、なんというか、この人の言い方はとてもずるい。だって、こんなことを言われてしまったら、例えオレが、羅列されたそれらのことを全然気にしていなかったとしても、考えざるを得ないじゃないか。
でも、だからと言って、面倒なことに自ら首を突っ込むなんてことはしなくてもいいはずだ。いつものオレなら、考えるまでもなくそう結論付けていたと思う。いつもだったら、の話だけれど。
「……荷物、置いてきてからでいい?」
その言葉を聞いたアルセーヌは、柔らかな笑みを溢す。それを肯定だと捉えたオレは、答えを聞くよりも前に足を動かしまいそうになる。それはつまり、知りたくないと拒否していることが、嘘に近い何かだったということの表れだったのかも知れない。
「ここで待っているから、行っておいで」
「う、うん……っ!」
ああ、なんだ。何だかんだ言いながら、オレはちゃんと知りたがっているんじゃないか。気付けば、足は靴屋の方向へと歩みを進めている。それは、重たい荷物なんてものを感じさせない程によく動いていたが、そんな中で、ある疑問が頭を過る。
例えばの話だけれど、これが父さんと母さんについてのことだったら、オレはこうやって、素直に行動に移していたのだろうか、と。
◇
荷物を置いて戻って来たオレは、早速アルセーヌの後ろをついて歩いていた。
ローザおばさんには、簡潔に「出掛けてくる」ということと、遅くなるつもりはないけど、万が一のことがあるかも知れないから、「もしかしたら遅くなるかも知れない」ということだけ告げた。普段こんなことは余り言わないから、おばさんは少し困惑しているみたいだったけど、いつものように「気を付けてね」とだけ言って見送ってくれた。それが、どこか焦っていた気持ちを少しだけ落ち着かせてくれた。
「……今日は、アルベルいないんだね」
「いつも一緒なわけないだろう?彼とは、たまたま共に行動しなければならなくなっただけだからね」
「ふーん……」
それは確かにそうなのだけれど、オレからしたら、ふたりでいるところしか見ていなかったから、何処となく新鮮な気分になる。貴族が共に行動しないといけない程のことって、一体なんだろう。今聞いても、はぐらかされそうだから聞かないけど。
「ああ、ここだね。彼の家と繋がっているのは」
アルセーヌの目線の先にあるもの。それは、オレがあの変な空間に迷いこんだ時、何かに導かれるようにして入った路地裏だった。当たり前のように足を運んでいくアルセーヌの後を追って、薄暗い路地裏を進む。あの時と状況が違うからなのか、どうしても不安な自分がそこにはいた。
「……ねえ」
「なんだい?」
「……本当にこの先にあるの?」
「キミねえ……無ければわざわざこんな薄暗いところになんて、入らないとは思わないかい?」
「そ、そうだね……」
至極当たり前の言葉が返ってくるが、オレにはこの道の先にレズリーの家があるとはどうしても思えなかった。次にアルセーヌの口から出てきた言葉は、まるでオレの考えていることを全て分かってるかのようなものだった。
「……一般人が路地裏に入ったところで、彼の家に辿り着けるということはまずあり得ない。何故か分かるかい?」
その問いへの答えが思い浮かばないオレによって、少しの沈黙が訪れる。返事が返ってこないことが分かったからか、アルセーヌは歩きながら言葉を続けた。
「ここ一帯は、とある時期から彼の魔法で守られているんだ。だから、魔法を使える人間しか、彼の家に足を踏み入れるなんてことは出来ないのさ」
何となく、ではあるけど、アルセーヌの言ってることは分かる。つまり、貴族以外の人間はまずレズリーの家に入ることが出来ないということ。それは分かるんだけど、それと同時に、疑問がひとつ浮かび上がった。
「で、でも俺……ここに来たときはブレスレットなんて持ってなかったけど……」
独り言のようなオレの問いに、アルセーヌは答えない。その変わりに、全く別の言葉が返ってきた。
「まあでも……そのブレスレットがあるのなら、また彼に会えるかも知れないね」
「……え、なんで?」
純粋な疑問に、思わず声をあげてしまう。そういえば、レズリーも似たようなことを言ってたっけ。何かを答えようとしたのか、アルセーヌがオレに視線を向けるが、答えを聞くよりも前に、薄暗かったはずの世界は目映い光に包まれる。
これは本当に突然のことだったが、オレには、それが然るべきところに行くための合図であるということがすぐに分かった。何故なら、余りにも眩しい光に負けて閉じていたそれを開けた時。オレの目の前には、あの時と同じような景色が広がっていたから。
「……着いたね」
唯一、あの時とは確実に違うことがあるとするなら、傍にアルセーヌがいることくらいだろうか。どうしてかそれが、ほんの少しの安堵感を生み出しているというということに、この時のオレは気づくことが出来なかった。
「どうかしたかい?」
「いや、なんか……」
屋敷をじっと眺めているオレに、アルセーヌが問いかける。何か、一番最初に来た時とは違う違和感のようなものが、どうしても消えなくならなかった。
正門や、その先にある家。それに付随する周りの景観。まるで間違い探しのように、目の前にあるそれと自分の記憶を照らし合わせる。
そして、出てきたひとつの答えがあった。
「俺が来たときよりも、廃れてるから……」
ただひとつ、あの時と同じところがあるとするならば。ひらひらと舞っている木漏れ日が、寂しげに揺れているところくらいだった。
◇
「……今って、誰も住んでないんだよね?」
「そのはずだけれど、魔法の使える趣味の悪い誰かが勝手に住みついている……という可能性も、まあなくはないのかな」
アルセーヌの手によって、正門が開かれる。その時に現れる耳を掠める音が、古くなっている為であるという証拠だった。目の前にそびえ立つ家には目もくれず、すぐに庭のほうへと歩みを進めていく。迷いのないその行動は、アルセーヌがレズリーと知り合いだったのだろうか?という疑問を生むには十分だった。
「さて……」
庭に揺れている木漏れ日が、何処か歓迎の意を示していないような気がしたのは、恐らく風が少し冷たいからだろう。
庭には、オレが見た座ったであろうイスや、テーブルが並べられていたが、それはもはや、自分の居場所とでも言わんばかり庭に伸びた、ツルの定位置のようだった。そして、今の状況であれば当たり前なのだけれど。ティーカップやそれに付随するもの。それと、沢山並べられていたクッキーなんてものは、置いてなどいない。どうしてか、それに違和感を覚えてしまった。
アルセーヌが向かった先にあるのは、本来あるはずの水が枯れ果てている小さな噴水。落ちてそのまま枯れ葉になったそれが、寂しげに残っているのを少し眺めた後、上に被せるようにして、手にしていた一輪の花を包みごと添えた。
「ここなの? レズリーが死んだのって……」
「いや、彼が亡くなったであろう場所は、家の中ではあるのだけれど……」
言葉を探しているかのように、アルセーヌはいい淀む。
「……どうも、入る気にはなれなくてね」
優しく笑みを溢すアルセーヌだけど、その瞳はどこか寂しそうに見えた。一時の沈黙が訪れるが、その中でも風はゆっくりと流れ続ける。それは、まるでお喋りな人同士の会話のように、いつまでもオレらのまわりを取り巻いていた。
鬱陶しく感じてしまいそうになる程のそれは、アルセーヌが話を切り出したことによって、気にも留めることのないであろういつものそれに変わる。
「……そういえば聞いていなかったけど、路地裏を歩いていたらここにたどり着いたんだったね?」
「う、うん……」
「それ以外に、何か変わったことは無かったかい?」
「変わったこと?」
「そうだね……例えば、普段ではあり得ないような何かが起きた、とか」
普段では有り得ないこと、という言葉を聞いて、オレはそれに当てはまるであろう出来事を真っ先に思い出す。あの、誰の気配もなかった街の空間のことだ。言ってもいいものなのか、と、思いはしたけど。
「……この家に来る前、市場の噴水に行ったんだけど」
ぽつぽつと、アルセーヌを見ることなく口を動かす。
「何か、声が聞こえて」
「声?」
言おうかどうしようか。なんていう一瞬の迷いは当然あったけど、こういう意味の分からない出来事というものを、自分の中でかみ砕いて理解できるほどの情報を、オレはまだ何も持っていないから。
「多分、レズリーの声……」
こうして、目の前にいるアルセーヌに言うことしかできなかった。
記憶を辿りながら、ひとつひとつの出来事をアルセーヌに話す。手持ち無沙汰になっているオレの両手は、整備されていない噴水に落ちている葉っぱを手に取ったりと、酷く落ち着かない様子だった。
オレが話したのは、市場の先にある広場の噴水の近くから、レズリーらしき人の声が聞こえたということ。その声のする方へと体を向けると、そこには誰の気配も感じない街が広がっていたこと。そして、さっきアルセーヌと通った路地裏を進んでいくと、今オレらが足を踏み入れているこの場所よりは、幾分か綺麗な屋敷がそこにあったということ。そして、そこには行方不明とされているレズリーがいたということ。そのレズリーにブレスレットを貰い、気付いた時にはいつもの市場へと戻っていたということ。
このオレが体験した出来事を、アルセーヌがどこまで信じるのかは分からない。だからというわけではないけれど、誰か……女の人らしき声が、頭にチラついたということを話すことはしなかった。それは、決して忘れていたという訳でも、意図的に離さなかったという訳ではない。ただ、そこにある不確かなとある感情によって、オレの口から零れることを拒んだのだ。
「……そうか」
話せることは一通り話し終わったあと、アルセーヌは一言だけ言葉を漏らしたが、それは、まるで独り言のように、噴水の中へと落ちた。
「……今のって、言ってなかったっけ?」
「あの時のキミ、相当機嫌悪かっただろう?だから私は、必要最低限のことしか聞いていないよ」
「そう、だったかも……。いや、うん。反省はちょっとしてるけど」
「構わないさ。至極当然の態度だと私は思うよ。それに……」
アルセーヌが、オレの方に顔を向ける。
「いや……今は、至って普通だね」
その表情は、どこか嬉しそうで、ある意味では楽しそうにも見えた。
「だ、だって、今日は自分からついてきたんだし……」
自覚の無かったそれを指摘され、どうにもいたたまれない気持ちになる。何というか、今この瞬間までの一連の流れが、オレもまだ子供なのだということを証明するかのようで。これが、いわゆる羞恥心のようなものであるということに気付くのに、少しだけ時間がかかった。
「というか、その……アルセーヌからしたら、ここに来るのって寄り道だったんじゃないの?」
「ああいや、今日は元々ここに来ようと思って――」
アルセーヌの言葉が止まる。目線の先は、オレではなくその奥にある何か。オレは、それが何かを確かめるために振り向いた。
「これ……」
そこにあったのは、オレらが足を踏み入れたはずの廃れた屋敷ではなく、あの時にみた、オレの知っている屋敷の姿だった。