03話:壊れた光


2024-08-08 23:30:01
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 ――辺りは、眩しい光に包まれている。
 目を開けることが出来ないくらいに、オレの周りには光が蔓延っているのが分かる。あの人は、オレを元の場所に戻してくれると言った。光が収まるのを待って目を開けたその先には、本当にオレがいたいつものあの街なのだろうか?別に疑っている訳ではないけど、どうしても不安が付きまとってくる。そんな疑念が晴れていくかのように、少しずつ光が終息を迎えていくのが瞼越しでもよくわかった。
 恐る恐る、ゆっくりと瞼を開ける。そうして目の前に存在していたのは、何事も無かったかのように水飛沫をあげる噴水だった。それと同時に聞こえてくるのは、騒がしく街に蔓延る人の声。それは、オレが元いた街に戻ってきたという証明でもあるのだろう。
 ただ、不思議なことに、その音を五月蝿く感じてしまっていた自分がいた。
 街の状況は、オレがいた時となんら変わらない。子供が遊んでいて、大人達は相変わらず噂話を繰り広げている。広場にある時計を見ると、さほど時は経っていないようだった。
 だから、特殊な時間を過ごしていたのは恐らくオレだけなのだろうと理解するのに、そんなに時間はかからなかった。

「そういえば、あの人の名前聞くの忘れたな……」

 左手首には、あの人貰ってしまったブレスレットの重みを感じる。それは、さっきの出来事が夢でも幻覚でもないという事実を突きつけられているようだ。

「……帰ろう」

 ここにいてもしょうがない。そのまま買い物だけして帰ってしまおうかとも思ったけれど、きっとローザおばさんに「早かったね?」と言われてしまう。なんというか、それだけは避けたい。オレは少しでも時間を稼ごうと、遠回りでもしていつもの店に向かうことを決め、足を翻す。今度は、誰かに呼び止められるなんていうことは起きなかった。
 オレが向かったのは、さっき通った市場ではなく余り通らない別の道。図書館のある、穏やかな時間に満ちた場所。人がいるということに安堵すると共に、どうしてかそわそわしてしまう。ふと、道中に存在する路地裏に目をやった。

『これがあれば、いつでもここに来れるから、出来れば大事に持っていて欲しいな』

 左手首に繋がれたブレスレット。これに一体なんの意味があるのだろうか。魔法で作られたという事は確かなのだけれど……。
 路地裏なんて入ることはないと思っていたけど、まさか、よく分からない空間の路地裏に入ることになるだなんて思ってなかった。視線の先にあるのは、別に何てことない何処にでもある路地裏。こんな適当に選んだ路地裏を通っても、あの人のいる場所にたどり着けるのだろうか。
 その疑問に応えるかのように、ブレスレットは太陽の光を反射させ、ほんの一瞬だけ路地裏を照らす。それはまるで、誰かがオレを呼んでいるかのようにも見えた。

「行けってこと……?」

 普通に考えたのなら、ただ光を反射させただけなのだろう。でも、何となくそうじゃないと思ってしまうのは、さっきまでの出来事のに感化されてしまったせいだったのかも知れない。ただ、一度生み出された思考は、そう簡単に払拭出来るものではなかった。
 いっそのこと、適当に路地裏に入ってみようか?そんなこと、普段なら考えもしないことだけれど、このままモヤモヤしたまま帰ったところで、多分ずっと気になってしまう。それにもう、オレが望んでいる平和な日常はきっと戻ってこないんだと子供ながらに思ってしまっていた。だって、普通に暮らしていれば縁のないはずの、魔法と貴族という存在に触れてしまったから。
 まあ、路地裏って言っても迷路になってるわけじゃないだろうし、別に問題ないよね……?
 その考えは、オレが路地裏に入るのには十分過ぎる結論だった。だけど、これがどれだけ浅はかな考えだったのかというのを、この先嫌になるほど痛感することになるだなんて、思いもしなかったのだ。


   ◇


 路地裏。エトガーが言う通り、悪い噂の方が目立つ場所だ。特によく耳にするのは、魔法に関すること。「貴族が市民相手に魔法を売っている」とか、逆に「市民が魔法を使いたいが為に、多額のお金を見積もって貴族に懇願している」とか。
 これら全ては、所謂ただの噂。オレも貴族のことはよく知らないけど、元々、貴族がどういう存在なのかというのも公にされていないし、魔法という特殊なものを使えるというところと、警察の捜査に関与しているという部分が癇に障るのか、余りよく思っていない人が多いから、そういう意味で市民の噂のタネになっているのだろう。オレは別に興味ないからどうでもいいけど。
 裏路地なんて入ったこと無かったけれど、結構入り組んでいるというか、わりと道が分かれている。なんていうか、既に迷っているような気さえもする。

「……ま、適当に行くか」

 このまま適当に行けば、何処かの大通りには着くだろうけど、さっきみたいにあの人のところに着いてしまう、なんてことがあるかも知れない。それはそれでいいんだけど、行ったところで何を話せばいいのだろう。ああ、取りあえず名前は聞いておこうかな。
 そうは言うものの、少し薄暗い路地裏は、さっきの空間にあった路地裏とはまるで雰囲気が違うように感じる。何かが潜んでいるかのような、そんな気配を感じてしまうほどに、空気は淀んでた。
 いや、というかそれは当たり前なんじゃないか?忘れていたけど、この前も何処かの路地裏で殺人事件があったばかりじゃないか。淀んでいるように感じるのは、きっとそのせいかも知れない。
 今更だけど、やっぱり引き返した方が良いかも知れない。そもそも元の道に戻れるのか?まあ、それはオレが適当に歩いたせいではあるんだけど。問題ないどころか、やっぱり入ったらいけない場所だったということを、今更ながらに痛感する。
 そして。入ってはいけない場所で起こるそれというのは、突然やってくるものだ。

 辺りを取り巻く空気は、一瞬にしてまとわりつくように重くなる。それは、オレという標的を見つけたかのような鋭ささえも存在していた。
 目の前に続く道には誰もいない。だとするなら……。その何かの正体は、後ろにしかいないじゃないか。

「うわ……っ!」

 そうしてまさに後ろを振り向こうとした時、狭い道に蔓延る強い風が、勢いよくオレに向かって突っ込んで来るのが分かった。ただ、それは風などではなかった。突然の出来事に避けることが出来なかったオレの腕を、誰かが鷲掴みにする。そして、そのまま流れるように壁に押し付けられた。ぎりぎりと腕に刺さる指が、本当に殺しにかかっているということを現しているようだった。
 オレの目の前にいるのは、フードを深く被った男。髪の毛とフードのせいで表情は余り見えないが、ひとつだけ分かるのは、そいつの右手にはナイフが握られているということ。
 男は何を言うでもなく、手に持っているそれを振りかざした。

「やめ……っ!」

 咄嗟に振りかざされた腕を左手で掴む。すると、なにか、この世のモノではない力が沸き上がるのを感じた。一体何がオレにそう思わせたのか、答えは簡単だ。手首につけられたブレスレットが、何かに感化されたかのように光っていた。
 その力の正体は、オレの左手首に付けられたブレスレットから放たれているものだと理解するのに、そう時間はかからなかった。この薄暗い路地裏の中、それは光りだした。そして、光は男を弾き飛ばすようにして放たれる。男は、弾かれるようにしてオレとの距離を取った。
 この一連の流れが、まるでオレを守ってくれたかのようで、思わずブレスレットを見つめる。

『そのブレスレットは、キミを導き守ってくれる存在のはずだから』

 ああ、そう言えばあの人がそう言っていた。

「守ってくれたってこと……?」

 当然、返事など返っては来ない。だが、光は自身の役目を果たしたかのように、少しずつ消えていった。
 でも、だからといって状況はなにひとつとして変わっていない。男は依然として、オレの前に立っている。男の表情は分からない。だが、何処か苦しそうに肩で息をするその男の口が、僅かに動き始めているのが見えた。

「……て、くれ」

 一体何を言っているのだろう。オレは、男の声に耳を澄ませる。

「殺して、くれ……」
「え……?」

 そう言ったかと思うと、男は再びオレとの距離を詰めナイフを振りかざす。
 それは、一瞬の出来事だった。


   ◇


 オレは、迫って来るそれらに対抗することもなく全てを視界から消した。あと数秒後、きっと最悪の事態が起きるのだろうという諦めのような確信。それは、いとも簡単に崩れ落ちた。
 横から勢いよく流れてくる風が、オレと男の間に割って入ってくる。恐る恐る目を開けたその先、そこにいたのは、見えない風なんかではなく、ひとりの男の人だった。
 ナイフを持っている男の腕は、現れたもう一人の人物にしっかりと掴まれる。それに気を取られている隙をついて、足を勢いよく振り上げた。膝が思いっきり腹部に食い込まれたとともに、壁に叩きつけられる。手にしていたナイフは、無造作に空を舞った。男はズルズルと音を立てて地面へとずり落ちていく。多分、数分もなかったこの出来事は、あっという間に終息を迎えた。息を吐く音が、静かになった路地裏に響く。

「……君、大丈夫?」
「え、あ……うん……」

 オレの方へと振り返ったその人物は、さっきのことなんか何もなかったかのように、柔らかな笑みを溢す。それが、ほんの少しの安息を生み出してはいたものの、それに笑顔で返せるような余裕なんてない。

「いやあ、間に合ってよかったよ。それにしても、市民の人がこんなところにいるなんて思……」
「う、後ろ後ろ!」
「え?」

 ゆっくりと、男が立ち上がるのが見える。

「あー、やっぱり駄目か……」

 「困ったなぁ」と緊張感のない言葉を口にしながら、オレとそいつを交互に目で追い始める。この人が一体どういう存在なのか。それをすぐに理解するのは、今の状況では難しい。だけど、その後の出来事が、一つの確信を生み出すことになる。

「退いてはくれないんだよね?」

 男は問いに答えない。代わりに、風でなびく髪が男の鋭い目を一瞬だけ露見させる。嫌悪に満ちたかのようなその視線は、オレに向けられてはいなかった。よく見ると、男の手の周りには光の粒ようなものが舞っている。それが、さっきまで手にされていたナイフを形成しているということに気付くのに、さほど時間はかからなかった。
 勢いよく、男が地面を蹴る。握られたナイフは、迷うことなく貴族の人へと突っ込んでいった。
 刺される。自分のことではないのに、そう思ってしまう。でも、その感情はこの状況において何の意味も持たなかった。いや、持つはずがなかったのだ。

「ふっ……!」

 誰かの息づく声が、一瞬オレの耳を掠める。それは、さっきまでこの場にいなかった人物の声。長剣のような何かが、男を人刺しするかのように一直線に振りかざされる。が、男の体を貫通することはない。何か薄い膜のようなものが間にあるかのようにも感じた。
 突然の出来事に、何が起きたのかを頭が理解するまでに至らない。

「くそ……無理か」

 ミシミシと、力強く長剣を押し付ける音が聞こえてくるが、ナイフを持った男は抵抗しない。それどころか、男の眼光はより一層力を増していた。
 強い風が周囲を吹き荒れる。
 それは、次第に男を取り巻いていき、風は細く小さくなっていく。風にのまれたのかのように、その場にいたはずの男の姿は何処にもなくなっていた。この異様な光景。市民が顔色一つ変えずに不審者を撃退する、なんてことが出来るのだろうか?しかも、そいつは風に呑まれて消えていった。こんなのあり得ない、なんて言うのは簡単だけど、その現象に心当たりがある。
 オレがここに戻って来るときだって、そうたっだじゃないか。
 それはつまりどういうことか?目の前にいるふたりの人物のうち、ひとりが普通なら見ることのないであろう長剣のようなものを手にしている。オレを助けてくれた人だって、顔色ひとつ変えないどころか、妙に軽々しかった。その事実が、ひとつの結論を生み出した。

「はあ……キミが先走ったお陰で逃げてしまったよ」
「いや、今のはアルセーヌさんのせいでは……」

 このふたりは、貴族なのということだ。
 普通に、何事も無かったかのように話始める二人を、オレはただ単に眺めることしか出来ない。言葉が出ないというのは、まさにこういうことを言うのだろう。それは決して恐怖心などではないが、流れるようにして終わった一連の出来事が、一体何を意味しているのか。それを頭の中でまとめるのに少し時間がかかっていた。
 アルセーヌと呼ばれた貴族の人は、チラリとオレのことを見る。ため息のようにも聞こえたそれが、オレに向けて放たれた。

「……で、そこのキミ。路地裏は危ないってこと、知らないのかな?」

 まずい。標的がオレに向けられたことにより、頭がそう判断する。知らない誰かに襲われたという事実も確かにあるけど、今目の前にいる存在が、これまでの日常を非日常へと加速させていくようだったし、何より、今日一日で色んなことが起こりすぎている。
 この状況で答えを求められてしまっては、なにかを言うしかない。ただ、それを言えるほど頭は冷静ではなかった。

「あ、いやえっと……。道に迷って……」

 決して嘘はついていない。大丈夫、オレは確かに道に適当路地裏に入って迷っていたのだ。そして襲われた。ただそれだけのこと。そう、それだけだ。

「ふうん?まあ、今は面倒だから言及はしないでおくよ」

 貴族の追求は、以外とあっさり終わる。それが逆に不信感を募らせていくような、妙な感覚に苛まれた。でも、こう面倒なことになってしまっては、貴族らがオレを見逃してくれることを願うことくらいしか出来ない。貴族とただの市民、どちらが優位かなんて、考えるまでもないのだから。

「……そこを真っ直ぐ行けば、普通の道に繋がるはずだよ」
「え?」
「だから、迷ったのなら早く行ってくれないかな?生憎、我々は今キミに構っている暇はないんだ」
「う、うん……。えっと、ありがとうございました……」

 色々と疑問は残るけど、とにかくこの場から早く去ることが先決だ。お礼もそこそこに、貴族たちを背にしてその場を後にしようと足を翻した。

「ああ、ちょっと待った」

 やっとこの場から抜け出せると思った矢先、また、ひとりの貴族に呼び止められてしまう。余り気乗りはしないけど、仕方なく貴族のいる方へ体を向けた。

「な、なに?」
「次に出会った時は、話を聞かせてもらうよ?」

 ああやっぱりだ。これは完全に目を付けられた。いや、この際それはもういい。とにかく去ろう。オレは、路地裏にはもう二度と入らないと自分に誓いながら走り出した。

 その場に残された貴族は、ほんの少しの静寂を破り話始める。ひとりの貴族の手に握られていた長剣のようなそれは、次第に光の粒となって消えていった。

「……いいんですか?多分あの人……」
「構わないさ。どうせまた会うことになるだろうし。それよりも見つかったかい?」
「いや、やっぱり何もなかったですね」
「そうか。という事はやっぱり……」

 何かを考える素振りを見せるひとりの貴族は、とても難しい顔をしているように見える。それは、ため息という形で空に現れた。

「はあ……」
「どうかしました?」
「いや……。どうして彼がこんな場所にいたのかと、思っただけさ」

 市民が向かった先をただただ眺める彼の顔は、依然として変わらない。その彼の口からは一言だけ言葉が発せられた。

「本当に、どうしてだろうね……?」


   ◇


「やっと、着いた……」

 長かった。まるで長く続いた旅が終わったかのような疲労感のなか、やっと視界に靴屋が入る。それは、オレの知っている本物の靴屋。あれ以降起きた出来事と言えば、買い物をするのを忘れかけて引き返したことと、エトガーがちゃんと店に居たことくらい。本当に、いつもと何ら変わらない日常がそこにはあった。
 店の扉を開ける。カランという音と同時に足を踏み入れると、最初に目に入ったのは、オレの変わりにカウンターに座っているマーティスおじさんとレノンだった。

「……ただいま」
「おう、帰ってきたか」
「うん……」

 おじさんが声を掛けてくれるが、少し申し訳ないと思いつつも、今のオレにはから返事をするのが精一杯だった。

「お兄ちゃん、どうしたの?」

 レノンが不思議そうな顔をしてオレを見る。きょとんとした顔は、どこかおばさんそっくりだ。
 こういうのを見ると、ふと思ってしまう。オレはちゃんと、父さんと母さんのどっちかに似ていたのだろうか、と。

「……ちょっと、疲れただけ」

 出来るだけ笑顔を張り付けて、至極簡潔に答えを述べる。そして、早々に奥の部屋にいるローザおばさんの所に行くと、相変わらず帳簿と戦っているようだった。

「おかえりなさい、早かったね」
「うん……でも、何かいろんな所に行ったから」

 本当に、今日はいろんな所に行った。行ったというか、気付いたら足を運んでいた、というのが正しいかも知れないけど。
 荷物を置いて、一息つく。店に着いたからなのかは分からないけど、なんと言うか、やっと少し落ち着つけた気がした。

「おにーちゃ……」
「ん?」
「しんとおにーちゃんと、いっしょに、ねるの……」
「え、ああ昼寝?」

 オレのことを呼んだのは、レノンの妹であるセリシアだ。眠そうに目を擦り、オレの袖を掴んでくる。多分セリシアは、帰ってきたオレと一緒に昼寝がしたいのだろう。何でオレなのかはよく分かんないけど……。まあ、たまにはそういうのも悪くはないのかも知れない。
「いいよ」オレがそう答えると、セリシアは早々にオレの袖を引っ張り、さっきまで寝ていたのであろう場所へと連れていかれる。その前に、買い物の荷物を置きっぱなしにしてしまっているのは、なんというか色々と駄目だ。

「ちょっと待って、荷物……」
「あーいいから、行っておいで」

 そうおばさんが言ったかと思うと、少し強めに袖を引かれてしまう。しょうがない、ここは甘えておこう。じゃないと、また困った顔をされてしまうから。
 よほど眠かったのか、セリシアはタオルケットを掛けて横になったかと思うと、すぐに寝入ってしまった。左手は、相変わらずオレの袖を掴んだままだ。出来るだけその邪魔をしないように、取りあえずオレも横になり、今日起きた出来事を少しだけ思い返す。
 広場の噴水。謎の空間。魔法。貴族。路地裏。ブレスレット。
 何か、とても大切なことを忘れている。そんな気がしつつも、オレの頭は思考を拒むかのようにもやがかかる。本当はもう少し考えたいけど、セリシアに感化されたのか、どうしようもなく眠い。
 駄目だ。今日はもう、いいや。オレは、閉じていく瞼に抵抗することなく、静かに眠りについた。


   ◇


 世界は暗闇に包まれている。
 ほんの少しの街灯と、毎日のように我々を照らす星と月。ただそれだけの光が、我々を手助けする。市民はまず出歩かないこの深夜という闇の時間帯が、今の貴族にとっては無くてはならない時間なのだ。

「はあ……面倒だ」

 闇の時間は嫌いではない。どちらかと言うと、好きな方に分類される方ではある。だが、こうも連日昼間と夜中両方出歩く生活をしていては、気が滅入るというものだ。別に無理して来なくても良かった気もするが、如何せん貴族が集まらないせいで、この時間に出ざるを得ないのである。貴族は、街の治安を守る必要があるのだから。
 警察という存在は、確かに市民に対してはある程度の権力を持ち合わせているが、この場合における彼らというのは、何一つとして意味を持たないのだ。魔法という、異質な存在に関しては。
 だから、これを彼らに押し付けるのは酷というもの。特に、今この街を騒がせている路地裏での殺人事件は、明らかに我々の領分だ。
 ただ、恐らく今日も、貴族は片手でも指が余る程度しか集まらないだろう。まあ、別に人手が足りないわけではないし、居ても困るのだけれど。来れない理由が少なからずあるというだけに過ぎないということは十分に分かっているし、それに関してどうこう言うつもりは毛頭ない。
 この事件と、もうひとつ……それが終われば、少しは落ち着ける時間が増えるだろう。

「ん……?」

 路地裏へと足を運ぶ。街灯もない暗闇の中、明らかにそこにあるはずのない影が揺らめいていた。それは私の存在を見つけたのか、迷うことなく距離を詰めてくる。私は手に持っているそれを相手に向け、勢いよく踏み込んだ。
 だが、振りかざしたそれが空を斬るのが分かる。かわされたのは言うまでもないが、この暗闇の中、音を立てることなくそんなことが出来る人間は、数えられるくらいしかいない。

「……アルベル君か?」
「ああなんだ、アルセーヌさんだったんですね」

 影の正体が知り合いだと分かると、お互い持っている武器をひとまず下ろす。

「何となくですけど、今日は来ないと思ってましたよ」
「別に、私だって来たくてここにいる訳ではないさ」

 彼とは最近よく共に行動する。というか、させられている。多分、これはあくまで私の推測にしか過ぎないが、彼の父君による消去法で選ばれてしまったのだろう。でなければ、わざわざ昼間に出歩いて路地裏に行くだなんて面倒なことはしない。だから、市民に根の葉もない噂を立てられてしまうのだ。それに……お陰で、色々と思うことが増えてしまった。

「それより、様子はどうだい?」
「うーん……居るには居るみたいなんですけど、まだ姿は見てないですね」

 我々に見つからないように身を隠しているのか。それとも、いつその手にかけようかと伺っているのか。まあ、考えるまでもなくそれは後者だろう。

「あ……なんか向こうで音がしますね」

 微かに聞こえる剣戟の音をアルベル君が拾う。どうやら、誰かが闘っているらしい。

「……僕ら以外にも居るんですかね?」
「さてね。何れにしても、早く向かうとしようか」

 この剣戟が貴族に対するものならまだしも、市民に向けられたのだとすると厄介ではある。だか、剣戟の音がするということは、少なくともそれなりに腕が立つ者同士なのだろう。だとすると、これが市民に対するものである可能性は極めて低い。
 そして、その仮説はやはり正しかった。

「……なんだ、ロエル君じゃないか」

 彼は我々に気付いたのか、対峙していたそれを一突きにし、早々に決着をつけた。一瞬ではあったが、あの程度なら我々が来る前に終わらせられたのでないだろうか。……もしかすると、他の貴族が居るかどうかを確認するために、彼はわざと決着を付けていなかったのかも知れない。

「ああ、やっと見つけた……お久し振りです」

 そこに居たのは、レナード家の長男ロエル君。彼はいつもどこか淡々としており、表情こそは落ち着いているのだが、その内に秘めているものを計ることは容易ではない。

「すみません、暫く任せっきりでしたね」
「いやいや。それより、お姉さんの調子は如何かな?」
「ああ……お陰さまで、今は落ち着いてますよ」
「それは良かった。余り無理はなさらないようにと伝えておいてくれたまえ」

 当たり障りのない会話をしている中で、何かが近付いてくる気配を感じる。だが、それは敵意など無い存在であるという事を、私の勘が知らせてくれた。

「あ、アルセーヌさんとアルベルさんじゃん」

 ロエル君の後ろから、もうひとり聞き覚えのある声が近づいてくる。それは、この街にとっては珍しいと言ってもいい人物だった。

「……またキミか。暇なのかい?」
「え? いやさー、ただフラフラしてただけなんだけど、たまたまロエルさんに掴まっちゃって? しょうがないからついて来たってカンジ」
「いや、そっちが勝手についてきたんじゃ……」
「ロエルさんってば置いていくとか酷くない?」とか何とか、ロエル君に馴れ馴れしく話しかける彼も、一応貴族だ。
「でもま、こっちで仕事するってのも悪くない的な感じで来てはいたから、丁度良かったよねー」
「何でもいいが……だったら真面目にやりたまえよ。余りフラフラしてると、間違えて殺しかねないからね」
「分かってる分かってる」

 そうネイケル君は言うが、本当に分かっているのだろうか。彼の喋り方や雰囲気はどうも信用性に欠け、私の調子を狂わせる。まあ、この際それはどうでもいい。人数が多いからと言って有利という訳ではないが、この人数がそろっているというのは極めて稀な状況ではあるが、危機的状況になるなんてことは皆無だろう。
 たまたま集まった四人の貴族は、今日も暗く染まった街を歩く。その意味を、市民が知る必要など何処にもない。こんなこと、知らない方がいいに決まっているのだから。

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