「相谷に色々と聞いた」
神崎先輩は、オレに会って早々そんなことを言った。夏休みが明けてすぐ、なんの説明も無くそんなことを言うもんだから最初は何を言っているのか分からなかったが、そういえば先輩は相谷くんと話をしようとしていたことをすぐに思い出した。
「そ、そんなにオレに話したかったんですか?」
オレの知らないところでそんなことが起きているというのは驚きだったが、どうしてわざわざオレにそんな報告をしてきたのだろうか? 夏休みに入る前、ちょうど先輩が相谷くんに例の噂について聞こうとしていたタイミングで割って入ってしまったというのがあったからだとするのなら、先輩は余りにも律儀すぎる。
「色々っていうのは、色々?」
「色々だって言ってんだろ」
何故怒られたのかはよくわからないが、オレはそれ以上何かを聞き出すことはしなかった。
本当のところを言うと何を話したのか知りたい気持ちはかなりあったが、オレが相谷くんに直接聞くならともかく、先輩に聞いて何かを知るというのはこそこそ情報を得ようとしているようでとても嫌だった。それにこういうのは、最初に聞いた人物の特権であり、後から聞くなんていうのはしたくない。
「先輩ってそういうところ凄いですよね。オレには無理ですよ」
オレはその、相谷くんが実際どういう情況なのかというのを聞く勇気がなかったから、尚更聞く権利はないと思うのだ。
「なんの話をしたのかは別に聞かないですけど、先輩だったから相谷くんは話したんですよね、きっと」
オレがそんなことを言うと、先輩は一瞬キョトンとしたのち、少し気まずそうに視線をずらした。
「別に、そういうわけじゃないと思うけどな……」
「いや絶対そうですよ。例え仲が良くたって、話したいと思う人とそうじゃない人っていうのは、区別されるものじゃないですか」
先輩はそういうわけじゃないと言うが、なんせオレには信用がない。自分のことは話さないし、それに付随して隠していることが多すぎる。例えばオレだったら、そんな怪しいやつには自分のことは話さない。
「オレには到底無理だなあ、誰かに言うの」
例え信用出来ると感じた人がすぐ側にいても、オレはそれをすることが出来ないかもしれない。そう思うと、今の先輩と一緒にいるこの状況は一体何の意味があるのかよく分からなくなってくる。
あの時、というのが具体的にいつのことなのかを説明するのは難しいが、先輩達が少しでもオレことを気にしてくれた時に頼れなかった時点で、オレはもう先輩達に会うべきではなかったのだと、今更ながらそう強く感じた。
「お前、本当に何も言わないよな」
これでこの話は終わりのつもりでいたのだが、先輩は軽く口にしたオレの言葉に何やら引っかかりを覚えてしまったようだ。
宇栄原は知ってるのかもしれないけど……と、聞き逃してしまいそうな小さな声で先輩は言った。
「お前がやろうとしてたことが何なのかは知らないけど、それは解決したのか?」
「あー、解決か……」
もしかしたら先輩は、自分が幽霊が視えないということをずっと気にしているのかもしれないと、何となくそう思った。正直なところそれは少し意外だったが、宇栄原先輩とは付き合いが長そうだし、オレは当然幽霊が視えないということがどういうことなのかがもはや分からないから、何か先輩にしか分からないような感情を持ち合わせていてもおかしくはないだろう。
少し痛いところを突かれてしまい、思わず言葉を濁してしまった。いつものように適当に解決したと言っていればこの話はここで終わったことだろう。それとも、それが余計先輩の何かに触れて追及される材料になってしまっただろうか?
「オレ、本当に解決する気があったんですかね」
だからこの時、こんな余計なことを言ってしまったに違いない。
「最近それがよく分からないんですよ」
オレは最初から、何かを解決させようなんて思っていなかったのかもしれない。
本当に解決させるつもりだったら、こんなところで油を売っている暇なんてないはずだし、もしかしたらもう解決していたことだったかもしれない。オレが中途半端に関わった結果、ぐちゃぐちゃになってしまったという自覚がありつつも、それに気づかないふりをすることでいっぱいだった。だからこそ、今更誰かに頼るという虫のいいことをするのは嫌だった。……のだと、思う。今そんなことに気付いたところで、どうしようもないのだが。
「俺は幽霊が見えないから多分力にはなれないけど、だから宇栄原に会いに来たんだろ? なのに何もしなくて良いのか?」
「うーん……」
この時の先輩は、いつにも増して優しかった。
元からオレのどうでもいい話だってなんだかんだちゃんと聞いてくれている人だったし、相谷くんが何か大きな話をしたくらいなのだから、今ここで先輩に思うことを口にしてしまえばきっと先輩は話を聞いてくれたし、そのままの流れで宇栄原先輩にも話すことが出来たかもしれない。解決出来るかどうかは置いておくとして、何かしらが状況が変わったかもしれない。あくまでも希望的観測だが。
「先輩は優しいなあ」
それを出来なかったことが、オレの最大の汚点である。
◇
道路工事は嫌いだ。普段通っている道が通れなくなるというのはもちろん、通りたくない道を通らなければならないということが何よりも嫌で仕方がなかった。今回は、特に。
少し遠くから見える、揺れる人影にオレは思わず足を止めたくなった。その影は、オレのことが分かったのか先ほどよりも色濃くなった。
ようするにこの類の存在は、誰かが興味を示してはじめて形になるのだろう。最も、オレ自信興味を示したつもりはなかったのだが、既に顔を知ってしまっているからこそ、仕方がなかったのかも知れない。
「久しぶりだね」
「う、うん……」
相谷くんのお姉さんだという光莉さんに会ったのは、言葉通り久しぶりだった。一か月は会っていなかったかもしれない。期間が空いてしまったということに明確な理由があるわけではなかったのだが、お姉さんに再び出会って、忘れかけていたことが頭をよぎった。いや、正確に言うと忘れていたわけではない。本当に忘れていたのなら、オレはもっと早くに、この道を通っていたに違いないからだ。
橋下君、だったっけ? お姉さんは自身の記憶とオレに確認しながらも、その答えをオレには求めなかった。
「橋下君って、わたしのこと避けてるの?」
「……どうしてそんなこと聞くの?」
「最近は、ここ通らないなあって思って」
その言葉はなにか、オレを問い詰める前準備のような気がした。
オレがこの道を通るのをやめたのは、勿論、普段使っていない道だったからという理由が大半である。だが本当のことを言ってしまえば、この人にはもう会いたくはなかった。万が一オレと相谷くんが知り合いであるというのをこの人に知られたら、とてもマズいような気がしたのである。
亡くなった人との再会は、なにも感動が全てではない。これはオレが一番よく分かっている。そしてそれは、人間よりも幽霊を見た方が分かりやすいということも知っていた。
「元々余り通らない道だし……。あの時はたまたま通っただけだよ。夏休みだったっていうのもあるけど」
「夏休みか……そんな時期だったのね。何か不都合なことでもあるのかなあって思ったんだけど、違ったみたい」
昔タカハラさんも言っていたが、幽霊になると季節の感覚が鈍くなるというのはどうやら共通事項のようである。
この人の言いぶりは、まるで最初からでそうであると決めつけているようだった。そんなことはないと、もっとはっきり言えればまだよかったのかもしれないが、なんとなく、それも火に油を注ぐ行為のような気もした。
「お姉さんは、ずっとここにいるんだっけ?」
「一応、そういうことになるのかな」
この質問を前にしたかどうかは、この時のオレは既に忘れていた。女性曰く、いわゆる地縛霊と言われるようなその場所に留まり続けるような存在ということになる。一応、とわざわざ含みを持たせたところが少々気になるが……。
「私ね、ここで交通事故にあったんだけど――」
聞いてもいないのに何かを話し始めるということは、どうやらよっぽど誰かに話を聞いて欲しいらしかった。前も似たような感じだったのを思い出して、余計に早く帰りたい気持ちに晒された。
幽霊というのは得てしてそういう存在であることが往々にしてあるというのを知っているからか、特別驚きはしなかったが、その対象がオレというのが少々気になった。
「その時、弟が私のことを突き飛ばしたの」
と言っても、この言葉は想定外以外の何物でもなかったが。
「そう、なんだ……」
オレはありきたりな返事をするので精一杯だった。彼女の言う弟とはそんなに仲が悪かったのだろうか? 本当に? だとしたら、学校での噂も強ち嘘ではないという可能性も出てきてしまう気がしてならないが……。
いやしかし、この人の言っていること全てを鵜呑みにするわけにはいかない。幽霊としてここに存在しているということは、そういうことだ。もしかしたら、オレを動揺させる何かを孕んでいるかもしれない。
「そんなに殺したかったのかな、私のこと。橋下君はどう思う?」
「どう……って?」
「悪いのは誰だと思う?」
なにか誘導尋問のようなものを感じ、オレは思わず答えるのに時間をかけた。光莉さんは恐らく、その弟とやらのことを悪く言いたいのだろう。こういう時、相手に同情するのが一番波風が立たないのだろうが――。
「……その場で見たわけじゃないから、よく分からないよ」
それをしてしまっては、その弟とやらと合わせる顔がなくなってしまうような、そんな気がした。何より、人のことを簡単に売るような薄情はことは、そう簡単に、オレには出来ない。
そう? とお姉さんは口にすると、お互いの考えを探るような僅かな沈黙が訪れた。お姉さんは少し物憂げな様子を見せたが、それも一瞬のことだった。
「そういえば、私の弟見つけてくれた?」
今日一番聞かれたくない質問をされ、オレは再び答えに困った。やはり来るべきではなかったかと、後悔が募るには十分である。
「ううん。まだ見つかってない。光莉さんは、その弟に会ったらどうするの?」
なるべく簡単にこの話は済ませ、オレは悟られないようすぐに話を逸らした。そういえばオレは、この人がどうしてその弟に会いたがっているのかを知らない。何か理由があって会いたいに違いないのだろうが。
「うーん……少しだけ、昔の話をしたいかな」
「……それだけ?」
「どうかなぁ」
少し首を傾げ、お姉さんは思考を巡らせる。一体何を言ってみせるのかと、思わず唾を飲んだ。
「実際会ってみないと、分からないかも」
この類いの卑しい笑みを、オレはこれまでの人生で視たことが無い。「ねえ、橋下君」と、まるでオレの感情を既に知っているかのように、女性は話を続ける。なぜこの人は、オレに会うと人を嘲笑を浮かべているのだろうか? 幽霊だから? それとも、元からそういう人なのだろうか? この答えを相谷くんに求めたら、どう答えが返ってくるのだろう。
「あなた、私がここから動けないって思ってるでしょう?」
幽霊に多少なりとも恐怖心を覚えたのはこれはが初めてではないのだが、この感覚は久しぶりである。余りにも幽霊という存在が身近で、しかもそれがオレに害を与えて来ないお陰で、本来幽霊というのはそういうものであるというのをすっかりと忘れてしまっていたように思う。
オレは幽霊が視えるだけの人間だ。それなのに、何かを解決できるつもりで色んなものに口を出すだなんて、死期を早めているだけに過ぎない行動である。
中途半端に幽霊というものを知っているのであれば尚更、それに簡単に触れたらろくなことにはならないということなんて既に知っているというのに。
「……違うの?」オレは出来るだけ平静を装った。しかしこの質問こそが、オレが動揺したことの証明になってしまったかもしれない。
「少なくとも、最初はそうだったけれど。今はどうかな」
そう言ってみせる彼女は、何故か少し楽しそうだった。そんなことを口にするということは、だ。どうして彼女が今日、オレに疑いの目をかけて、聞きたくもない話を勝手にしていったのかということがよく分かる。
質問に対して肯定も否定もしないというはとても分かりやすい。特にこの人の場合、あえてそう言っているような気がしてならない。
確証もないことを余り盲信したくはないが、オレの勘が本当に正しいとするのであれば。
「気を付けて帰ってね」
オレが相谷くんと知り合いだということを、この人は知っているということになる。
◇
相谷くんのお姉さんだと名乗る存在が口にしていた言葉の数々が、どうにも頭から離れない。
オレがどうなろうと別にどうだっていいが、相谷くんの身になにか大事が降りかかってしまうかもしれない(もしくは、既にそうなってしまっている後か)。そう思うと、全身の熱が引いていくようなそんな感覚が走った。
好き勝手動いておいて今更なにをとも思うのだが……タカハラさんや祥吾というある意味異質な存在と一緒にいることが多かったこともあったのか、こういう感情を抱いたのは久しぶりだったかもしれない。
もう随分前の話になるが、幽霊と関わるなと言っていた祥吾の言葉の意味がようやく分かったような気がしたが、恐らくは気付くのが遅すぎた。
オレの話は伏せるとしても、せめてこれだけは先輩に言うべきだなのろうかと、この時ようやく思いはじめていた。しかし、だからと言ってそう簡単に行動に移せるわけでもなく。同じことを永遠と考えながら、そろそろ学校での時間が終わりになる頃だ。
こういう時、話をしたい人物に会いたいような気持と、いっそ会いたくないという気持ちが両方発生し、まるで透明な水が濁っていくような感覚になる。どちらが正しいとか正しくないとかではなく、きっとどちらも最初から濁っているのだ。だから明確な答えを出すことが出来ないでいるに違いない。
(先輩だ……)
そんなことを思っていると、都合よく宇栄原先輩のことを目撃した。いや同じ学校に通っているのだからよくあることではあるのだが、声をかけようかどうしようか少々ぐずぐずしていた。
恐らくは、好きな人に声をかける時のように、心臓は何度も跳ね上がっているのを感じる。話しかけたところでどう切り出せばいいか分からないし、いっそこのまま見なかったことにしてしまいたかった。
「こんにちは」
先輩が話しかけたのは、オレではなかった。階段の方から来たらしい女子生徒――名前こそは知らないが、その姿だけは以前見たことがあった。もう夏休みに入る前の話になるが、祥吾と会う少し前に横を走って行った人物だ。
「お、お久しぶりです」女生徒の方は、先輩に対して少しおずおずとしているように見えた。
「久しぶりって言うほど経ってないと思うけど……あれから何かあった?」
「えーっと、特には……私は元気でした!」
「そう? なら良かった」
そのやり取りを聞くに、親しい間柄というわけでもないようだった。どちらかというと最近出会ったかのような、余所余所しさを両方から感じたのである。それに「何かあった?」と聞くのも少々違和感があった。
例えば以前からの知り合いだったとしても、そういう質問は余りしないだろう。何かがあった証拠と言っても差し支えはない。
(……オレ、なんでコソコソしてるんだろう)
……にしても、何と言ったらいいか、オレの知らない人物と話をしている先輩の姿というのは、まるで違う人を見ているような気分になった。最も、先輩のことを本当にちゃんと知っているとは思っていないが。
いや、誰かと話しているところにずかずかと入っていくような野暮なことはしないが、だったらそのまま通り過ぎればいいものを、何故だか二人のことをじっと視界に入れてしまっていた。だがそれも急に阿呆らしくなり、オレは先輩のいない方へと歩みを進めた。
罪悪感に耐えきれなくなったと言ってもいいだろう。本人の知らないところで情報を得るというのは、どんな偶然だったとしても余りいい気分ではない。本当にただの偶然で見てしまっただけだというのに、どうしてこんな気分にならないといけないのだろうか。
(誰にだって、友達とか親しい人はいるもんな……)
別にさっきの女子生徒に関わらず、先輩のことを知っている人間はきっと沢山いる。家が街の花屋ということもあるし、オレに比べれば顔だって広いはずだ。先輩に何かあったら悲しむ人もいるだろう。
……そんな人を、簡単に巻き込んでいいのだろうかと、自分の心に何度も問いかけた。
「あの人、祥吾に会ったのかな……」
先輩と話をしていた女子生徒は、あの時黒い粒子を僅かに纏わせていた。
あの人から出ているというよりは外的要因の感覚があったし、ということは祥吾か別の幽霊に出会ったことになる。もしかして、先輩もその場にいたのだろうか? いや、余り下手なことは考えたくはないが、オレの知らないところで、先輩と祥吾が接触している可能性だって、ゼロではない。
もうひとつ気になったのは、神崎先輩はあの女子生徒のことを知っているのかということだ。
別にお互いプライベートのことまで全て知っているというわけではないだろうが、神崎先輩は先輩で別の学校の生徒と親しくしている(橋下調べ)というのは周知されてしまっていることだし、もし神崎先輩がこのことを知らないのなら、なんというか、宇栄原先輩は少しズルいのではないかという気がしてしまった。
(ああ、いいや。不毛だし考えるの止めよう)
前途したように、特別言う必要の無いことなのかもしれないし、オレが知らないだけで先輩同士は知っていることなのかもしれない。それでも何故か、勝手に理不尽な気持ちになった。どうしてこんなに苛々してしまうのか、自分でもよく分からない。
「先輩……」
しかし唯一理解できるのは、世の中、知らなければ良かったと思うようなことのほうが多いということだ。
◇
「またこんなこんな時間に外に居るんだね。いい加減警察に怒られるよ? それか、悪い人に会うのが先かな」
こういうとき、オレに話しかけてくるような人物は一人しかいない。それが有り難くもあり、少し虚しくもあった。
「タカハラさん……」
声をかけてきた人物は警察ではなかった。もしかしたら、タカハラさんが悪い人であるという見方も可能だが、だからといって距離を置くということは、する気もない。
今は、本来なら高校生なんてもう出歩いてはいない時間である。公園で油を売るのが癖づいてしまっており、気付いたらそんな時間になってしまっていたようだが、特別驚きはしない。似たようなことは、なにも一度や二度ではなかった。
今日はいつにも増して、特段に周りが暗いようなそんな気がした。いつもと同じ公園であるにも関わらず、そう感じた理由がいまいちよく分からなかった。
家に帰っても誰も居ないのだから別に帰ったところで同じなのだが、どうにも家で大人しくいられる気がしなかった。当然、外が安全とは限らないのだが……まあ、今はタカハラさんがいるからきっと大事は起きないだろう。タカハラさんがいるから何かが起こるという可能性もゼロではないけれど。
「オレ、最初は祥吾のことを何とかしたいって思ってた。いや、今だって思ってるんだよ」
こんなことを言ったら、祥吾にはふざけるなと言われてしまいそうである。そして結局、そんな都合のいい解決方法なんてあるわけがなく。
「でも、誰かを巻き込むのは嫌なんだ」
かと言って、誰かに危険な目にあって欲しいわけでもなく。
「だって、それで何かあったらオレ後悔でおかしくなるよ」
タカハラさんは、オレの話にただただ相づちをうった。一体何を思ってオレの話を聞いているのか、その表情からは伺うことは出来なかった。
助けるということは、どちらにせよ祥吾を消すことになる。分かってはいるのだか、そしたらもう、祥吾には会えなくなるわけで……。
「オレ、やっぱり祥吾に会わないほうが良かったのかな……」
だったらあの時、中途半端な気持ちでタカハラさんについて行かなければよかったなどと思い。
「それは……そうだとするなら、ボクにも責任があるよ」
「決めたのはオレだよ。別にタカハラさんは悪くない」
タカハラさんが申し訳なさそうな顔をするが、でもそういうことでは当然なく。
(……やっぱり、オレのせいだな)
全ての出来事が、中途半端に行動を起こし、中途半端に行動を起こしていないオレが原因なのだ。
「橋下くんが祥吾くんの力になりたいって思ってるように、皆も橋下くんの力になりたいんだと思うんだ」
タカハラさんの言いたいことは、何となく予想はついていた。きっとオレも、心のどこかでそう思っていることでもあったのだろう。
「人の力を借りるのは、悪いことじゃないと思う」
何となく分かっていながらも、それを行動に移す気概が、オレにはどうしようもなく足りなかったという、ただそれだけのことだ。
「でも……」
「というか、そういう気持ちをそのまま言ってみたらいいんじゃないかな」
タカハラさんは、誰かに言うのは本当に簡単なことだとでも言いたげだったが、オレはそれに答えはしなかった。
どれも全部オレの我が儘で、何かを妥協すれば済む話であるというのはずっと前から分かっていて、どれ程自分の首を絞めているのかということくらいちゃんと分かっている。しかし、それが既に出来ていたら今こんな話をすることはなかったということも事実である。
一応言っておいたほうがいいかなって思うんだけど。そう前置きをして、タカハラさんはこんなことを口にした。
「ボク達よりも、生きている人が優先されるのは当然だと思うんだ。力を使うのだって、簡単なことじゃないからさ。放っておくって言うのは……一見残酷なことかもしれないけれど、でも、その選択が許されることはあると思う」
別の選択肢を提示するタカハラさんは、少し寂しそうに視線を僅かに下に落としていた。
今はどうか分からないが、いつだったか、タカハラさんは祥吾のことを「友達だと思ってる」と言っていた。それは当然そんな顔をするよなと思ったが、そういう説明をせざるを得ない状況を作ってしまっているのは紛れもなくこのオレで、余計タカハラさんの顔を見ることが出来なかった。
「余り時間はないからね」
家まで送っていくよ。いつかに言われたことをタカハラさんは口にする。
(なんで、タカハラさんはオレと祥吾を会わせようとしたんだろう……)
どういうわけか、前にも思ったことがまた疑問にあがった。
たまたまオレが幽霊が認識出来て祥吾と知り合いだったから、というのが一番自然な理由だろうが、タカハラさん本人から直接聞いたわけではないし、もしかしたら他の意図があったのかもしれない。そうだとしても、オレには一切心当たりがないが。
(まあ、いいか……)
しかし、今更湧いた疑問を口にすることは、二度となかった。
神崎先輩は、オレに会って早々そんなことを言った。夏休みが明けてすぐ、なんの説明も無くそんなことを言うもんだから最初は何を言っているのか分からなかったが、そういえば先輩は相谷くんと話をしようとしていたことをすぐに思い出した。
「そ、そんなにオレに話したかったんですか?」
オレの知らないところでそんなことが起きているというのは驚きだったが、どうしてわざわざオレにそんな報告をしてきたのだろうか? 夏休みに入る前、ちょうど先輩が相谷くんに例の噂について聞こうとしていたタイミングで割って入ってしまったというのがあったからだとするのなら、先輩は余りにも律儀すぎる。
「色々っていうのは、色々?」
「色々だって言ってんだろ」
何故怒られたのかはよくわからないが、オレはそれ以上何かを聞き出すことはしなかった。
本当のところを言うと何を話したのか知りたい気持ちはかなりあったが、オレが相谷くんに直接聞くならともかく、先輩に聞いて何かを知るというのはこそこそ情報を得ようとしているようでとても嫌だった。それにこういうのは、最初に聞いた人物の特権であり、後から聞くなんていうのはしたくない。
「先輩ってそういうところ凄いですよね。オレには無理ですよ」
オレはその、相谷くんが実際どういう情況なのかというのを聞く勇気がなかったから、尚更聞く権利はないと思うのだ。
「なんの話をしたのかは別に聞かないですけど、先輩だったから相谷くんは話したんですよね、きっと」
オレがそんなことを言うと、先輩は一瞬キョトンとしたのち、少し気まずそうに視線をずらした。
「別に、そういうわけじゃないと思うけどな……」
「いや絶対そうですよ。例え仲が良くたって、話したいと思う人とそうじゃない人っていうのは、区別されるものじゃないですか」
先輩はそういうわけじゃないと言うが、なんせオレには信用がない。自分のことは話さないし、それに付随して隠していることが多すぎる。例えばオレだったら、そんな怪しいやつには自分のことは話さない。
「オレには到底無理だなあ、誰かに言うの」
例え信用出来ると感じた人がすぐ側にいても、オレはそれをすることが出来ないかもしれない。そう思うと、今の先輩と一緒にいるこの状況は一体何の意味があるのかよく分からなくなってくる。
あの時、というのが具体的にいつのことなのかを説明するのは難しいが、先輩達が少しでもオレことを気にしてくれた時に頼れなかった時点で、オレはもう先輩達に会うべきではなかったのだと、今更ながらそう強く感じた。
「お前、本当に何も言わないよな」
これでこの話は終わりのつもりでいたのだが、先輩は軽く口にしたオレの言葉に何やら引っかかりを覚えてしまったようだ。
宇栄原は知ってるのかもしれないけど……と、聞き逃してしまいそうな小さな声で先輩は言った。
「お前がやろうとしてたことが何なのかは知らないけど、それは解決したのか?」
「あー、解決か……」
もしかしたら先輩は、自分が幽霊が視えないということをずっと気にしているのかもしれないと、何となくそう思った。正直なところそれは少し意外だったが、宇栄原先輩とは付き合いが長そうだし、オレは当然幽霊が視えないということがどういうことなのかがもはや分からないから、何か先輩にしか分からないような感情を持ち合わせていてもおかしくはないだろう。
少し痛いところを突かれてしまい、思わず言葉を濁してしまった。いつものように適当に解決したと言っていればこの話はここで終わったことだろう。それとも、それが余計先輩の何かに触れて追及される材料になってしまっただろうか?
「オレ、本当に解決する気があったんですかね」
だからこの時、こんな余計なことを言ってしまったに違いない。
「最近それがよく分からないんですよ」
オレは最初から、何かを解決させようなんて思っていなかったのかもしれない。
本当に解決させるつもりだったら、こんなところで油を売っている暇なんてないはずだし、もしかしたらもう解決していたことだったかもしれない。オレが中途半端に関わった結果、ぐちゃぐちゃになってしまったという自覚がありつつも、それに気づかないふりをすることでいっぱいだった。だからこそ、今更誰かに頼るという虫のいいことをするのは嫌だった。……のだと、思う。今そんなことに気付いたところで、どうしようもないのだが。
「俺は幽霊が見えないから多分力にはなれないけど、だから宇栄原に会いに来たんだろ? なのに何もしなくて良いのか?」
「うーん……」
この時の先輩は、いつにも増して優しかった。
元からオレのどうでもいい話だってなんだかんだちゃんと聞いてくれている人だったし、相谷くんが何か大きな話をしたくらいなのだから、今ここで先輩に思うことを口にしてしまえばきっと先輩は話を聞いてくれたし、そのままの流れで宇栄原先輩にも話すことが出来たかもしれない。解決出来るかどうかは置いておくとして、何かしらが状況が変わったかもしれない。あくまでも希望的観測だが。
「先輩は優しいなあ」
それを出来なかったことが、オレの最大の汚点である。
◇
道路工事は嫌いだ。普段通っている道が通れなくなるというのはもちろん、通りたくない道を通らなければならないということが何よりも嫌で仕方がなかった。今回は、特に。
少し遠くから見える、揺れる人影にオレは思わず足を止めたくなった。その影は、オレのことが分かったのか先ほどよりも色濃くなった。
ようするにこの類の存在は、誰かが興味を示してはじめて形になるのだろう。最も、オレ自信興味を示したつもりはなかったのだが、既に顔を知ってしまっているからこそ、仕方がなかったのかも知れない。
「久しぶりだね」
「う、うん……」
相谷くんのお姉さんだという光莉さんに会ったのは、言葉通り久しぶりだった。一か月は会っていなかったかもしれない。期間が空いてしまったということに明確な理由があるわけではなかったのだが、お姉さんに再び出会って、忘れかけていたことが頭をよぎった。いや、正確に言うと忘れていたわけではない。本当に忘れていたのなら、オレはもっと早くに、この道を通っていたに違いないからだ。
橋下君、だったっけ? お姉さんは自身の記憶とオレに確認しながらも、その答えをオレには求めなかった。
「橋下君って、わたしのこと避けてるの?」
「……どうしてそんなこと聞くの?」
「最近は、ここ通らないなあって思って」
その言葉はなにか、オレを問い詰める前準備のような気がした。
オレがこの道を通るのをやめたのは、勿論、普段使っていない道だったからという理由が大半である。だが本当のことを言ってしまえば、この人にはもう会いたくはなかった。万が一オレと相谷くんが知り合いであるというのをこの人に知られたら、とてもマズいような気がしたのである。
亡くなった人との再会は、なにも感動が全てではない。これはオレが一番よく分かっている。そしてそれは、人間よりも幽霊を見た方が分かりやすいということも知っていた。
「元々余り通らない道だし……。あの時はたまたま通っただけだよ。夏休みだったっていうのもあるけど」
「夏休みか……そんな時期だったのね。何か不都合なことでもあるのかなあって思ったんだけど、違ったみたい」
昔タカハラさんも言っていたが、幽霊になると季節の感覚が鈍くなるというのはどうやら共通事項のようである。
この人の言いぶりは、まるで最初からでそうであると決めつけているようだった。そんなことはないと、もっとはっきり言えればまだよかったのかもしれないが、なんとなく、それも火に油を注ぐ行為のような気もした。
「お姉さんは、ずっとここにいるんだっけ?」
「一応、そういうことになるのかな」
この質問を前にしたかどうかは、この時のオレは既に忘れていた。女性曰く、いわゆる地縛霊と言われるようなその場所に留まり続けるような存在ということになる。一応、とわざわざ含みを持たせたところが少々気になるが……。
「私ね、ここで交通事故にあったんだけど――」
聞いてもいないのに何かを話し始めるということは、どうやらよっぽど誰かに話を聞いて欲しいらしかった。前も似たような感じだったのを思い出して、余計に早く帰りたい気持ちに晒された。
幽霊というのは得てしてそういう存在であることが往々にしてあるというのを知っているからか、特別驚きはしなかったが、その対象がオレというのが少々気になった。
「その時、弟が私のことを突き飛ばしたの」
と言っても、この言葉は想定外以外の何物でもなかったが。
「そう、なんだ……」
オレはありきたりな返事をするので精一杯だった。彼女の言う弟とはそんなに仲が悪かったのだろうか? 本当に? だとしたら、学校での噂も強ち嘘ではないという可能性も出てきてしまう気がしてならないが……。
いやしかし、この人の言っていること全てを鵜呑みにするわけにはいかない。幽霊としてここに存在しているということは、そういうことだ。もしかしたら、オレを動揺させる何かを孕んでいるかもしれない。
「そんなに殺したかったのかな、私のこと。橋下君はどう思う?」
「どう……って?」
「悪いのは誰だと思う?」
なにか誘導尋問のようなものを感じ、オレは思わず答えるのに時間をかけた。光莉さんは恐らく、その弟とやらのことを悪く言いたいのだろう。こういう時、相手に同情するのが一番波風が立たないのだろうが――。
「……その場で見たわけじゃないから、よく分からないよ」
それをしてしまっては、その弟とやらと合わせる顔がなくなってしまうような、そんな気がした。何より、人のことを簡単に売るような薄情はことは、そう簡単に、オレには出来ない。
そう? とお姉さんは口にすると、お互いの考えを探るような僅かな沈黙が訪れた。お姉さんは少し物憂げな様子を見せたが、それも一瞬のことだった。
「そういえば、私の弟見つけてくれた?」
今日一番聞かれたくない質問をされ、オレは再び答えに困った。やはり来るべきではなかったかと、後悔が募るには十分である。
「ううん。まだ見つかってない。光莉さんは、その弟に会ったらどうするの?」
なるべく簡単にこの話は済ませ、オレは悟られないようすぐに話を逸らした。そういえばオレは、この人がどうしてその弟に会いたがっているのかを知らない。何か理由があって会いたいに違いないのだろうが。
「うーん……少しだけ、昔の話をしたいかな」
「……それだけ?」
「どうかなぁ」
少し首を傾げ、お姉さんは思考を巡らせる。一体何を言ってみせるのかと、思わず唾を飲んだ。
「実際会ってみないと、分からないかも」
この類いの卑しい笑みを、オレはこれまでの人生で視たことが無い。「ねえ、橋下君」と、まるでオレの感情を既に知っているかのように、女性は話を続ける。なぜこの人は、オレに会うと人を嘲笑を浮かべているのだろうか? 幽霊だから? それとも、元からそういう人なのだろうか? この答えを相谷くんに求めたら、どう答えが返ってくるのだろう。
「あなた、私がここから動けないって思ってるでしょう?」
幽霊に多少なりとも恐怖心を覚えたのはこれはが初めてではないのだが、この感覚は久しぶりである。余りにも幽霊という存在が身近で、しかもそれがオレに害を与えて来ないお陰で、本来幽霊というのはそういうものであるというのをすっかりと忘れてしまっていたように思う。
オレは幽霊が視えるだけの人間だ。それなのに、何かを解決できるつもりで色んなものに口を出すだなんて、死期を早めているだけに過ぎない行動である。
中途半端に幽霊というものを知っているのであれば尚更、それに簡単に触れたらろくなことにはならないということなんて既に知っているというのに。
「……違うの?」オレは出来るだけ平静を装った。しかしこの質問こそが、オレが動揺したことの証明になってしまったかもしれない。
「少なくとも、最初はそうだったけれど。今はどうかな」
そう言ってみせる彼女は、何故か少し楽しそうだった。そんなことを口にするということは、だ。どうして彼女が今日、オレに疑いの目をかけて、聞きたくもない話を勝手にしていったのかということがよく分かる。
質問に対して肯定も否定もしないというはとても分かりやすい。特にこの人の場合、あえてそう言っているような気がしてならない。
確証もないことを余り盲信したくはないが、オレの勘が本当に正しいとするのであれば。
「気を付けて帰ってね」
オレが相谷くんと知り合いだということを、この人は知っているということになる。
◇
相谷くんのお姉さんだと名乗る存在が口にしていた言葉の数々が、どうにも頭から離れない。
オレがどうなろうと別にどうだっていいが、相谷くんの身になにか大事が降りかかってしまうかもしれない(もしくは、既にそうなってしまっている後か)。そう思うと、全身の熱が引いていくようなそんな感覚が走った。
好き勝手動いておいて今更なにをとも思うのだが……タカハラさんや祥吾というある意味異質な存在と一緒にいることが多かったこともあったのか、こういう感情を抱いたのは久しぶりだったかもしれない。
もう随分前の話になるが、幽霊と関わるなと言っていた祥吾の言葉の意味がようやく分かったような気がしたが、恐らくは気付くのが遅すぎた。
オレの話は伏せるとしても、せめてこれだけは先輩に言うべきだなのろうかと、この時ようやく思いはじめていた。しかし、だからと言ってそう簡単に行動に移せるわけでもなく。同じことを永遠と考えながら、そろそろ学校での時間が終わりになる頃だ。
こういう時、話をしたい人物に会いたいような気持と、いっそ会いたくないという気持ちが両方発生し、まるで透明な水が濁っていくような感覚になる。どちらが正しいとか正しくないとかではなく、きっとどちらも最初から濁っているのだ。だから明確な答えを出すことが出来ないでいるに違いない。
(先輩だ……)
そんなことを思っていると、都合よく宇栄原先輩のことを目撃した。いや同じ学校に通っているのだからよくあることではあるのだが、声をかけようかどうしようか少々ぐずぐずしていた。
恐らくは、好きな人に声をかける時のように、心臓は何度も跳ね上がっているのを感じる。話しかけたところでどう切り出せばいいか分からないし、いっそこのまま見なかったことにしてしまいたかった。
「こんにちは」
先輩が話しかけたのは、オレではなかった。階段の方から来たらしい女子生徒――名前こそは知らないが、その姿だけは以前見たことがあった。もう夏休みに入る前の話になるが、祥吾と会う少し前に横を走って行った人物だ。
「お、お久しぶりです」女生徒の方は、先輩に対して少しおずおずとしているように見えた。
「久しぶりって言うほど経ってないと思うけど……あれから何かあった?」
「えーっと、特には……私は元気でした!」
「そう? なら良かった」
そのやり取りを聞くに、親しい間柄というわけでもないようだった。どちらかというと最近出会ったかのような、余所余所しさを両方から感じたのである。それに「何かあった?」と聞くのも少々違和感があった。
例えば以前からの知り合いだったとしても、そういう質問は余りしないだろう。何かがあった証拠と言っても差し支えはない。
(……オレ、なんでコソコソしてるんだろう)
……にしても、何と言ったらいいか、オレの知らない人物と話をしている先輩の姿というのは、まるで違う人を見ているような気分になった。最も、先輩のことを本当にちゃんと知っているとは思っていないが。
いや、誰かと話しているところにずかずかと入っていくような野暮なことはしないが、だったらそのまま通り過ぎればいいものを、何故だか二人のことをじっと視界に入れてしまっていた。だがそれも急に阿呆らしくなり、オレは先輩のいない方へと歩みを進めた。
罪悪感に耐えきれなくなったと言ってもいいだろう。本人の知らないところで情報を得るというのは、どんな偶然だったとしても余りいい気分ではない。本当にただの偶然で見てしまっただけだというのに、どうしてこんな気分にならないといけないのだろうか。
(誰にだって、友達とか親しい人はいるもんな……)
別にさっきの女子生徒に関わらず、先輩のことを知っている人間はきっと沢山いる。家が街の花屋ということもあるし、オレに比べれば顔だって広いはずだ。先輩に何かあったら悲しむ人もいるだろう。
……そんな人を、簡単に巻き込んでいいのだろうかと、自分の心に何度も問いかけた。
「あの人、祥吾に会ったのかな……」
先輩と話をしていた女子生徒は、あの時黒い粒子を僅かに纏わせていた。
あの人から出ているというよりは外的要因の感覚があったし、ということは祥吾か別の幽霊に出会ったことになる。もしかして、先輩もその場にいたのだろうか? いや、余り下手なことは考えたくはないが、オレの知らないところで、先輩と祥吾が接触している可能性だって、ゼロではない。
もうひとつ気になったのは、神崎先輩はあの女子生徒のことを知っているのかということだ。
別にお互いプライベートのことまで全て知っているというわけではないだろうが、神崎先輩は先輩で別の学校の生徒と親しくしている(橋下調べ)というのは周知されてしまっていることだし、もし神崎先輩がこのことを知らないのなら、なんというか、宇栄原先輩は少しズルいのではないかという気がしてしまった。
(ああ、いいや。不毛だし考えるの止めよう)
前途したように、特別言う必要の無いことなのかもしれないし、オレが知らないだけで先輩同士は知っていることなのかもしれない。それでも何故か、勝手に理不尽な気持ちになった。どうしてこんなに苛々してしまうのか、自分でもよく分からない。
「先輩……」
しかし唯一理解できるのは、世の中、知らなければ良かったと思うようなことのほうが多いということだ。
◇
「またこんなこんな時間に外に居るんだね。いい加減警察に怒られるよ? それか、悪い人に会うのが先かな」
こういうとき、オレに話しかけてくるような人物は一人しかいない。それが有り難くもあり、少し虚しくもあった。
「タカハラさん……」
声をかけてきた人物は警察ではなかった。もしかしたら、タカハラさんが悪い人であるという見方も可能だが、だからといって距離を置くということは、する気もない。
今は、本来なら高校生なんてもう出歩いてはいない時間である。公園で油を売るのが癖づいてしまっており、気付いたらそんな時間になってしまっていたようだが、特別驚きはしない。似たようなことは、なにも一度や二度ではなかった。
今日はいつにも増して、特段に周りが暗いようなそんな気がした。いつもと同じ公園であるにも関わらず、そう感じた理由がいまいちよく分からなかった。
家に帰っても誰も居ないのだから別に帰ったところで同じなのだが、どうにも家で大人しくいられる気がしなかった。当然、外が安全とは限らないのだが……まあ、今はタカハラさんがいるからきっと大事は起きないだろう。タカハラさんがいるから何かが起こるという可能性もゼロではないけれど。
「オレ、最初は祥吾のことを何とかしたいって思ってた。いや、今だって思ってるんだよ」
こんなことを言ったら、祥吾にはふざけるなと言われてしまいそうである。そして結局、そんな都合のいい解決方法なんてあるわけがなく。
「でも、誰かを巻き込むのは嫌なんだ」
かと言って、誰かに危険な目にあって欲しいわけでもなく。
「だって、それで何かあったらオレ後悔でおかしくなるよ」
タカハラさんは、オレの話にただただ相づちをうった。一体何を思ってオレの話を聞いているのか、その表情からは伺うことは出来なかった。
助けるということは、どちらにせよ祥吾を消すことになる。分かってはいるのだか、そしたらもう、祥吾には会えなくなるわけで……。
「オレ、やっぱり祥吾に会わないほうが良かったのかな……」
だったらあの時、中途半端な気持ちでタカハラさんについて行かなければよかったなどと思い。
「それは……そうだとするなら、ボクにも責任があるよ」
「決めたのはオレだよ。別にタカハラさんは悪くない」
タカハラさんが申し訳なさそうな顔をするが、でもそういうことでは当然なく。
(……やっぱり、オレのせいだな)
全ての出来事が、中途半端に行動を起こし、中途半端に行動を起こしていないオレが原因なのだ。
「橋下くんが祥吾くんの力になりたいって思ってるように、皆も橋下くんの力になりたいんだと思うんだ」
タカハラさんの言いたいことは、何となく予想はついていた。きっとオレも、心のどこかでそう思っていることでもあったのだろう。
「人の力を借りるのは、悪いことじゃないと思う」
何となく分かっていながらも、それを行動に移す気概が、オレにはどうしようもなく足りなかったという、ただそれだけのことだ。
「でも……」
「というか、そういう気持ちをそのまま言ってみたらいいんじゃないかな」
タカハラさんは、誰かに言うのは本当に簡単なことだとでも言いたげだったが、オレはそれに答えはしなかった。
どれも全部オレの我が儘で、何かを妥協すれば済む話であるというのはずっと前から分かっていて、どれ程自分の首を絞めているのかということくらいちゃんと分かっている。しかし、それが既に出来ていたら今こんな話をすることはなかったということも事実である。
一応言っておいたほうがいいかなって思うんだけど。そう前置きをして、タカハラさんはこんなことを口にした。
「ボク達よりも、生きている人が優先されるのは当然だと思うんだ。力を使うのだって、簡単なことじゃないからさ。放っておくって言うのは……一見残酷なことかもしれないけれど、でも、その選択が許されることはあると思う」
別の選択肢を提示するタカハラさんは、少し寂しそうに視線を僅かに下に落としていた。
今はどうか分からないが、いつだったか、タカハラさんは祥吾のことを「友達だと思ってる」と言っていた。それは当然そんな顔をするよなと思ったが、そういう説明をせざるを得ない状況を作ってしまっているのは紛れもなくこのオレで、余計タカハラさんの顔を見ることが出来なかった。
「余り時間はないからね」
家まで送っていくよ。いつかに言われたことをタカハラさんは口にする。
(なんで、タカハラさんはオレと祥吾を会わせようとしたんだろう……)
どういうわけか、前にも思ったことがまた疑問にあがった。
たまたまオレが幽霊が認識出来て祥吾と知り合いだったから、というのが一番自然な理由だろうが、タカハラさん本人から直接聞いたわけではないし、もしかしたら他の意図があったのかもしれない。そうだとしても、オレには一切心当たりがないが。
(まあ、いいか……)
しかし、今更湧いた疑問を口にすることは、二度となかった。