47話:静かに変わりゆくこと


2024-08-15 16:32:57
文字サイズ
文字組
フォントゴシック体明朝体
 掃除という言葉は実に曖昧である。だけれど同時に、とても便利な言葉であると個人的には感じていた。ボクと初めて会ったあの状況で突然掃除と言われたとある彼女はさぞ不思議な感情に苛まれたことだろうけど、これから先あの彼女に会うことは恐らくないだろうし特に問題はないだろう。
 ボクが逝邪としてとある場所に向かうのはとても珍しく、でもだからと言って、逝邪として何かをするというわけでもない。それが逃げだと分かっていながらも、そうする以外の術をボクは知らないのだ。
 向かった先は、とある道路。数年前にとある交通事故が起き、橋下君が何度か通った場所だ。まるで人払いをしているかのように全く人が歩いていないのは、逝邪と瞑邪の力と言ってもいいのだろうか。その辺り、答えてくれる人が誰もいないせいで憶測の域を出ることはない。
 ゆらゆらと、その道のとある場所に存在しているそれは、どうやら元の形は既に残っていないようだった。

「原型、もうなくなっちゃったんだね。ボクの知らない悪事もいくつかあったのかな?」

 元々は人の形を繕っていたのであろうそれは、僅かに人の形を模しているようにも視えるが、元々どういう姿だったのかを思い出すことが出来ないくらいに辛うじてそこに存在しているといったところで、いわゆる幽霊の、特に善とはほど遠いそれの末期の姿だ。

「恨みって言うのはさ、晴らしたらせいせいするものなんでしょ? それにしては随分と苦しそうだけど」

 本当に苦しいのかどうかは知らないが、祥吾くんのことを思い出せばある程度の察しはつく。とはいえ、今のボクには到底理解できるものではないのだが。
 祥吾くんについてはともかくとして、この人物がこういう状態になっているというのは正直同情する余地がない。何故ならこの相谷 光莉という人物は、ボクが知っている限り悪事を四つ働いているからだ。

「でも相谷くんはさ、それでも恨んではいなかったと思うよ。寧ろ、環境的にはああなって良かったとも思ってたんじゃないかな。まあ、きみにはこの感情は伝わりそうにないけれど」

 ボクは彼の友達でも何でもないからあくまでもこれは憶測に過ぎないのだが、親戚の家に住むことになったというのは彼にとってはある意味では有難いものだったのではないかと考える。
 両親は姉のことばかり可愛がり、姉はそれを良いことに自分が優しい姉であるということを演出した。だからこそ姉は自分と同じ学校に進学したらどうかと進言したし、彼は親戚の助言があったにせよ姉が居なくなったことを確認するかのようにあえて姉が通っていた高校に進学したのかもしれない(どういう理屈かまでは知らないが、それが恐らく姉の逆鱗に触れたのだろう)。本当にそう思ったのかは分からないが、そうじゃなければ少なくともボクだったらそんな姉のいた高校にわざわざ入学なんてしたくない。
 少し小馬鹿にするかのように、深淵がボクの身体を巻きつくように覆った。怒っているのか、いっそボクごとどこかに連れて行こうとでもいうのか、しかしそれは、ボクにとっては余りにも弱々しいものに違いなく、風の一部に過ぎなかった。

「ボクが君を助けるの? どうして?」

 この末期の状態は、幽霊という全ての存在がこういう現象になるというわけではない。だが幽霊というのは本能的に最期にはそうなるということを理解しているため、ボクのような存在に助けを求めてくることが往々にしてある。これもそういうことだろう。言葉がなくても、それは伝わってくるものだ。

「……ああもしかして、ボクが逝邪だから助けてくれるとでも思ってる?」

 本来であれば逝邪という特性上、助けるという行為をしても問題ないのだろうが、ここに至るまでに誰も助けることをしなかったボクが、どうして知り合いでもないただただ堕ちていくそれに対して情を持ち助ける必要があるのだろうか?

「どうせすぐ消えるんだからさ、暫くはその苦しみを楽しみなよ。相谷くんと……あとそういえば、キョウくんのことも脅してたよね。というか、最後にはキョウくんのことを殺しておいてボクが助けるわけがないんだけど」

 恐らくは誰もが勘違いをしているに違いない話。あの祥吾くんが、キョウくんを殺すなんていうことはあるはずがない。それを一番分かっているのは恐らくボクなのだろうけど、それを誰かに進言する気は余り無い。
 この相谷 光莉さんは、交通事故を装って相谷くんを道連れにしようとした。その結果、自分だけが死んだことを恨んだのだ。その後、何度か相谷くんを襲いにいったようではあるけれど(一度目は両親ごと殺害しようと試み、次は相谷くんが寝ているところだったと記憶している)その度に失敗していたのは、相谷くんが人の影響を受けないように気を張っていたからであり(要するに当時の相谷くんには隙がなかったということだ)、言ってしまえば遅かれ早かれこうなっていたことだと言えるだろう。但し、その隙がどうして生まれたのかはボクには分からないことではあるが。

「あなたがやっていたことは全部視てたから。だから何もしない」

 ボクは全てを知っている。そうであるにも関わらず、ボクは誰の力にもならなかった。そういう約束を取り付けていたからであり、これは予定調和であるに違いなく、誰の抗議を聞く必要もない。ここで最早形のないそれに力を使うなんて御免だし、だったらこうなるよりも前にどうにかしろという話だ。だからボクは、この状態を野放しにする。当然のことだ。

「じゃあね。とある君さん」

 わざわざ名前を呼ぶ必要もない人物、先ほどまで纏まっていたはずのそれは纏まりのない浅黒い粒へと変わっていく。僅かに身体を滑り落ちていくのを感じると少々気分が悪くなったような気がしたが、既に身体が無いボクのような存在が気分が悪くなるというのもおかしな話だ。その感覚はすぐになくなった。

「浅ましいな、本当に」

 一体何に向かってそう言ったのか、自分でもよく分からなかった。
 少なくともボクの身の回りのことに関しては、暫く平和が続くのだろうとそう思う。本来なら安堵するべきことなのだろうけど、それは少し違うような気がした。何故なら、もうこれで大丈夫だねと言える人は周りに居ないし、やっと終わったねと声をかけられる人もいない。全部、ボクが自ら手放したのだ。だからボクが安堵をするということはしない。でも後悔もしていない。
 ……そのはずなのに、ボクは再びこう思うのだ。

「暫くは、また一人だな……」

 見つかることのない人物との約束なんて、今更守る必要があるのだろうかと。


   ◇


 柳 祥吾という人物が消えようとしていた時、恐らくおれは誰かの言う逝邪という存在を視たのだと思う。視ただけですぐにどこかに行ってしまったけれど、中条さんが「公園に来る前にあの人に会った」と言っていたし、その人が公園におれがいることを教えてくれたらしかったので、断定しても差支えは無いだろう。
 あの後、結局柳さんは跡形も無く消えてしまって(辺りを少し探ってみたけど、結局見つけることは出来なかった)、何となく消化不良のままおれは中条さんを家まで送った。聞きたいことだってもっとあったような気がしているのだが、一体何を聞きたかったのかも、もうあまり覚えていない。

「先輩は、大丈夫なんですか……?」

 静かに道を歩いていたのだか、中条さんがふと、そんなことを口にする。

「大丈夫だよ」

 反射的にそう答えてしまったのを少し後悔したが、別におれ自身に何かあった訳ではないし妥当な回答のように思う。

「おれは何も出来ないし、してないから」

 それに、ここまで俺だけが何も被害にあっておらず、かつ何もしていない。それなのに……いや、だからこそと言うべきか、今は独りだ。

「でも先輩は、私のこと助けてくれましたよ……?」

 そんなことあっただろうかと、薄情なおれは素直にそう思った。
 数秒考えてようやく思い出したのだが、確かに一度中条さんのところに駆けつけたことはあった。あの出来事がおれにとっては考えないと出て来ない程度のものだというわけではない。決してそうではないのだけど……。

「でもそれも、きっとおれのせいなんだと思うんだよね」

 この時、言わなくてといいことを言ってしまっていたのを分かっていながら、一度口にしてしまった感情は口を閉ざしただけでは収まらなかった。

「もう少し話を聞くことが出来たら、こんなんじゃなくて、もっと違う今があっただろうなってそう思う」

 きっと中条さんは何の話をしているのかまるで分からないだろうが、それでもおれの話に口を挟むことはしなかった。全く聞いていないだけかもしれないが、まあそれでもいいだろう。

「どうせなら中条さんには、幽霊とか関係なく会いたかったな。平和でさ、そのほうがいいよね」

 などと言ってみたものの、三年生と一年生がいた知り合いになるなんて部活くらいでしかないだろうし、あれくらいのことがない限りはきっと中条さんと会うことは無かったのではないかと思う。
 幽霊という単語で繋がっていないのは相谷君くらいだけど、その相谷君を連れてきたのは橋下君で、さらに言えば拓真と親しくなることも無いということだろう。
 ……誰も関わりを持ちたくないとまでは言っていないのに、一つの接点を無くそうとするだけで全部終わってしまうのかと、何故だか少し、笑えてしまう話だ。

「それは少し、嫌です……」

 もしもの話を、この時の中条さんはとても嫌がった。

「……どうして?」
「ど、どうしても!」

 両手の指を落ち着きなく触っているのは、恐らく言葉を探しているからなのだろう。
 彼女は足を止めたが、おれの方は見ずに自分の手ばかりを見ていた。

「どうしても私は、先輩に会いたいから……」

 彼女はそう言うと、一瞬で顔を真っ赤に染めた。「いや、えっと……」などと言葉にならないものを幾つか口にし、ついには黙ってしまう。

(……こういう感情は、何ていうんだろう)

 中条さんと別れた時、きっともう中条さんに会うことは無いのだろうなと、そう思っていた。それで良いだろうとも思っていた。これは別に普通の行動だと思う。誰だって他人を簡単に巻き込みたくはないはずだ。

「や、やっぱり……私じゃあ、先輩のお役には立てないですねっ!」

 忘れてください。忘れましょうと、まるで自分に言い聞かせるように彼女はそう言った。
 もし彼女の言うように、何もなかったかのようにおれが振る舞ったら、本当にこれで終わってしまうのだろう。おれは今年で卒業するし、人の関係なんてそんなものだ。

「ひとつ、あるかも」

 なのだけれど、正直言って我慢が欠けていた節があるのは否めない。

「……今度、映画観ようかなと思ってたんだけど一緒に行く?」

 これまでとは違う緊張感が、何故だか全身に走ったような気がした。言いながら、さてどうしようかと考えなければならないのは嘘を付いている証拠だ。

「知り合いは暫く誘えなさそうだし、興味無さそうだったから一人で行こうかなと思ってたんだよね」

 この情報は半分嘘で、もう半分は本当だ。別にここ最近知り合い(この場合は拓真ということにしておく)に映画の話をしたことはないし元々一人で行こうと思ってはいた。でもこんなタイミングで映画に行くだなんて言葉が出てくるだなんて、どういう神経をしているのだろうかと自分を疑う。それに、これじゃあまるで……。

「いやでも、おれ中条さんの趣味ってよく知らないな……。ごめん間違え――」
「わ、私も観に行こうかなって思ってました! 行きたいです!」
「そ、そう? なら良かった」

 おれはまだ映画のタイトルもどういうジャンルの映画かという話もまだひとつもしていないのにそんなことを言うもんだから、おれはそれ以上余計なことを言うのを止めた。その辺りを突っ込んでもよかったのだけど、まあきっと、本当に映画を観たかったのだろう。多分。そういうことにしておくのがお互いに都合が良さそうだった。
 そもそもおれは中条さんのことを余り知らない気がするのだが、もし本当に互いの趣味趣向が似たよったものであるのなら、少なからず今日よりはマシな時間が送れるのではないかと、そんな淡い期待は出来るだけ心の底に沈めたまま。

「中条さんは、映画は好き?」

 おれはきっと、今日までに起きた事柄のことをずっと考え、苛まれるのだろうとそう思う。


   ◇


 拓真が退院したのは、秋も半ばの頃だった。拓真が目を覚ましたと連絡があった後すぐにおれは病院に向かった。例えば橋下君の話とか、雅間さんの話とか、公園で会った奇妙な話とか言わなければならないことが沢山あるはずなのだが、言葉にするのもままならず、拓真もそれを感じていたのかお互いに特定の話は避け続けていた。
 雅間さんについてだが、拓真の目が覚めた後おれが再び事故があった場所に行った時、雅間さんはもうそこにはいなかった。そこはもう、事故の形跡だけが取り残されたただの一般道に違いなかった。おれは雅間さんと「拓真を連れてくる」と約束をしたのだが、そうする前に彼女の方から消えてしまっていたわけだ。
 誰かが雅間さんを消した……というのは、可能性がないわけではないのだけれど……。どちらかと言うと、雅間さんが心変わりをしたというのが自然なのかもしれない。どれも憶測で、真偽は分からない。
 一応、雅間さんについては少しだけ話をしようとしたのだが、拓真は雅間さんには余り会いたそうではなかったから、そのことについては口にしていない(おれと雅間さんが接触したことも言っていない)。拓真はとても勘が鋭いから、既に気付いているのかもしれないが。
 数ある異変の中で、どうしてもおれの中で消化できない物事がひとつだけある。本当はそれも含めて話をした方がいいんじゃないかと思いつつ、それでもあえて口に出したりはしなかった。

「最近、曲聞いてること増えたよね」

 おれが知らなかっただけかもしれないが、拓真が曲を聴いているところを余り見たことが無かったのだが、ここ最近イヤホンを付けている頻度が上がっているように思う。例えば、これまでだったら登下校中に偶然あってもイヤホンなんて付けていなかったのに、最近は声をかけるとイヤホンを外す仕草をよくしていた。

「何聴いてるの?」
「別に……なんだっていいだろ」

 そして、一体何を聴いているのかを教えてはくれないのだ。
 ワイヤレスイヤホンを上着のポケットに入れながら、拓真は少々面倒くさそうにおれに言った。

「そんなに人に言いたくないようなもの聴いてるんだ」
「誤解を生むようなこと言うなよ……」

 そのせいもあってか、元々少なかった拓真の口数は更に減ったように思う。それがどういうわけか、微かに誰かを思い浮かばせるものであるということなんて、恐らく拓真は意識すらしていない。それが本来正しくて、おれが考えすぎているだけだから、下手をしたら喧嘩になりそうな余計なことなんて口にはしない。
 どことなくとある彼を思い出すとはいえ、おれといる時にわざわざ曲を聴くようなことは拓真だってしないし、彼だってそういう姿は見たことがない。だけれど、どういうわけかそう感じてしまうのだ。
 相谷君について補足しておくが、彼が前に住んでいた家で遺体となって発見された。拓真の目が覚めてから少ししてからのことで、誰かに首を絞められたのだと村田という刑事から直接聞いた。何故刑事がおれらのところに来たのかというのは……なんというか、あの時四人で撮ったあれが関係している。村田さんは相谷君に会ったことがあるようで、色々と複雑な思いをしているのが伺えた。
 ちなみに相谷君を見つけたのは村田さんと一緒に来た池内という人のようで、彼曰く「人の仕業ではないから解決には至らないのではないか」ということらしく、言う通り今のところ進展があったという連絡はない。そんな話を刑事が普通にしてくるというのはおかしな話だが、池内さんはおれをそういう話をしても差支えがないと思ったから話をしただけで、少なくとも警察内でそういう話は一切していないし、それ以上でも以下でもないと言っていた。ああいう組織の中で池内さんみたいな人が居るというのは少々驚いたが、池内さんは余り気にしていないようだった。村田さんは少し焦っていたけれど。
 少しだけ相谷君についての話もしたが、何を話したのか正直余り覚えていない。覚えていないというより、何かを喋れるほど親しかったかというと疑問で、実のある話はそんなにしていないというのが正しいだろう。それでも村田さんは、相谷君が一人じゃなくて良かったといった旨のことを口にしていて、それが非常に申し訳なくなった。仮に一人じゃなかったとして、今ここに彼が居ないのであればそれは何も意味を持たない時間であったに違いない。
 村田さんから貰った名刺は一応財布の中に入っているが、出来ればもう二度とこれを見ることがないようにと願うばかりだ。

(……また見てる)

 ある時から、拓真は人が全くいないどこかを見ることが増えた。単純に何かを考えているとかぼうっとしているとか、拓真なら別にあり得るのだがそういうことではなく、人が全くいないどこかを見るというのは、俺が一番よく知っているひとつの事象だ。
 拓真がイヤホンを付けるようになった理由はきっと聞いても教えてくれないだろうし、別に曲を聴くこと自体どうとは思っていない。だけれど、もし自身の気を紛らわす為のそれだとするなら、おれの方から声をかけるべきなのかもしれない。でも、それもどうなのだろうと考える。

「な、なんだよ……」何かを感じ取ったのか、拓真がそんなことを言った。
「いや、別に」

 この時、一言「もしかして、幽霊視えてる?」と言ってしまえば楽なのかもしれないが、それを本当に言ってしまっていいのだろうかと、無駄な気の使い方をしていた。
 おれが幽霊が視えるというのは拓真は知っているはずだし、それなら隠していたってバレるものなのだから既に知っていたって不思議じゃないのに、拓真からその話をしないということは余り聞かない方がいいのかもしれないと思った。……というのもあるのだが。

「そろそろ涼しくなってきたね」
「……まあな」

 今はこれ以上悩み事を増やすのはごめんだというのが、心の根底にあったのかもしれない。


   ◇


 いつもの落ち着いた静けさは、なんだか久しぶりな気がした。客人がいなくなってしまっては、もう私たちがすることなんてあるわけがなく、暇な時間をただただ過ごすだけとなる。それはとある人にとっては拷問のような時間となるだろうが、さて私たちの場合はどうだろうか?

「なんか疲れましたね」
「それはよかった」
「いや全然よくないんですけど!?」

 私は支配人の部屋のソファーで暇をつぶしていた。いつものことだから支配人は別に何も言わないし、支配人はさっきまでの出来事なんてお構いなしに既に自分の世界を創り上げていた。支配人はいつも言葉を紙に記しており、それを辞めたことは数えるくらいしかない。
 その書いたものを見せてくれるかどうかは支配人次第だが、頼み込めば大抵のものは見せてくれる。というか、こちらが見せてと言わない限り見せてはくれない人だからそうするしか方法がないのだけれど。
 ペンを走らせながら、支配人は更に言葉を続ける。

「大体、暇だと言っていたのはキミじゃないか」
「確かに暇とは言いましたけど……誰も大勢で来いとは言ってません」
「たかだか三人来たくらいで大げさだよ」
「いや、三人一気に来るなんて今までなかったじゃないですか」

 そう。今回のことは特にイレギュラーだった。そもそもここに人が来るということ自体がそうないことであり、しかも三人となれば当然疲れるに決まっている。ここに来た全員が知り合いとなれば余計だ。気を遣わなければならないことが増えるだけで、楽しいことなんて一つもない(誰が来ても余り楽しくは無いのだけれど)。

「三人でも一人でも、どうせキミは疲れたと言うんだろう」
「そりゃあ、人数に関わらず疲れるもんは疲れますよ」

 今回に限ったことではないけれど、暫くはもう誰も来ないでくれと思うくらいには疲れていた。ここの設定を保つのも、なるべく波風が立たないように気を回さなければならないのも私がここに居る為に必要なことだし、それを私は望んでいたけれど、それをやりを得た後は誰だって疲れるに決まってる。平然と自分の趣味に戻ろうとしている支配人の方がおかしいのだ。

「そうやって言う割には、今回は一段と頑張っているようにワタシは見えたけどね」少し間を置いて、支配人はそんなことを言った。
 私の何を見てそんなことを言ったのかと、嫌な顔をした自覚はあった。

「そういう約束なので、やることはやりますよ」

 支配人が当てずっぽうでものを言うはずがないということは知っているが、こういう時には惚けるくらいのことしか出来ないのは仕方がない。
 話がひと段落したかと言ったところ、扉の開く音に私は注目した。ここに来るのはあと一人くらいしかいないから、別にわざわざ確認する必要も無いのだけれど。

「あ、掃除終わりました?」
「……そうですね」

 掃除士さんはそれだけ言うと、私の座っているソファーの向かいに腰をかけた。腰をかけたどころかそのまま寝てしまいそうな勢いだった。いつものことだから私は特別気にならなかったが、支配人は少し引っかかることがあるようだった。

「寝るなら自分の部屋に行ったらどうだい。大体キミ、客人が来る時くらいは気を付けてくれとあれだけ言ってあっただろう。屋上ならまだしも、廊下で寝ていたそうじゃないか」
「…………そうですね」

 適当に返事をするにも程があるが、この人の図太さは見習いたいところだ。掃除士さんの意識は既に半分どこかに行ってしまっているらしいく、それ以上の言葉は返ってこなかった。それはまるで、神崎さんの時のそれとよく似ている。
 掃除士さんの態度に支配人が多少げんなりとしているのを見てから、私は仕方なく再び話を戻すことにした。

「また暇になりますね」
「……どうかな」

 あからさまに「果たして本当にそうだろうかと」言いたげなそれに、私は思わず反応を返した。これに反応を示さないのは掃除士さんくらいのものである。

「なんですかそれ。どういう意味ですか?」
「どうもこうも、そのままの意味だよ」

 そう言うと、支配人は机に広げていた名簿を閉じた。

「まあ、杞憂かもしれないけれど」
「え、怖い……やめてくださいよそういうの」
「ははは」

 その様子を見るに、恐らくはまだ解決していないものがあるのだろうと推察するが、だからといって詮索をする気は余りなかった。
 詮索をしたところでろくなことにはならないということは知っているし、もし何かが起こるのだとしても、先回りして出来ることと言えばあらゆる選択肢を考えるということくらいで、それは私にとってはただの暇つぶしに過ぎない。だから疲れている今、別に率先して何かを知る必要もないのだと思ったのだ。
 笑って誤魔化す支配人ほど、怖いものはないというのに。

いいね!