薄暗い部屋は、どうしてか僕の落ち着かせる。その空間に包まれながら、何を考えるでもなくひとり静かに定位置である窓枠に座り、目を閉じていた。窓から射し込むいくつかの小さな光が、辛うじて僕のことを捉えている。無造作にテーブルに置かれたコーヒーなんて、既に冷めきってしまっていた。
ぱたぱたと、部屋の外から世話しない足音が聞こえてくる。その音は僕の部屋の近くで止まり、ほんの少し間を置いて、ノックする音が聞こえてきた。ノックされたのは、この部屋だ。
「兄さま……?」
誰かが、僕のことを呼んでいる。僕のよく知っている声の主は、僕の返事を待たずに扉を開ける。彼女のためにと、重くのし掛かる瞼をゆっくりと開けた。
「……ああサラ、そんなに急いでどうしたの?」
「えっと、その……近いうちに、一緒に図書館に行きませんか?あっ、兄さまが良ければ、ですけど」
少しおどおどした様子で話しかけてくる僕の妹の両手には、いつだったかに図書館で借りた本が握られていた。それがどういう意味を持つのかなんて、考えるまでもなかった。
「いいよ。そうだな……明後日の午後にでも行こうか?丁度僕も、クレイヴさんのところに行かないとって思っていたんだ」
「本当ですか? じゃ、じゃあ、明後日楽しみにしてますねっ」
サラは嬉しそうに、そしてどこか安堵した様子を見せる。ふわりと髪の毛を靡かせる様子は、感情を表しているかのようで、その君の姿に自然と僕も笑みが溢れてしまう。ああ、どうして彼女はこんなにも可愛らしい笑顔を僕に向けてくれるのだろうか。
だけど、そんな感情なんて、一瞬で何処かに消えてしまうということは、最初から知っていた。
「それはいいけれど……。さっきは随分と急いでこっちに来たみたいだったね。何かあったの?」
「だ、だって……。兄さますぐ何処かに行っちゃうから、見つけたら早く言わないとって思って……」
「あー……。そうか、そうだね。ごめん」
言いづらそうにしながらも言葉を紡ぐ彼女は、本で口を隠してしまう。両手で大切そうに抱えているそれを見ると、僕の心に抜けない針が刺さってしまったかのように、胸が痛むのが分かる。目的はきっと、本を返すことでも借りることでもないのだろう。
本は特別好きでも嫌いでもないが、サラの手にしているそれは、それだけは。見ているとどうしても腹が立ってしまう。そんな醜い感情を落ち着かせるように、僕はサラとの距離を詰めながら言葉を吐いた。
「サラのお願いだったら、僕はなんでも聞いてあげるから」
彼女に笑顔を向けながら、静かに、淡々と。
「だから、いつでも僕を捕まえにおいで?」
少し驚いたように見せながらも、嬉しそうに笑みを溢したと同時に、ふわりと髪の毛が舞う。彼女の愛らしい笑顔を見るだけで、僕は救われてしまうのだ。
「は、はいっ。あ……でもなんでもはちょっと……」
「ふふ、分かっているよ」
他愛のないいつもの会話。それが僕にとっては、どれほど幸せな事実であるのかという事を、きっと彼女は知らないだろう。
ああどうか。何てことない、この日常が終わらないようにと願いながらも、早く誰かがこの茶番を終わらせてはくれないだろうかとも思ってしまっている自分がいる。そんな壊れた矛盾が、いつしか酷く心地よく感じてしまっていた。
◇
変な空間に迷い混んでから数日。オレの身の回りでは、特に変わったことは起きていない。強いていうなら、あの広場と路地裏の近くには行かなくなったという事くらいだろうか。
オレの中から、あの出来事が消えることはなかったけど、それを抜きにしても、至って普通の日々を過ごしていた。
「あ、お兄ちゃんブレスレットしてる」
「え? ああ、まあね……」
「彼女出来たの?」
「いや違うし。というか、それおじさん達にも散々言われたから聞き飽きたよ」
今のオレは、例のごとくエトガーに掴まっている。市場と言えど、平日の午前中は人がそんなに多くはない。靴屋も大体似たようなものだから何となく出てきたけど、行くところなんてあるわけも無く、特に意味もなくエトガーの店を訪れたのだ。
ただ、余り長居するのも悪いし、何処か他に行ける場所をさっきから考えているけど、これが全然思い浮かばない。普段余り出かけない人間だから、こういう時はとても困る。広場と市場以外に、オレが入れるような場所なんてあっただろうか?
「ねえ、ここら辺でオレらが行けるようなところってあるっけ?」
「えー? ……うーん、ここ抜けた先の広場と……。あ、図書館くらい?俺は行ったことないけど」
「あーそっか、図書館か……」
「行くの?」
「いや、何処か暇潰せるところないかなあって」
そういえばそうだ。貴族が運営してる図書館があったのを忘れていた。……運営してるのが貴族っていうところが若干引っ掛かるけど、一回も入ったことないから行ってみるのもいいかも知れない。
「ちょっと図書館行ってみるね」
「じゃあ、俺もついていこっかなー」
「え? 何で?」
「だって暇なんだもーん。お客さんはいるけど、店番ならお父さんもいるし、問題ないって」
「そういうことじゃない気がするんだけど……。まあ良いか」
「お父さんに話してくるねっ」
そう言ってエトガーが足早に奥へと向かう。そして、ものの十秒程でこっちに戻ってきた。どうやらオレらの話は奥まで聞こえていたらしく、エトガーが話を切り出す前に承諾してくれたようだった。
「おっけーだって。お兄ちゃん、早く行こっ!」
「あ、ちょっ……分かったから引っ張らないでって!」
言いながらオレの手を掴んだエトガーは、いかにも待ちきれないといった様子で走り出した。危うく転びそうになったけど、何とか持ち堪えてスピードを合わせる。別に図書館は逃げないんだし、急がなくたっていいのに。
でもそのエトガーの様子が、オレの目にはいつにも増して元気に映っていたから、こういうのもたまには悪くないのかな、なんてらしくもないことを思ってしまう。
少し走って満足したのか、オレらはいつの間にか普通に歩いていた。エトガーは相変わらず、オレの左腕に絡み付いている。それは別に良いんだけど、やっぱりちょっと歩きにくい。
「久しぶりだねー、お兄ちゃんとこうやって歩くの」
「あー……そうだっけ?」
エトガーはそう言うけど、二人で何処か出掛けたことってあっただろうか? たまに買い物してる時に偶然会ったりすることはあるけど、もしかしてそれのことを言っているのかも知れない。
「ところでさー、オレの店を差し置いてそのブレスレットどうしたの?」
「貰ったんだよ。……貰ったっていうか、押し付けられた気はするけど」
「ふーん? じゃあ今度はさー、俺のところのヤツ買っていってよ」
「あーうん。今度ね、今度」
いつものように適当にあしらうが、「絶対だよ、絶対!」と念を押されてしまった。これは、いよいよ無理矢理にでも買わされる日が来てしまう知れない。
「あ、あれだよね? 図書館って」
エトガーの声につられ、辺りを見回す。少し開けた場所に、屋敷に似た大きな建物があるのが見える。何となく、他の建物とは少し雰囲気が違う感じがするし、恐らくあそこなのだろう。
「へへ、何か緊張感するね」
「うん……」
はじめて入る場所というのは、何故か妙に緊張してしまうというもの。オレは、図書館の入り口である少し大きめの取っ手に手をかけ、力を込めた。
◇
扉を開けると、オレより先にエトガーが中に入る。そして、まるで珍しいものを見るかのように、辺りを見回していた。大きな本棚に沢山の本が敷き詰められている空間というのは、確かに目を見張るものがある。まあでも、それはオレが今日はじめてここに来たから感じるものであって、きっとこれが、いわゆる図書館の雰囲気というものなのだろう。それと、図書館ってもっと静かな場所かと思っていたけど、何というか、思っていた程ではないように感じる。何処もこんな感じなのだろうか?
「広いよお兄ちゃんっ」
エトガーのその様子。な、なんかいつもよりテンション高いし、目がキラキラしてるような気がする。ま、まあ楽しそうだし別にいっか。
「あ、俺あそこがいいなー」
オレの腕を引っ張るエトガーにつれていかれる。そこは、受付が見える少し奥のテーブルだ。
「俺さっそく見てくるけど、おにーちゃんはどうする?」
「先行ってきていいよ。ここで待ってるから」
「そう?じゃあ行ってくるね」
目当ての本があるのか、エトガーは足早に本を探しに向かった。そういえば、オレはただ何となくここに来たけど、本には余り興味がないし、見たいものなんて無いんじゃないか?いや、ちゃんと探せばオレでも読める本があるかも知れないし、取りあえず館内を一周してみるのも、探検みたいで悪くないかな。
エトガーが戻ってくるまでは特にすることがないオレは、特に意味もなく辺りを眺めていた。というより、どこかそわそわしていた。平日のこの時間だからか、人はそんなに多くはないように見える。どうやら喋り声が聞こえるのは受付の側だけのようで、ここは至って静かだった。まあ、当たり前と言われればそうなんだけど。
唯一、オレの視界に入っているのは、もうひとつのテーブルの向こうにある受付で、本を読んでいる司書らしい人くらい。
何となく、だけど。その受付にいる人の雰囲気が、普通の人とは違うように感じる。その人が図書館の館長である貴族だと言うなら、オレの感じたそれも何となく理由がつく。でも、見る限りオレと歳は変わらなさそうだし、この人が館長だということは無いと思うんだけど……。
本に視線を落としていた受付の人が、ちらりとオレの方を見る。ばっちりと目が合ってしまい、咄嗟に視線を逸らす。それは一瞬の出来事だったけど、凄い見てくんなコイツ、とでも思われてしまっただろうか。
「お待たせー」
何とも気まずい空気を払拭するかのように、エトガーの声で現実へと引き戻される。よかった。ひとりでいたら完全に不審者だった。
「早かったね。なに持ってきたの?」
「うーん……何かよく分かんなかったから、適当に持ってきちゃった」
「あ、そう……」
テーブルに置かれた本の表紙を見るに、児童書に近いように見える。適当に、とは言いつつも、何だかんだそれっぽい本を選んできたようだった。
「じゃあ、オレもちょっと見てくるね」
「行ってらっしゃーい」
エトガーの声を聞きつつ、オレは席を立つ。はじめて来たんだし、取りあえず館内を一周でもしてみようか。
出来るだけ自然に、立ったときにたまたま視界に入ってしまったくらいの感じで、もう一度受付へと視線を向ける。その人は、もうオレのことなんて気にも留めていない、といった様子で本を読んでいた。
ああそうだ。受付にいる人の雰囲気が何処と無く違うと感じてしまったのは、きっと図書館の空気にのまれてそういう風に感じただけだ。うん、多分そうだよね。まるで自分に言い聞かせるかのように、そんな考えを頭の隅に残し、この場を後にした。
◇
宛もなく、ただ単に館内をさ迷っている。適当な本棚を見つけては適当に手に取って、別に興味もないから元の場所に戻す。ということを何度か繰り返していた。なんか、静かな雰囲気も相まって、段々眠くなってきた気がする。いや、気がするだけだよね、うん。
二階にも本はあるらしいが、どうもそこまで行く気にはならない。案内板を見た限り、上の階は専門書が主らしいから、別に行かなくてもいいんだけど。
児童書や、いわゆる小説のあるところは一応見たものの、いまいちよく分からなくて通り過ぎてしまった。まあでも、エトガーを余り待たせるのも悪いし、オレも適当に選んでさっさと戻ってしまったほうがいいかも知れない。そう思いながら、適当に歩いて辿り着いた棚に並べられている本を眺めている。どうやらここは、服とか裁縫とか、そういう系の本があるエリアらしかった。適当に手に取ったそれらの本を眺めていて、思い出したことがある。ローザおばさんが、よくセリシアやレノンの服を空き時間に作っている様子だ。
何年も前、オレがあの家に来て暫くした時も「シントくんの為に」って何着も作ってくれたことがあった。その服を、今度はレノンが着たりとかして。何というか、本当の家族になったような気分になってしまったものだ。
そういえば、オレの両親がどうして死んだかとか、何をしている人だったのかとか。そういうのを全然知らないままだ。おじさんかおばさんに聞いたら教えてくれるんだろうけど、別に、そこに関しての興味は余りない。
おじさんとおばさんは、オレの両親と仲が良かったらしく、それもあってか、両親が死んで暫くした後、引き取ってくれたらしい。その時のオレは確か三、四歳くらいだったから、何があったかは全然覚えていない。子供の頃のことだからと言われればそれまでだけど、親の顔も、どうやって過ごしていたのかも、どんな人だったのかも、本当に何も覚えていないのだ。別に、無理して知ろうとも思わないけど。
手にしていた本を元に戻そうとした時、ひとつの本がオレの目に留まる。
「靴百科……」
下の段にあったそれを取るためにしゃがみ、その場で本を開く。靴には別にそこまで興味はないが、オレがあくまで居候として住まわせてもらっているマーティスおじさんの家は靴屋だし、オレが店番という名の手伝いをすることも少なくない。だから、もう少しちゃんと勉強しておいた方がいいのかなって思っていたところではあった。ずっとあそこに居るわけにもいかないけど、もう少し役に立たないと、ね。
誰かの足音を聞きながらページをめくる。少しずつ、その音が近付いてくるのが分かった。最初は、ただ単に館内を歩いているのだと思っていたけど、わざとかと思う程に聞こえてくる足音が、どうしてかやけに耳についた。そして、その音はオレの右側で立ち止まる。それは、明らかにオレのことを捉えていた。その人が履いている黒くてシンプルな革靴は、つい最近、何処かで見たことがあったのを覚えている。ああそう、路地裏で出会ったとある貴族が履いていたもの。正しくそれだった。
靴が視界に入った時、反射的に顔を上げてしまう。そこにいたのは、やっぱりオレの記憶にあった通りの人物だった。
「やあ、久しぶりだね」
「うわあ……」
思わず変な声が口からこぼれ落ちる。どうやら、自分が思っているよりも会いたくない人物だったらしい。
「たまたま二階でキミ達のことを見かけたものでね。今日は知り合いと一緒のようで、安心したよ」
「ま、まあね……」
確かこの人の名前はアルセーヌ……だったかような気がする。答え終わった後、本を手にもったまましゃがんでいた体を起こす。偶然オレらのことを見つけたというのが、果たして本当かどうかはともかく、安心したというのは一体どういう意味なのだろうか。その貴族は、チラリとオレの持っている本を見つめ、ひとつの問いかけをした。
「……靴、好きなのかい?」
「いや、別に……普通かな」
何とも適当な答えを返したけど、決して嘘はついていない。特別好きでも、嫌いでもないし。これが普通の知り合いだったらただの世間話で済むけれど、でも多分、この人が聞きたいのはこんなことじゃ無いのだろうということは、よく分かっている。
「っていうか、世間話をしに話しかけてきた訳じゃないんでしょ?」
オレから話を切り出すとは思っていなかったのか、少し驚いた様子を見せる。だが、それは一瞬のこと。すぐに笑顔によってかき消された。
「次に会う時は話を聞かせてもらうと言ったけど、生憎キミには先客がいるらしいからね。今日は止めておくとするよ。キミにわざわざ会いに来たのは、明日のキミの予定を聞こうと思ってね」
「明日?」
つまりは、オレの予定が入ってないうちに日程を押さえておこうということらしい。ここで変に嘘をついたとしても、どうせいつかは捕まってしまう気がするし、きっと面倒なことになる。オレは、至極簡単に答えを述べた。
「……まあ、空いてるけど」
「そうか。じゃあ明日、私と少し話をしないかい?十四時頃に広場に来てくれたまえ。私の家にでも案内するよ」
「え、広場……?」
「何か不満かな?」
「いや……分かったよ。十四時に広場ね、うん」
広場という単語に、思わず反応してしまう。貴族と会わなければいけないというのは面倒だけれど、どちらかと言うと、それよりもあの広場に行くことの方が嫌なのかも知れない。まあでも、最悪何かあっても貴族と一緒なら、リスク的には低いかも知れない。
「ああそうだ。すっかり忘れていたけれど、私のことはアルセーヌと呼んでくれたまえ」
「あ、うん……」
「……で、キミの名前は?」
「え、ああ……シントだけど……」
「じゃあシント君、私はこれで」
以外とあっさり引き下がるその人の後ろ姿を、何を考えるでもなく、ただ単に眺めていた。
「……オレも戻ろう」
本を探しに行くと言ってから、結構時間が経ってしまった気がする。取りあえず手にもった靴百科と一緒に、エトガーの元に戻ることにした。
◇
「そっかあ……じゃあこれの続編があるってこと?」
「うん。タイトルがちょっと違うから、分かりにくいかも知れないけど……」
「へー……お兄さんって詳しいんだね」
「そうでもないよ。昔に読んだきっりだから……。僕も、帰ったらその本探してみようかな」
エトガーが、誰かと喋っている声が聞こえてくる。本と本の隙間を這うようにして聞こえる声は、オレが足を動かすたびに段々近くなってくる。何だかよく分からないけど、盛り上がっているように聞こえた。
「ところで、お兄さんって貴族?」
「え? ああ……まあね」
「へー……俺、貴族の人とはじめて喋ったかも」
……なんか、とても嫌な予感がする。そういえば、エトガー以外の誰かの声。この声を、オレは何処かで聞いたことあったような気がしてならない。足を進めていけば、自然と本棚が視界から無くなり、通路が見える。少し開けた場所にたどり着くと見えたのは、エトガーのいるテーブル。そこには、エトガー以外に見たことのある人がふたり。
ひとりはさっきのアルセーヌ。そしてもうひとりは、何処かで聞いたことのある声の主。あれは確か、あの時路地裏でアルセーヌと一緒にいた、もうひとりの貴族の人だった。
そういえば、確か前に会った時もこのふたりは一緒だった。少し考えれば分かることだったのに、完全に忘れていた。名前は……なんだっけ。
「……アルベル君、キミは一体何をしているんだい?」
「いや、何か意気投合しちゃって……あ」
アルベルと呼ばれた人と目が合う。その様子に気づいたのか、エトガーの体がこちらに向いた。
「あ、シントお兄ちゃんだ。お帰りー」
「はは……」
ひらひらと手を振るエトガーにつられ、本を持っていない手で降り返す。それとなく笑顔を貼り付けはするものの、何となくひきつってしまっているのが自分でも分かってしまった。
「さて……アルベル君。我々はそろそろ行こうじゃないか」
「え、もうですか?」
「我々がいると落ち着かないだろうからね。じゃあシント君。明日、宜しく頼むよ」
「え、ちょっと待ってくださいって……あ、じゃあねふたりとも」
ぱたばたと歩く音が段々と遠退いていく。受付にいる人と少しだけ会話を交わしているかと思うと、出入り口の扉を開け、早々に出ていってしまった。
「はー……」
何か、よく分かんないけどすごく疲れた。本当にいなくなったことを確認するかのように、どさりとエトガーの隣に座る。テーブルの上に雑に置かれた本が、何処と無くオレの心を表してようだった。
「お兄ちゃん、明日貴族の人と会うの?」
「まあ、ね……」
「何やったの?」
「……何やったんだろう」
そういえばそうだ。貴族に呼び出されるような事をオレはしたんだっけ?路地裏に入ったから?でも、そんなの言い出したらオレだけじゃないだろうし……。
ああ、もしかして魔法で作られたらしいブレスレットが関係しているのだろうか。あの二人に見られたのかどうかは知らないけど、確かにあの時、これは光を放っていた。ということは、やっぱりこのブスレットは魔法で作られたのだろうか?でも、だからって別に家にまで招待しなくても、あの場で問い詰めればよかったのに。
ふと、シャツの下から覗かせているブレスレットを見つめる。外そうとも思ったんだけど、それはちょっと悪い気がしてしまったのと、外せない理由があったから。
これに、本当に魔法という力が込められているのだろうか?例えそうだとしても、オレの答えはひとつ。
「……行きたくないなぁ」
言いながら、力なくテーブルへと身体を預けた。
ぱたぱたと、部屋の外から世話しない足音が聞こえてくる。その音は僕の部屋の近くで止まり、ほんの少し間を置いて、ノックする音が聞こえてきた。ノックされたのは、この部屋だ。
「兄さま……?」
誰かが、僕のことを呼んでいる。僕のよく知っている声の主は、僕の返事を待たずに扉を開ける。彼女のためにと、重くのし掛かる瞼をゆっくりと開けた。
「……ああサラ、そんなに急いでどうしたの?」
「えっと、その……近いうちに、一緒に図書館に行きませんか?あっ、兄さまが良ければ、ですけど」
少しおどおどした様子で話しかけてくる僕の妹の両手には、いつだったかに図書館で借りた本が握られていた。それがどういう意味を持つのかなんて、考えるまでもなかった。
「いいよ。そうだな……明後日の午後にでも行こうか?丁度僕も、クレイヴさんのところに行かないとって思っていたんだ」
「本当ですか? じゃ、じゃあ、明後日楽しみにしてますねっ」
サラは嬉しそうに、そしてどこか安堵した様子を見せる。ふわりと髪の毛を靡かせる様子は、感情を表しているかのようで、その君の姿に自然と僕も笑みが溢れてしまう。ああ、どうして彼女はこんなにも可愛らしい笑顔を僕に向けてくれるのだろうか。
だけど、そんな感情なんて、一瞬で何処かに消えてしまうということは、最初から知っていた。
「それはいいけれど……。さっきは随分と急いでこっちに来たみたいだったね。何かあったの?」
「だ、だって……。兄さますぐ何処かに行っちゃうから、見つけたら早く言わないとって思って……」
「あー……。そうか、そうだね。ごめん」
言いづらそうにしながらも言葉を紡ぐ彼女は、本で口を隠してしまう。両手で大切そうに抱えているそれを見ると、僕の心に抜けない針が刺さってしまったかのように、胸が痛むのが分かる。目的はきっと、本を返すことでも借りることでもないのだろう。
本は特別好きでも嫌いでもないが、サラの手にしているそれは、それだけは。見ているとどうしても腹が立ってしまう。そんな醜い感情を落ち着かせるように、僕はサラとの距離を詰めながら言葉を吐いた。
「サラのお願いだったら、僕はなんでも聞いてあげるから」
彼女に笑顔を向けながら、静かに、淡々と。
「だから、いつでも僕を捕まえにおいで?」
少し驚いたように見せながらも、嬉しそうに笑みを溢したと同時に、ふわりと髪の毛が舞う。彼女の愛らしい笑顔を見るだけで、僕は救われてしまうのだ。
「は、はいっ。あ……でもなんでもはちょっと……」
「ふふ、分かっているよ」
他愛のないいつもの会話。それが僕にとっては、どれほど幸せな事実であるのかという事を、きっと彼女は知らないだろう。
ああどうか。何てことない、この日常が終わらないようにと願いながらも、早く誰かがこの茶番を終わらせてはくれないだろうかとも思ってしまっている自分がいる。そんな壊れた矛盾が、いつしか酷く心地よく感じてしまっていた。
◇
変な空間に迷い混んでから数日。オレの身の回りでは、特に変わったことは起きていない。強いていうなら、あの広場と路地裏の近くには行かなくなったという事くらいだろうか。
オレの中から、あの出来事が消えることはなかったけど、それを抜きにしても、至って普通の日々を過ごしていた。
「あ、お兄ちゃんブレスレットしてる」
「え? ああ、まあね……」
「彼女出来たの?」
「いや違うし。というか、それおじさん達にも散々言われたから聞き飽きたよ」
今のオレは、例のごとくエトガーに掴まっている。市場と言えど、平日の午前中は人がそんなに多くはない。靴屋も大体似たようなものだから何となく出てきたけど、行くところなんてあるわけも無く、特に意味もなくエトガーの店を訪れたのだ。
ただ、余り長居するのも悪いし、何処か他に行ける場所をさっきから考えているけど、これが全然思い浮かばない。普段余り出かけない人間だから、こういう時はとても困る。広場と市場以外に、オレが入れるような場所なんてあっただろうか?
「ねえ、ここら辺でオレらが行けるようなところってあるっけ?」
「えー? ……うーん、ここ抜けた先の広場と……。あ、図書館くらい?俺は行ったことないけど」
「あーそっか、図書館か……」
「行くの?」
「いや、何処か暇潰せるところないかなあって」
そういえばそうだ。貴族が運営してる図書館があったのを忘れていた。……運営してるのが貴族っていうところが若干引っ掛かるけど、一回も入ったことないから行ってみるのもいいかも知れない。
「ちょっと図書館行ってみるね」
「じゃあ、俺もついていこっかなー」
「え? 何で?」
「だって暇なんだもーん。お客さんはいるけど、店番ならお父さんもいるし、問題ないって」
「そういうことじゃない気がするんだけど……。まあ良いか」
「お父さんに話してくるねっ」
そう言ってエトガーが足早に奥へと向かう。そして、ものの十秒程でこっちに戻ってきた。どうやらオレらの話は奥まで聞こえていたらしく、エトガーが話を切り出す前に承諾してくれたようだった。
「おっけーだって。お兄ちゃん、早く行こっ!」
「あ、ちょっ……分かったから引っ張らないでって!」
言いながらオレの手を掴んだエトガーは、いかにも待ちきれないといった様子で走り出した。危うく転びそうになったけど、何とか持ち堪えてスピードを合わせる。別に図書館は逃げないんだし、急がなくたっていいのに。
でもそのエトガーの様子が、オレの目にはいつにも増して元気に映っていたから、こういうのもたまには悪くないのかな、なんてらしくもないことを思ってしまう。
少し走って満足したのか、オレらはいつの間にか普通に歩いていた。エトガーは相変わらず、オレの左腕に絡み付いている。それは別に良いんだけど、やっぱりちょっと歩きにくい。
「久しぶりだねー、お兄ちゃんとこうやって歩くの」
「あー……そうだっけ?」
エトガーはそう言うけど、二人で何処か出掛けたことってあっただろうか? たまに買い物してる時に偶然会ったりすることはあるけど、もしかしてそれのことを言っているのかも知れない。
「ところでさー、オレの店を差し置いてそのブレスレットどうしたの?」
「貰ったんだよ。……貰ったっていうか、押し付けられた気はするけど」
「ふーん? じゃあ今度はさー、俺のところのヤツ買っていってよ」
「あーうん。今度ね、今度」
いつものように適当にあしらうが、「絶対だよ、絶対!」と念を押されてしまった。これは、いよいよ無理矢理にでも買わされる日が来てしまう知れない。
「あ、あれだよね? 図書館って」
エトガーの声につられ、辺りを見回す。少し開けた場所に、屋敷に似た大きな建物があるのが見える。何となく、他の建物とは少し雰囲気が違う感じがするし、恐らくあそこなのだろう。
「へへ、何か緊張感するね」
「うん……」
はじめて入る場所というのは、何故か妙に緊張してしまうというもの。オレは、図書館の入り口である少し大きめの取っ手に手をかけ、力を込めた。
◇
扉を開けると、オレより先にエトガーが中に入る。そして、まるで珍しいものを見るかのように、辺りを見回していた。大きな本棚に沢山の本が敷き詰められている空間というのは、確かに目を見張るものがある。まあでも、それはオレが今日はじめてここに来たから感じるものであって、きっとこれが、いわゆる図書館の雰囲気というものなのだろう。それと、図書館ってもっと静かな場所かと思っていたけど、何というか、思っていた程ではないように感じる。何処もこんな感じなのだろうか?
「広いよお兄ちゃんっ」
エトガーのその様子。な、なんかいつもよりテンション高いし、目がキラキラしてるような気がする。ま、まあ楽しそうだし別にいっか。
「あ、俺あそこがいいなー」
オレの腕を引っ張るエトガーにつれていかれる。そこは、受付が見える少し奥のテーブルだ。
「俺さっそく見てくるけど、おにーちゃんはどうする?」
「先行ってきていいよ。ここで待ってるから」
「そう?じゃあ行ってくるね」
目当ての本があるのか、エトガーは足早に本を探しに向かった。そういえば、オレはただ何となくここに来たけど、本には余り興味がないし、見たいものなんて無いんじゃないか?いや、ちゃんと探せばオレでも読める本があるかも知れないし、取りあえず館内を一周してみるのも、探検みたいで悪くないかな。
エトガーが戻ってくるまでは特にすることがないオレは、特に意味もなく辺りを眺めていた。というより、どこかそわそわしていた。平日のこの時間だからか、人はそんなに多くはないように見える。どうやら喋り声が聞こえるのは受付の側だけのようで、ここは至って静かだった。まあ、当たり前と言われればそうなんだけど。
唯一、オレの視界に入っているのは、もうひとつのテーブルの向こうにある受付で、本を読んでいる司書らしい人くらい。
何となく、だけど。その受付にいる人の雰囲気が、普通の人とは違うように感じる。その人が図書館の館長である貴族だと言うなら、オレの感じたそれも何となく理由がつく。でも、見る限りオレと歳は変わらなさそうだし、この人が館長だということは無いと思うんだけど……。
本に視線を落としていた受付の人が、ちらりとオレの方を見る。ばっちりと目が合ってしまい、咄嗟に視線を逸らす。それは一瞬の出来事だったけど、凄い見てくんなコイツ、とでも思われてしまっただろうか。
「お待たせー」
何とも気まずい空気を払拭するかのように、エトガーの声で現実へと引き戻される。よかった。ひとりでいたら完全に不審者だった。
「早かったね。なに持ってきたの?」
「うーん……何かよく分かんなかったから、適当に持ってきちゃった」
「あ、そう……」
テーブルに置かれた本の表紙を見るに、児童書に近いように見える。適当に、とは言いつつも、何だかんだそれっぽい本を選んできたようだった。
「じゃあ、オレもちょっと見てくるね」
「行ってらっしゃーい」
エトガーの声を聞きつつ、オレは席を立つ。はじめて来たんだし、取りあえず館内を一周でもしてみようか。
出来るだけ自然に、立ったときにたまたま視界に入ってしまったくらいの感じで、もう一度受付へと視線を向ける。その人は、もうオレのことなんて気にも留めていない、といった様子で本を読んでいた。
ああそうだ。受付にいる人の雰囲気が何処と無く違うと感じてしまったのは、きっと図書館の空気にのまれてそういう風に感じただけだ。うん、多分そうだよね。まるで自分に言い聞かせるかのように、そんな考えを頭の隅に残し、この場を後にした。
◇
宛もなく、ただ単に館内をさ迷っている。適当な本棚を見つけては適当に手に取って、別に興味もないから元の場所に戻す。ということを何度か繰り返していた。なんか、静かな雰囲気も相まって、段々眠くなってきた気がする。いや、気がするだけだよね、うん。
二階にも本はあるらしいが、どうもそこまで行く気にはならない。案内板を見た限り、上の階は専門書が主らしいから、別に行かなくてもいいんだけど。
児童書や、いわゆる小説のあるところは一応見たものの、いまいちよく分からなくて通り過ぎてしまった。まあでも、エトガーを余り待たせるのも悪いし、オレも適当に選んでさっさと戻ってしまったほうがいいかも知れない。そう思いながら、適当に歩いて辿り着いた棚に並べられている本を眺めている。どうやらここは、服とか裁縫とか、そういう系の本があるエリアらしかった。適当に手に取ったそれらの本を眺めていて、思い出したことがある。ローザおばさんが、よくセリシアやレノンの服を空き時間に作っている様子だ。
何年も前、オレがあの家に来て暫くした時も「シントくんの為に」って何着も作ってくれたことがあった。その服を、今度はレノンが着たりとかして。何というか、本当の家族になったような気分になってしまったものだ。
そういえば、オレの両親がどうして死んだかとか、何をしている人だったのかとか。そういうのを全然知らないままだ。おじさんかおばさんに聞いたら教えてくれるんだろうけど、別に、そこに関しての興味は余りない。
おじさんとおばさんは、オレの両親と仲が良かったらしく、それもあってか、両親が死んで暫くした後、引き取ってくれたらしい。その時のオレは確か三、四歳くらいだったから、何があったかは全然覚えていない。子供の頃のことだからと言われればそれまでだけど、親の顔も、どうやって過ごしていたのかも、どんな人だったのかも、本当に何も覚えていないのだ。別に、無理して知ろうとも思わないけど。
手にしていた本を元に戻そうとした時、ひとつの本がオレの目に留まる。
「靴百科……」
下の段にあったそれを取るためにしゃがみ、その場で本を開く。靴には別にそこまで興味はないが、オレがあくまで居候として住まわせてもらっているマーティスおじさんの家は靴屋だし、オレが店番という名の手伝いをすることも少なくない。だから、もう少しちゃんと勉強しておいた方がいいのかなって思っていたところではあった。ずっとあそこに居るわけにもいかないけど、もう少し役に立たないと、ね。
誰かの足音を聞きながらページをめくる。少しずつ、その音が近付いてくるのが分かった。最初は、ただ単に館内を歩いているのだと思っていたけど、わざとかと思う程に聞こえてくる足音が、どうしてかやけに耳についた。そして、その音はオレの右側で立ち止まる。それは、明らかにオレのことを捉えていた。その人が履いている黒くてシンプルな革靴は、つい最近、何処かで見たことがあったのを覚えている。ああそう、路地裏で出会ったとある貴族が履いていたもの。正しくそれだった。
靴が視界に入った時、反射的に顔を上げてしまう。そこにいたのは、やっぱりオレの記憶にあった通りの人物だった。
「やあ、久しぶりだね」
「うわあ……」
思わず変な声が口からこぼれ落ちる。どうやら、自分が思っているよりも会いたくない人物だったらしい。
「たまたま二階でキミ達のことを見かけたものでね。今日は知り合いと一緒のようで、安心したよ」
「ま、まあね……」
確かこの人の名前はアルセーヌ……だったかような気がする。答え終わった後、本を手にもったまましゃがんでいた体を起こす。偶然オレらのことを見つけたというのが、果たして本当かどうかはともかく、安心したというのは一体どういう意味なのだろうか。その貴族は、チラリとオレの持っている本を見つめ、ひとつの問いかけをした。
「……靴、好きなのかい?」
「いや、別に……普通かな」
何とも適当な答えを返したけど、決して嘘はついていない。特別好きでも、嫌いでもないし。これが普通の知り合いだったらただの世間話で済むけれど、でも多分、この人が聞きたいのはこんなことじゃ無いのだろうということは、よく分かっている。
「っていうか、世間話をしに話しかけてきた訳じゃないんでしょ?」
オレから話を切り出すとは思っていなかったのか、少し驚いた様子を見せる。だが、それは一瞬のこと。すぐに笑顔によってかき消された。
「次に会う時は話を聞かせてもらうと言ったけど、生憎キミには先客がいるらしいからね。今日は止めておくとするよ。キミにわざわざ会いに来たのは、明日のキミの予定を聞こうと思ってね」
「明日?」
つまりは、オレの予定が入ってないうちに日程を押さえておこうということらしい。ここで変に嘘をついたとしても、どうせいつかは捕まってしまう気がするし、きっと面倒なことになる。オレは、至極簡単に答えを述べた。
「……まあ、空いてるけど」
「そうか。じゃあ明日、私と少し話をしないかい?十四時頃に広場に来てくれたまえ。私の家にでも案内するよ」
「え、広場……?」
「何か不満かな?」
「いや……分かったよ。十四時に広場ね、うん」
広場という単語に、思わず反応してしまう。貴族と会わなければいけないというのは面倒だけれど、どちらかと言うと、それよりもあの広場に行くことの方が嫌なのかも知れない。まあでも、最悪何かあっても貴族と一緒なら、リスク的には低いかも知れない。
「ああそうだ。すっかり忘れていたけれど、私のことはアルセーヌと呼んでくれたまえ」
「あ、うん……」
「……で、キミの名前は?」
「え、ああ……シントだけど……」
「じゃあシント君、私はこれで」
以外とあっさり引き下がるその人の後ろ姿を、何を考えるでもなく、ただ単に眺めていた。
「……オレも戻ろう」
本を探しに行くと言ってから、結構時間が経ってしまった気がする。取りあえず手にもった靴百科と一緒に、エトガーの元に戻ることにした。
◇
「そっかあ……じゃあこれの続編があるってこと?」
「うん。タイトルがちょっと違うから、分かりにくいかも知れないけど……」
「へー……お兄さんって詳しいんだね」
「そうでもないよ。昔に読んだきっりだから……。僕も、帰ったらその本探してみようかな」
エトガーが、誰かと喋っている声が聞こえてくる。本と本の隙間を這うようにして聞こえる声は、オレが足を動かすたびに段々近くなってくる。何だかよく分からないけど、盛り上がっているように聞こえた。
「ところで、お兄さんって貴族?」
「え? ああ……まあね」
「へー……俺、貴族の人とはじめて喋ったかも」
……なんか、とても嫌な予感がする。そういえば、エトガー以外の誰かの声。この声を、オレは何処かで聞いたことあったような気がしてならない。足を進めていけば、自然と本棚が視界から無くなり、通路が見える。少し開けた場所にたどり着くと見えたのは、エトガーのいるテーブル。そこには、エトガー以外に見たことのある人がふたり。
ひとりはさっきのアルセーヌ。そしてもうひとりは、何処かで聞いたことのある声の主。あれは確か、あの時路地裏でアルセーヌと一緒にいた、もうひとりの貴族の人だった。
そういえば、確か前に会った時もこのふたりは一緒だった。少し考えれば分かることだったのに、完全に忘れていた。名前は……なんだっけ。
「……アルベル君、キミは一体何をしているんだい?」
「いや、何か意気投合しちゃって……あ」
アルベルと呼ばれた人と目が合う。その様子に気づいたのか、エトガーの体がこちらに向いた。
「あ、シントお兄ちゃんだ。お帰りー」
「はは……」
ひらひらと手を振るエトガーにつられ、本を持っていない手で降り返す。それとなく笑顔を貼り付けはするものの、何となくひきつってしまっているのが自分でも分かってしまった。
「さて……アルベル君。我々はそろそろ行こうじゃないか」
「え、もうですか?」
「我々がいると落ち着かないだろうからね。じゃあシント君。明日、宜しく頼むよ」
「え、ちょっと待ってくださいって……あ、じゃあねふたりとも」
ぱたばたと歩く音が段々と遠退いていく。受付にいる人と少しだけ会話を交わしているかと思うと、出入り口の扉を開け、早々に出ていってしまった。
「はー……」
何か、よく分かんないけどすごく疲れた。本当にいなくなったことを確認するかのように、どさりとエトガーの隣に座る。テーブルの上に雑に置かれた本が、何処と無くオレの心を表してようだった。
「お兄ちゃん、明日貴族の人と会うの?」
「まあ、ね……」
「何やったの?」
「……何やったんだろう」
そういえばそうだ。貴族に呼び出されるような事をオレはしたんだっけ?路地裏に入ったから?でも、そんなの言い出したらオレだけじゃないだろうし……。
ああ、もしかして魔法で作られたらしいブレスレットが関係しているのだろうか。あの二人に見られたのかどうかは知らないけど、確かにあの時、これは光を放っていた。ということは、やっぱりこのブスレットは魔法で作られたのだろうか?でも、だからって別に家にまで招待しなくても、あの場で問い詰めればよかったのに。
ふと、シャツの下から覗かせているブレスレットを見つめる。外そうとも思ったんだけど、それはちょっと悪い気がしてしまったのと、外せない理由があったから。
これに、本当に魔法という力が込められているのだろうか?例えそうだとしても、オレの答えはひとつ。
「……行きたくないなぁ」
言いながら、力なくテーブルへと身体を預けた。