恐らく、この時のオレは息をすることも忘れていたのだろう。そう思うくらいには、現実は悲惨なものだった。
「本当に祥吾……?」
こんなことを聞いてしまうくらいには、目の前に居る人物が本当に祥吾であるのかが、どういうわけかこの期に及んでよく分からなかったのだ。
タカハラさんに祥吾に会うかどうかの打診をされた時は、正直余り乗り気では無かった。オレが会いたいのは幽霊になった祥吾ではないということを、何となく理解していたからだ。しかし、どうやら自分は幽霊が視えてしまうのだというのと、身内が幽霊になったと耳にした以上、全く気にならないなんてことがあるわけもなく。
タカハラさんは、俺が祥吾のところに辿り着く少し前に「ちょっと先に行ってるね」と言ってオレを置いて祥吾のところに向かった。どういう話を二人はしていたのかは分からないが、祥吾の顔を見るに楽しい話をしているわけではないようだった。
「……その質問は狡いな」そう言って、祥吾は頭を掻いた。声を聞いてようやくそれが祥吾なのかもしれないと思ったくらいに、オレは心のどこかで警戒していた。
数日以上も前の話だが、確かに祥吾の葬儀は行われた。当然その場にオレは居たし、祥吾の両親がどんな顔をしていたのかもよく覚えている。それなのに、一体何故なのだろう?
「暫く会ってなかったんだし、葬儀に来たって面白くもなんともなかっただろ?」
柳 祥吾という男は、なんの変哲もない道路の歩道橋の真ん中でそんな話を軽々とした。もう少しで日が暮れてしまうという時間だが、辺りにはちょうど人がおらず、下を見ても車通りがまるでなかった。
言ってしまえば、今までは幽霊というものに対しては特別な感情は持っていなかった。結局のところ父さんの件だってよく分からなかったし、その後も仮に幽霊が視えたとしてもただ眺めるだけで何かをするわけでもなかった。タカハラさんが余りにも簡単にオレに接触してきていたからか、幽霊に対してそこまで嫌な気もしていなかったのだ。しかし、この時ばかりは事情が違った。
「ただの事故だったんだ。心配することは何もないし、そのうち俺も消える」
「へえ」オレが来てから喋ることをしなかったタカハラさんが、ここでようやく口を挟んだ。
「あれをただの事故って言っちゃうんだ? 凄いな――ああいや、どうぞ話を続けて」
その態度が気に触ったのか、祥吾はタカハラさんのことを睨みつけた。タカハラさんは相変わらずへらへらとしていたが、その様子になんだか嫌な予感がしてしまい、二人がオレを忘れて何かを話し始めるよりも前に足までもが一歩前に出た。
「オレ、タカハラさんの話が本当かどうかを知りたくて、ここに来たんだ」
少したどたどしくなってしまったか、二人の視線はオレに向けられた。
「……ただの事故なんだよね? それと、今起きてる事故もなにか関係あるの?」
祥吾は当然のようにオレの質問には答えなかった。それがどんな意味を持つのかというのをオレは何となく分かっていたが、気付かないふりをしていた。分かりたくなかったのだ。
タカハラさんの言った「あれをただの事故と言うのか」という言葉が気になったが、その意味を直接聞けるほどの度胸はなかった。本当にただの事故ならそれで構わないのだけれど、そうなってくるとタカハラさんが言ったことが嘘になってしまうし、どちらにしても余りいい気はしないのだが……。
「そんなに言いたくないなら、ボクが代わりに言ってあげようか?」
話が進まないオレ達を前に、タカハラさんがまた間に割って入ってきた。
「……お前がいなければ言ってた」
「そうは思えないけど」
この状況で笑みを浮かべているタカハラさんは、明らかに異端だった。まるでこの状況を楽しんでいるようにも見えてしまうが、これまでの経験上楽しんでいるというよりはそういうものなのだという理解に及んだ。
今から突拍子もないことを言うけどね。そうタカハラさんは前置きをした。
「確かに事故は事故だったかもしれないけど、この人、同級生のお父さんが運転している車を自分に当たるように力を使って仕向けたんだよ。それに、そのうち消えるっていうのも間違いだね。キョウくんが聞くからそういう嘘ついてるんだろうけど、彼がキミを認識出来ている時点でその嘘はもう通用しない。今起きてる事故っていうのは……あくまでもぼくの憶測だけど、多分その時のが影響してるんだと思う。祥吾くんがやってるっていうのは、ちょっとニュアンスが違ったかも」
まるでさも当たり前の話のように、タカハラさんは急に真剣に難しい話をオレに向けた。一体何が本当のタカハラさんなのか最早分からなかったが、しかしそれよりも、話の内容をどこまで真剣に受け取ればいいのかが分からなかった。
話の内容である、祥吾と接触した車を運転していたのが同級生の父親であるところまでは分かったが(理解まではしたくないが)、その車を自らに当たるように仕向けたというのがよく分からない。しかもタカハラさんは、祥吾が力を使ってそれを起こしたのだと、訳の分からないことを口にした。頭の中は混乱していたし、爆発しそうな感覚が走った。
それを知ってか知らずか、タカハラさんは少しだけかみ砕いて説明を始めた。
「力っていうのは――魔法っていうのが一番分かりやすいのかな? それは幽霊と対峙するために使うっていうのが本来の使い方だ。でもこの人は、それを逸脱した」
続けて、タカハラさんはこう言った。
「魔法を使って、人を殺したんだよ」
「ま、魔法……? そんな非現実的なことって……」
「あるんだよ」
オレの疑問を、タカハラさんはすぐに否定をした。そんな感想はどうでもいいとでも言いたげだった。
「多分認識してないと思うけど、キミが幽霊やボクを認識出来るっていうのもそれに該当するよ。この国の言葉で一番近いのは呪術かな? ボクも余り詳しくないけど」
そうやって口にするタカハラさんの表情は、なんだか薄寂しいくオレの目に映った。
「まだ廃れてないんだよ、現代でもそういう力っていうのは」
◇
タカハラという人物の口から羅列された言葉は、理解するには余りにも時間と知識が足りなかった。辻褄を合わせるためだけの夢の中のような感覚があったが、背中を横切る風がそうではないことをオレに伝えた。
「ほ、本当に祥吾がそんなことしたの……?」今日のオレは、まるで質問ばかりする小さな子供のようだ。
「そんな顔で俺のこと見るなよ」
一体どんな表情をオレがしていたのかは分からないが、祥吾の表情は少なからず何か諦めのようなものが含まれているような気がしてならなかった。タカハラさんと話していた時は睨みをきかせていた祥吾だが、オレと会話をする時はその面影はなくなっていた。
「別に俺は……」
何かを言いたげな祥吾だったが、そこから先に続く言葉が発せられることはなかった。何かを考えているのか――あるいは既に結論が出ていることであり、それを口に出すのを躊躇しているようだった。
「誰かに同情されるなんて、たまったもんじゃない」
何か、言いたいことが他にあったのではないかと思うほどに、それは脈絡のないものだった。祥吾の目はオレを見ているようでどこか別の、何か祥吾にしか分からないのもを見ているようだった。その様子が、オレのようなたまにしか会うことの無かった関係値の低い人間がどうこう出来ることではないと、そう言っているような気がしてならなかった。
「放っておいてくれ」
祥吾がさらに一言付け加えると、辺り一帯が急に色濃く夜を深めた。黒い靄のようなものがどこからともなく地面から発生している。この光景を、オレは何処かで見たことがあった。父さんが死んだ場所でオレが見たものと、正しく同じだったのだ。黒く舞い始めるそれは、祥吾の周りを取り巻きながら徐々に集まっているように見えた。
「別に逃げなくたっていいのに」タカハラさんは言った。この言葉から察するに、恐らくどこか別の場所へと祥吾が行こうとしている前触れ――簡単に言うなら、逃げようとしているのだということはすぐに分かった。しかし、タカハラさんが何をしようとしているのかだけは分からなかった。
タカハラさんが裾に纏わり付いた黒いそれを手で払うと、そこから白い光の粒のようなものが微かに散ったのが分かった。その時、だっただろうか。オレは、この状況がようやく異常であるということを理解したような気がした。
まるで祥吾のことを牽制するかのように、タカハラさんの身体からは光のようなものがこぼれ落ちていく。
「ああ――うん。業を背負うっていうのは、きっとこういうことなんだね」
タカハラさんが一体どういう意図があってこの言葉を口にしたのか、背中をこちらに向けていたせいで全く分からなかった。
「だ、駄目だよ……っ!」
この状況の中、オレが出来ることは何一つないということは分かっていたが、そうだとしても、大人しくただ突っ立っているような男では無かった。
「……そんなにボクに抱きついて、一体どうしたの?」
気付けばオレは、タカハラさんのことを止めようと後ろから身体に抱きついた。脇の隙間から辛うじて見えたタカハラさんの顔は、少し困りながらも、どこか笑っているようだった。
「だ、だって……」
そう問われて、オレは自分がどうしてタカハラさんに抱きついたのかの理由を探した。しかし、そう簡単に見つかるものでは無かったのか、そこから先の言葉が出てくることは無かった。
目の前に広がる黒く蔓延る何かは、祥吾を中心に渦を巻いている。僅かに見える祥吾の顔は、タカハラさんのことをただ睨みつけているようだった。
少しずつ、祥吾の身体がその黒い靄と同化していってるような気がして、内心気が気では無かった。あれと共に、祥吾がもう消えて無くなってしまうのではないかと思ったのだ。
「心配しなくても、ボクは正義の味方じゃないから、別に彼のことを取って食おうだなんて思ってないよ? あの黒いのが話をするのに邪魔だから、無くしたいなあって思っただけ」
「でも……」
でも、と口にはしたものの、だから一体なんだと言うのだろう?
どうしてオレは、タカハラさんのその説明を聞いても尚しがみつくのを止めようとしないのだろうか? そんなことをしている暇はないというのは分かるのに、一体何がオレをそうさせているのか、短い時間の中だがよく考えた。だが正直に言うと、どれだけ考えても自分の行動はイマイチよく分からなかった。
「タカハラさん、余り力は使いたくないって前に言ってたよね?」そう口にすると、タカハラさんは少々面食らった顔をした。
「……そんなこと言ったかな」
「言ってたよ。オレ覚えてる。誰かとっていうのは知らないけど、そういう約束したんでしょ?」
全く脈絡のない話であることは分かっているのだが、どうにかそれらしいことを言ってタカハラさんを止めようとした。もしかするとタカハラさんはそれに気付いていたかもしれないが、そんなことは別にどうだって良かった。
タカハラさんが「余り力は使いたくない」と言っていたのは踏切で再び出会ったときの話だが、タカハラさんは確かにそんなことを口にしていた。記憶力だけは無駄に高いお陰で、あの時のことは嫌でも思い出せる。あの日は雪が降っており、子供であれば誰もがはしゃいでいたことだろう。状況さえ違っていれば、オレもそのうちの一人だったに違いない。
祥吾の周りを取り巻いていた靄が次第に集約していき、とうとう祥吾の姿は見えなくなってしまっている。本当は今すぐでもに祥吾のところに行きたいはずなのに、オレは何故かそれをしなかった。
「だったら、約束破っちゃ駄目だよ」
最も、その約束をした人物というのが今も生きているのかは分からないし、タカハラさんが一体いつ逝邪という存在になったのかも分からない。この人はすぐに嘘をつく人だ。
あの時だって、踏切に居た何かはすっかりと無くなっていた。それが本当にタカハラさんがやったことであるという証拠はないのだが、いま力を使うのを許してしまえば、この人はいつか、オレの知らないところで祥吾のことを消してしまうような気がしてならかなったのだ。
祥吾と共に、少しずつ靄が小さくなっていっているのがよく分かった。本当にこの場から消えてしまうのだろうというのは、誰が見ても明白だっただろう。この時点でタカハラさんが何か行動を起こしたとことでどうにかなるのかは分からないが、何もしない様子に、オレはとても安心してしまっていた。
タカハラさんは、祥吾が消えていくのが分かるとオレの手に静かに触れた。
「……そうだね」
まるでオレがそう言わせているかのように、タカハラさんは笑みを繕った。
◇
「ボクはね、祥吾くんのことは友達だと思ってるんだよ」
タカハラさんは、オレの家までついてきてくれるようだった。帰路は既に日が落ちてしまっており、到底一人で帰れるような気分ではなかったし、何より聞きたいことがごまんとあった。
祥吾がいなくなった後のタカハラさんは、淡々としているいつものタカハラさんだった。ようやく聞きたかった部分が聞けるのかもしれないと、オレはずっと黙り込んでいた。
タカハラさんがオレに言ったのは、当然祥吾についてのことだった。
「あれはいつのことだったかな……確か――ボクがキョウくんに会ってからだったと思うんだけど、もう五年前くらいになると思うけど、ボクと祥吾くんが話しているところを同級生に見られてね。その同級生はボクのことが視えてなかったわけで……。元から、祥吾くんにとって余りいい環境じゃなかったみたいで、そこから色々と変わっていった」
だから少し、反省してる。別に祥吾くんの日常を壊すつもりはなかったと、タカハラさんは言っていた。
「元々幽霊がそんなに好きじゃなかったみたいで、ボクには最初から当たりが強かったけど、あれからもっと態度が露骨になってさ」
参っちゃうよね、そう言いながら笑って見せるタカハラさんはいつものそれで、まるで十年以上も前のことを話してるような、遠い昔のことのように話を進めた。
昔、祥吾と一緒に居たときにタカハラさんに出会ったのだが、その時「幽霊が嫌いだ」と祥吾は言っていた。その理由が少しだけ分かったような気がしたが、それでもまだ、何かが足りない気がした。
「あの時もだいぶ怒ってたたけど、祥吾くんが高校生になってからのことだったよ。蓄積された念いは、友達でもないボク一人が止められるものじゃなかった。……キョウくんには言えないこと、結構沢山あるんだ」
今のタカハラさんは、一見オレに色んなことを話してくれているようにも見えるが、その実、二人だけしか知らないことや、到底口に出せないようなこともあったのだろうということが、言葉の端々から伺える。本当はそういうことも全部教えて欲しいところではあるが、祥吾の承諾も無しにそういうことを根掘り葉掘り聞くのはいかがなものかという良心が働いた。
「それが最終的に、その同級生の親に向けられたっていうのがさ。流石に驚いたよね」
やっぱり、いくら何でも今回の出来事はタカハラさんでも想像の範囲外だったようで、相変わらず笑みを浮かべているのに眉間にしわを寄せていた。
「なんで、オレと祥吾を合わせようとしたの?」
かなり端的に言うのであれば、オレと祥吾が従兄弟であるというのと、決して悪い関係では無かったからだとは思うのだが、そこが少々引っかかっていた。
「どうしてかな……。キョウくんに言うことで、なにか――そう、自分が出来なかったことを誰かに擦り付けたかったのかもしれない」酷い奴だって思っていいよ。タカハラさんは最後にそう付け加えた。
「でも……オレには、どうすることも出来ないよ」
「キョウくんがボクを止めなければ、どうにかなってたかも知れないけどね。ああいや、別に責めてるわけじゃないよ。キョウくんにとっては突然のことだったし……ボクだって、やらなくていいならやらないから」
明らかにオレに気を遣っているタカハラさんの視線は、オレと地面を行ったり来たりしていた。確かにあの時、タカハラさんを止めなければもう少し祥吾と話が出来たのかも知れないし、もしかしたら祥吾は消えていたのかもしれない。もっと言うなら、それが最善の選択だったのかもしれない。
「本当に、ボクが力使ったら駄目なの?」
「駄目ったら駄目だよ」
「そっかぁ」
残念だなぁと言いながら全く残念そうではなく、わざとらしく腕を組んだ。
「キョウくんの知り合いに、幽霊が視える人っていないの?」イマイチ脈絡のない質問に、オレは少々戸惑った。
「い、いないと思うけど……。オレ、誰かにそういう話したこと一度もないし、聞くのも可笑しいっていうか」
「まあそうだよね。余り言いたくはないけど、友達全員が理解ある人かどうかは分からないし」
タカハラさんが言うように、まず幽霊の話というのが卑情に人を選ぶものであり、正直口に出すのも憚られる部類に含まれるだろう。
ただの幽霊話ならまだしも、幽霊が視えるということになってくると話は別だ。そんなことを口にしたところで、例え仲の良い親友と呼ばれる存在だったとしても誰もが一度は疑いの目を向けてくるだろう。そこから関係が悪化することだって、大いにある(祥吾がその類だったみたいだが……)。
視えない人が大多数のものを視えると説明するというのは、相当な胆力が必要なのだ。
「じゃあ、まずは幽霊が視える人を探してみるっていうのはどう? 現実的じゃないかもしれないけど」
オレが疑問を提示するよりも早く、タカハラさんは話を続けた。
「ボクが力を使わないという前提なら、出来ることは当然限られてくるよね。幽霊が視えて尚且力を使える人が必要そうだ。幽霊が視えるっていう人は探せばいると思うけど、そこから更に力を使えて助けになってくれそうな人を探すっていうのは余り現実的じゃない。でもまあ――うん、可能性はゼロではないと思う。瞑邪が瞑邪として存在するには、どんなに凶悪なことをしてもそれなりに時間が必要になる。数年くらいじゃ状況はそこまで大きくは変わらない。といっても良くなることはないし、予想を超えるようなことは起きるかも知れないけどね」
予想を超えるようなこと、というのが少々引っかかるが、こういう真面目な話をする時のタカハラさんは実によく口が回った。
いつもの、まるで掴み所がないタカハラさんと今のタカハラさんは余りにも乖離があった。だからそのどちらにも、タカハラさん自身はどこにも居ないようなそんな気がした。
「案外近くにいるかも知れないし、もし運が悪くて探すことが出来なかったり、探すことが出来てもその人が助けてくれないようだったら、その時はボクが動く。そういうことでどう? いい落としどころじゃない?」
途方のない有限の約束を提示されたような気がして、オレはまたしてもすぐに答えを口にすることが出来なかった。
「本当に祥吾……?」
こんなことを聞いてしまうくらいには、目の前に居る人物が本当に祥吾であるのかが、どういうわけかこの期に及んでよく分からなかったのだ。
タカハラさんに祥吾に会うかどうかの打診をされた時は、正直余り乗り気では無かった。オレが会いたいのは幽霊になった祥吾ではないということを、何となく理解していたからだ。しかし、どうやら自分は幽霊が視えてしまうのだというのと、身内が幽霊になったと耳にした以上、全く気にならないなんてことがあるわけもなく。
タカハラさんは、俺が祥吾のところに辿り着く少し前に「ちょっと先に行ってるね」と言ってオレを置いて祥吾のところに向かった。どういう話を二人はしていたのかは分からないが、祥吾の顔を見るに楽しい話をしているわけではないようだった。
「……その質問は狡いな」そう言って、祥吾は頭を掻いた。声を聞いてようやくそれが祥吾なのかもしれないと思ったくらいに、オレは心のどこかで警戒していた。
数日以上も前の話だが、確かに祥吾の葬儀は行われた。当然その場にオレは居たし、祥吾の両親がどんな顔をしていたのかもよく覚えている。それなのに、一体何故なのだろう?
「暫く会ってなかったんだし、葬儀に来たって面白くもなんともなかっただろ?」
柳 祥吾という男は、なんの変哲もない道路の歩道橋の真ん中でそんな話を軽々とした。もう少しで日が暮れてしまうという時間だが、辺りにはちょうど人がおらず、下を見ても車通りがまるでなかった。
言ってしまえば、今までは幽霊というものに対しては特別な感情は持っていなかった。結局のところ父さんの件だってよく分からなかったし、その後も仮に幽霊が視えたとしてもただ眺めるだけで何かをするわけでもなかった。タカハラさんが余りにも簡単にオレに接触してきていたからか、幽霊に対してそこまで嫌な気もしていなかったのだ。しかし、この時ばかりは事情が違った。
「ただの事故だったんだ。心配することは何もないし、そのうち俺も消える」
「へえ」オレが来てから喋ることをしなかったタカハラさんが、ここでようやく口を挟んだ。
「あれをただの事故って言っちゃうんだ? 凄いな――ああいや、どうぞ話を続けて」
その態度が気に触ったのか、祥吾はタカハラさんのことを睨みつけた。タカハラさんは相変わらずへらへらとしていたが、その様子になんだか嫌な予感がしてしまい、二人がオレを忘れて何かを話し始めるよりも前に足までもが一歩前に出た。
「オレ、タカハラさんの話が本当かどうかを知りたくて、ここに来たんだ」
少したどたどしくなってしまったか、二人の視線はオレに向けられた。
「……ただの事故なんだよね? それと、今起きてる事故もなにか関係あるの?」
祥吾は当然のようにオレの質問には答えなかった。それがどんな意味を持つのかというのをオレは何となく分かっていたが、気付かないふりをしていた。分かりたくなかったのだ。
タカハラさんの言った「あれをただの事故と言うのか」という言葉が気になったが、その意味を直接聞けるほどの度胸はなかった。本当にただの事故ならそれで構わないのだけれど、そうなってくるとタカハラさんが言ったことが嘘になってしまうし、どちらにしても余りいい気はしないのだが……。
「そんなに言いたくないなら、ボクが代わりに言ってあげようか?」
話が進まないオレ達を前に、タカハラさんがまた間に割って入ってきた。
「……お前がいなければ言ってた」
「そうは思えないけど」
この状況で笑みを浮かべているタカハラさんは、明らかに異端だった。まるでこの状況を楽しんでいるようにも見えてしまうが、これまでの経験上楽しんでいるというよりはそういうものなのだという理解に及んだ。
今から突拍子もないことを言うけどね。そうタカハラさんは前置きをした。
「確かに事故は事故だったかもしれないけど、この人、同級生のお父さんが運転している車を自分に当たるように力を使って仕向けたんだよ。それに、そのうち消えるっていうのも間違いだね。キョウくんが聞くからそういう嘘ついてるんだろうけど、彼がキミを認識出来ている時点でその嘘はもう通用しない。今起きてる事故っていうのは……あくまでもぼくの憶測だけど、多分その時のが影響してるんだと思う。祥吾くんがやってるっていうのは、ちょっとニュアンスが違ったかも」
まるでさも当たり前の話のように、タカハラさんは急に真剣に難しい話をオレに向けた。一体何が本当のタカハラさんなのか最早分からなかったが、しかしそれよりも、話の内容をどこまで真剣に受け取ればいいのかが分からなかった。
話の内容である、祥吾と接触した車を運転していたのが同級生の父親であるところまでは分かったが(理解まではしたくないが)、その車を自らに当たるように仕向けたというのがよく分からない。しかもタカハラさんは、祥吾が力を使ってそれを起こしたのだと、訳の分からないことを口にした。頭の中は混乱していたし、爆発しそうな感覚が走った。
それを知ってか知らずか、タカハラさんは少しだけかみ砕いて説明を始めた。
「力っていうのは――魔法っていうのが一番分かりやすいのかな? それは幽霊と対峙するために使うっていうのが本来の使い方だ。でもこの人は、それを逸脱した」
続けて、タカハラさんはこう言った。
「魔法を使って、人を殺したんだよ」
「ま、魔法……? そんな非現実的なことって……」
「あるんだよ」
オレの疑問を、タカハラさんはすぐに否定をした。そんな感想はどうでもいいとでも言いたげだった。
「多分認識してないと思うけど、キミが幽霊やボクを認識出来るっていうのもそれに該当するよ。この国の言葉で一番近いのは呪術かな? ボクも余り詳しくないけど」
そうやって口にするタカハラさんの表情は、なんだか薄寂しいくオレの目に映った。
「まだ廃れてないんだよ、現代でもそういう力っていうのは」
◇
タカハラという人物の口から羅列された言葉は、理解するには余りにも時間と知識が足りなかった。辻褄を合わせるためだけの夢の中のような感覚があったが、背中を横切る風がそうではないことをオレに伝えた。
「ほ、本当に祥吾がそんなことしたの……?」今日のオレは、まるで質問ばかりする小さな子供のようだ。
「そんな顔で俺のこと見るなよ」
一体どんな表情をオレがしていたのかは分からないが、祥吾の表情は少なからず何か諦めのようなものが含まれているような気がしてならなかった。タカハラさんと話していた時は睨みをきかせていた祥吾だが、オレと会話をする時はその面影はなくなっていた。
「別に俺は……」
何かを言いたげな祥吾だったが、そこから先に続く言葉が発せられることはなかった。何かを考えているのか――あるいは既に結論が出ていることであり、それを口に出すのを躊躇しているようだった。
「誰かに同情されるなんて、たまったもんじゃない」
何か、言いたいことが他にあったのではないかと思うほどに、それは脈絡のないものだった。祥吾の目はオレを見ているようでどこか別の、何か祥吾にしか分からないのもを見ているようだった。その様子が、オレのようなたまにしか会うことの無かった関係値の低い人間がどうこう出来ることではないと、そう言っているような気がしてならなかった。
「放っておいてくれ」
祥吾がさらに一言付け加えると、辺り一帯が急に色濃く夜を深めた。黒い靄のようなものがどこからともなく地面から発生している。この光景を、オレは何処かで見たことがあった。父さんが死んだ場所でオレが見たものと、正しく同じだったのだ。黒く舞い始めるそれは、祥吾の周りを取り巻きながら徐々に集まっているように見えた。
「別に逃げなくたっていいのに」タカハラさんは言った。この言葉から察するに、恐らくどこか別の場所へと祥吾が行こうとしている前触れ――簡単に言うなら、逃げようとしているのだということはすぐに分かった。しかし、タカハラさんが何をしようとしているのかだけは分からなかった。
タカハラさんが裾に纏わり付いた黒いそれを手で払うと、そこから白い光の粒のようなものが微かに散ったのが分かった。その時、だっただろうか。オレは、この状況がようやく異常であるということを理解したような気がした。
まるで祥吾のことを牽制するかのように、タカハラさんの身体からは光のようなものがこぼれ落ちていく。
「ああ――うん。業を背負うっていうのは、きっとこういうことなんだね」
タカハラさんが一体どういう意図があってこの言葉を口にしたのか、背中をこちらに向けていたせいで全く分からなかった。
「だ、駄目だよ……っ!」
この状況の中、オレが出来ることは何一つないということは分かっていたが、そうだとしても、大人しくただ突っ立っているような男では無かった。
「……そんなにボクに抱きついて、一体どうしたの?」
気付けばオレは、タカハラさんのことを止めようと後ろから身体に抱きついた。脇の隙間から辛うじて見えたタカハラさんの顔は、少し困りながらも、どこか笑っているようだった。
「だ、だって……」
そう問われて、オレは自分がどうしてタカハラさんに抱きついたのかの理由を探した。しかし、そう簡単に見つかるものでは無かったのか、そこから先の言葉が出てくることは無かった。
目の前に広がる黒く蔓延る何かは、祥吾を中心に渦を巻いている。僅かに見える祥吾の顔は、タカハラさんのことをただ睨みつけているようだった。
少しずつ、祥吾の身体がその黒い靄と同化していってるような気がして、内心気が気では無かった。あれと共に、祥吾がもう消えて無くなってしまうのではないかと思ったのだ。
「心配しなくても、ボクは正義の味方じゃないから、別に彼のことを取って食おうだなんて思ってないよ? あの黒いのが話をするのに邪魔だから、無くしたいなあって思っただけ」
「でも……」
でも、と口にはしたものの、だから一体なんだと言うのだろう?
どうしてオレは、タカハラさんのその説明を聞いても尚しがみつくのを止めようとしないのだろうか? そんなことをしている暇はないというのは分かるのに、一体何がオレをそうさせているのか、短い時間の中だがよく考えた。だが正直に言うと、どれだけ考えても自分の行動はイマイチよく分からなかった。
「タカハラさん、余り力は使いたくないって前に言ってたよね?」そう口にすると、タカハラさんは少々面食らった顔をした。
「……そんなこと言ったかな」
「言ってたよ。オレ覚えてる。誰かとっていうのは知らないけど、そういう約束したんでしょ?」
全く脈絡のない話であることは分かっているのだが、どうにかそれらしいことを言ってタカハラさんを止めようとした。もしかするとタカハラさんはそれに気付いていたかもしれないが、そんなことは別にどうだって良かった。
タカハラさんが「余り力は使いたくない」と言っていたのは踏切で再び出会ったときの話だが、タカハラさんは確かにそんなことを口にしていた。記憶力だけは無駄に高いお陰で、あの時のことは嫌でも思い出せる。あの日は雪が降っており、子供であれば誰もがはしゃいでいたことだろう。状況さえ違っていれば、オレもそのうちの一人だったに違いない。
祥吾の周りを取り巻いていた靄が次第に集約していき、とうとう祥吾の姿は見えなくなってしまっている。本当は今すぐでもに祥吾のところに行きたいはずなのに、オレは何故かそれをしなかった。
「だったら、約束破っちゃ駄目だよ」
最も、その約束をした人物というのが今も生きているのかは分からないし、タカハラさんが一体いつ逝邪という存在になったのかも分からない。この人はすぐに嘘をつく人だ。
あの時だって、踏切に居た何かはすっかりと無くなっていた。それが本当にタカハラさんがやったことであるという証拠はないのだが、いま力を使うのを許してしまえば、この人はいつか、オレの知らないところで祥吾のことを消してしまうような気がしてならかなったのだ。
祥吾と共に、少しずつ靄が小さくなっていっているのがよく分かった。本当にこの場から消えてしまうのだろうというのは、誰が見ても明白だっただろう。この時点でタカハラさんが何か行動を起こしたとことでどうにかなるのかは分からないが、何もしない様子に、オレはとても安心してしまっていた。
タカハラさんは、祥吾が消えていくのが分かるとオレの手に静かに触れた。
「……そうだね」
まるでオレがそう言わせているかのように、タカハラさんは笑みを繕った。
◇
「ボクはね、祥吾くんのことは友達だと思ってるんだよ」
タカハラさんは、オレの家までついてきてくれるようだった。帰路は既に日が落ちてしまっており、到底一人で帰れるような気分ではなかったし、何より聞きたいことがごまんとあった。
祥吾がいなくなった後のタカハラさんは、淡々としているいつものタカハラさんだった。ようやく聞きたかった部分が聞けるのかもしれないと、オレはずっと黙り込んでいた。
タカハラさんがオレに言ったのは、当然祥吾についてのことだった。
「あれはいつのことだったかな……確か――ボクがキョウくんに会ってからだったと思うんだけど、もう五年前くらいになると思うけど、ボクと祥吾くんが話しているところを同級生に見られてね。その同級生はボクのことが視えてなかったわけで……。元から、祥吾くんにとって余りいい環境じゃなかったみたいで、そこから色々と変わっていった」
だから少し、反省してる。別に祥吾くんの日常を壊すつもりはなかったと、タカハラさんは言っていた。
「元々幽霊がそんなに好きじゃなかったみたいで、ボクには最初から当たりが強かったけど、あれからもっと態度が露骨になってさ」
参っちゃうよね、そう言いながら笑って見せるタカハラさんはいつものそれで、まるで十年以上も前のことを話してるような、遠い昔のことのように話を進めた。
昔、祥吾と一緒に居たときにタカハラさんに出会ったのだが、その時「幽霊が嫌いだ」と祥吾は言っていた。その理由が少しだけ分かったような気がしたが、それでもまだ、何かが足りない気がした。
「あの時もだいぶ怒ってたたけど、祥吾くんが高校生になってからのことだったよ。蓄積された念いは、友達でもないボク一人が止められるものじゃなかった。……キョウくんには言えないこと、結構沢山あるんだ」
今のタカハラさんは、一見オレに色んなことを話してくれているようにも見えるが、その実、二人だけしか知らないことや、到底口に出せないようなこともあったのだろうということが、言葉の端々から伺える。本当はそういうことも全部教えて欲しいところではあるが、祥吾の承諾も無しにそういうことを根掘り葉掘り聞くのはいかがなものかという良心が働いた。
「それが最終的に、その同級生の親に向けられたっていうのがさ。流石に驚いたよね」
やっぱり、いくら何でも今回の出来事はタカハラさんでも想像の範囲外だったようで、相変わらず笑みを浮かべているのに眉間にしわを寄せていた。
「なんで、オレと祥吾を合わせようとしたの?」
かなり端的に言うのであれば、オレと祥吾が従兄弟であるというのと、決して悪い関係では無かったからだとは思うのだが、そこが少々引っかかっていた。
「どうしてかな……。キョウくんに言うことで、なにか――そう、自分が出来なかったことを誰かに擦り付けたかったのかもしれない」酷い奴だって思っていいよ。タカハラさんは最後にそう付け加えた。
「でも……オレには、どうすることも出来ないよ」
「キョウくんがボクを止めなければ、どうにかなってたかも知れないけどね。ああいや、別に責めてるわけじゃないよ。キョウくんにとっては突然のことだったし……ボクだって、やらなくていいならやらないから」
明らかにオレに気を遣っているタカハラさんの視線は、オレと地面を行ったり来たりしていた。確かにあの時、タカハラさんを止めなければもう少し祥吾と話が出来たのかも知れないし、もしかしたら祥吾は消えていたのかもしれない。もっと言うなら、それが最善の選択だったのかもしれない。
「本当に、ボクが力使ったら駄目なの?」
「駄目ったら駄目だよ」
「そっかぁ」
残念だなぁと言いながら全く残念そうではなく、わざとらしく腕を組んだ。
「キョウくんの知り合いに、幽霊が視える人っていないの?」イマイチ脈絡のない質問に、オレは少々戸惑った。
「い、いないと思うけど……。オレ、誰かにそういう話したこと一度もないし、聞くのも可笑しいっていうか」
「まあそうだよね。余り言いたくはないけど、友達全員が理解ある人かどうかは分からないし」
タカハラさんが言うように、まず幽霊の話というのが卑情に人を選ぶものであり、正直口に出すのも憚られる部類に含まれるだろう。
ただの幽霊話ならまだしも、幽霊が視えるということになってくると話は別だ。そんなことを口にしたところで、例え仲の良い親友と呼ばれる存在だったとしても誰もが一度は疑いの目を向けてくるだろう。そこから関係が悪化することだって、大いにある(祥吾がその類だったみたいだが……)。
視えない人が大多数のものを視えると説明するというのは、相当な胆力が必要なのだ。
「じゃあ、まずは幽霊が視える人を探してみるっていうのはどう? 現実的じゃないかもしれないけど」
オレが疑問を提示するよりも早く、タカハラさんは話を続けた。
「ボクが力を使わないという前提なら、出来ることは当然限られてくるよね。幽霊が視えて尚且力を使える人が必要そうだ。幽霊が視えるっていう人は探せばいると思うけど、そこから更に力を使えて助けになってくれそうな人を探すっていうのは余り現実的じゃない。でもまあ――うん、可能性はゼロではないと思う。瞑邪が瞑邪として存在するには、どんなに凶悪なことをしてもそれなりに時間が必要になる。数年くらいじゃ状況はそこまで大きくは変わらない。といっても良くなることはないし、予想を超えるようなことは起きるかも知れないけどね」
予想を超えるようなこと、というのが少々引っかかるが、こういう真面目な話をする時のタカハラさんは実によく口が回った。
いつもの、まるで掴み所がないタカハラさんと今のタカハラさんは余りにも乖離があった。だからそのどちらにも、タカハラさん自身はどこにも居ないようなそんな気がした。
「案外近くにいるかも知れないし、もし運が悪くて探すことが出来なかったり、探すことが出来てもその人が助けてくれないようだったら、その時はボクが動く。そういうことでどう? いい落としどころじゃない?」
途方のない有限の約束を提示されたような気がして、オレはまたしてもすぐに答えを口にすることが出来なかった。