柳 祥吾という男が亡くなったのは、それから数年が経った頃である。交通事故だった。その知らせがオレに届いたのは、そろそろ本格的に高校受験を考えないといけない春の日だった。
小学生の頃は夏休みか冬休みのどちらかで会う機会があったのだが、去年は会うことがなく、そのお陰かなんなのか、正直なところ特別大きなショックはなかった。身内が死ぬのはこれが二回目で慣れてしまったというと聞こえは悪いが、もしかするとそういうことだったのかもしれない。オレ自身が特別騒ぎ立てるということはなかった。
葬式には当然参加した。葬儀に参列した人たちは、オレの知らない人ばかりだった。オレと祥吾は一年に二回会えれば多い程度だったのだから知らない人の方が多いのは当然なのだが、なんだかオレだけ場違いのような気がしてならなかった。まるで全く知らない人間の葬儀に来ているような感覚に苛まれたのだ。
「――元気?」そんな中、オレに話しかけてくる一人の人物がいた。
「別に、元気だよ」
黒い服に囲まれるのに飽き飽きしていたオレは、ひとり外の空気を吸っていた。なんだか似たようなことが前にもあったような気がするが、そんなことはもうどうだってよかった。
こんな場所に黒く纏わない人間がいるのも珍しい。オレは、視線だけその人物に向けてすぐに空を視界に入れた。この日は余り天気が良いとは言えず、雲が多く流れているのが難点だ。
「祥吾、本当にいないんだね」
タカハラさんに会うのも、かなり久しぶりだった。最後にあったのが小学生の頃だったからどんな顔をして話せば良いのか分からなかったし、何より誰かと話す気分でも無かった。
「きみが会いたいと思うのなら、会えるよ」そう言われ、オレは今日初めてタカハラさんに顔を向けた気がした。何を言っているのか最初は分からなかったが、今の状況と、オレとタカハラさんが話をしているというのを鑑みればこの人が何を言いたいのかは自然と理解が出来た。
「……それって、つまり祥吾が幽霊として居るってこと?」
例えばこの相手がオレではなく祥吾のお母さんだったら、何をふざけてたことを言っているのかと怒られてもおかしくはないだろうし、実際オレだってそう突っ返したい気持ちはあった。数日経っているならまだしも、わざわざ葬式が行われている最中に言うだなんて、誰だって気分がいいものではない。
しかしそれよりも、タカハラさんの言っている意味がどういうことかということかが分かってしまう自分に腹が立った。
「タカハラさんの言うことは信用できないよ」
「どうして? ああ、キョウくんもぼくが幽霊だからって言うの?」その言葉は、まるでいつかに誰かに言われたことがあるかの言いぶりだ。
「違うよ。だって、タカハラさん嘘つきだし」
「嘘?」
本当に何を言っているのか分からないといった様子で、タカハラさんは何度か目を瞬かせた。だがその行動すらも、本当か嘘かオレには区別がつかなかった。
「祥吾、本当にいるの?」これ以上余り突っ込まれたくなかったオレは、すぐに話を戻した。
「うん。そんな悪趣味な嘘はつかないよ」
本当に、これが嘘だったらオレはタカハラさんのことを嫌いになるし、二度と会いたくないと思ってしまうだろう。まあ、タカハラさんが会いに来ない限り話すことはそうないだろうけれど。
「但し、会うという行為が二人にとって良いことかどうかは分からないけどね」
そう言いながら、タカハラさんは真っ直ぐにオレを見つめた。一体どういう意図があってこの人はオレと祥吾を会わせようとしているのか、これまで会話をしている中でもよく分からなかった。
余り疑いたくはないが、本当に祥吾はまだこの世界のどこかに居るのだろうか? そうだとするなら、どうして祥吾はまだこんなところにいるのだろうか? もし本当に祥吾に会えるのだとするなら――。
「どうする?」
その問いに、オレはすぐに答えを出すことが出来なかった。
◇
祥吾の葬儀が行われて数ヶ月が経った。何となく空っぽになったような心持ちで過ごしていたのだが、学校は通常通りに行われているし、日常というものはいとも簡単に流れていった。最初こそオレも学校なんて行く気には到底なれなかったが、一度学校に行ってしまえばあっけないもので、まるで祥吾の死なんて何にもなかったように一日一日が過ぎていくのを感じた。日常に溶け込むという行為自体が、オレの薄情さを少しずつ薄めていってるようなそんな気がした。
あの時、タカハラさんから「祥吾は幽霊になっている」というのを聞かされ、合うかどうかの打診をされたが、オレは祥吾に会うという選択はしなかった。というより、オレが答えを言うよりも前にタカハラさんが「困らせてごめんね」と言って、この話をそこで終わらせてしまったのだ。お陰で、祥吾がどういう経緯で死んだのか、どうして幽霊というモノになってしまったのかはよく分からないままだが、正直変に首を突っ込みたくはなかった。気にならないと言えば嘘になるのだが――。
学校の外では、交通事故が増えているようだった。先生が交通事故に気をつけろと子供に言うように何度も言っていたのが耳に残った。しかし、そんなことは幾ら言ったところで全くと言っていいほど意味が無いだろうと感じていた。
(どうせ幽霊がやってるんだし……)
事件が起きている周辺には当然行っていない。住んでる場所とは離れているあるからというのが理由だが、元より行く気なんてなかった。なんて言ったって、その事故が幽霊の類いの仕業であるというのは何となく分かっていたからだ。誰もが思っていたことだろうが、その複数の事故は余りにも不可解だったのだ。
全く同じ場所で、同じような事故が起きているという事象を人が起こすのには、何か誘導的なものが働かないとまず起こりえないだろう。
一般的な思考があれば、その事故が起きた場所は避けて通ろうとするだろうし、通るにしても事故が起きたのだから警察がいるはずだし、変な気を起こそうとはなりにくいはずだ。それを掻い潜るように起きているということは――いや、元々交通事故が多い場所だったようだし、それは考え過ぎだろうか?
「おお、元気だねぇ。頑張れー」
そんなことを漠然と考えながら学校終わりの道を歩いていると、前の方から聞き覚えのある声と姿を目撃した。住宅街の裏口が集まっているような細い道で、柵を返した犬がとある人物に向かって威嚇をし続けていた。
柵に犬がぶつかる音と吠える声が、近所迷惑になるのではないかと思うくらいに耳によく入った。威嚇され続けているその人物は、犬の視線に合わせるようにして屈み、悪趣味なことにまるでその様子を楽しんでるかのようだった。
「な、なに犬に喧嘩売ってるの?」
オレの目には少し異様に映ったそれに、思わず声をかけた。その人物はタカハラさんだったのだ。
「逆だよ逆。犬がボクに喧嘩売ってるんだよ」果たして本当にそうなのだろうかとオレは首をひねったが、疑問だったうちの一つがすぐに解決したので、オレはまたすぐに質問を投げた。
「こんなところで何してるの?」
「ただの散歩。……ああでも、しいて言うならキミと世間話しをしにきたってところかな?」
そう言いながら、タカハラさんは少し面倒くさそうに腰を上げた。どうやら、オレに何かを話したくて仕方がないらしい。相変わらず怖い顔をしている犬にはもう飽きたのか、タカハラさんはようやくオレのことを視界に入れた。
「最近、この辺りで交通事故が多くなってるっていうの知ってる?」
「知ってるけど……わざわざ注意奮起しにきたの?」
「違う違う。いや、そうかも分からないな。でもぼくが言いたいのはそれじゃない」
次にタカハラさんが口にする言葉を、オレは既に勘づいていたようなそんな気がしてならなかった。
「あれ、人間の故意が原因で起きてるわけじゃないって言ったら、キョウくんは驚くのかな?」
「……驚きはしないかな。そんな気はしてたし」
「あ、そう? なら話が早そうだ」
正直なところ、タカハラさんの口から何かが発せられるのだからもっと大層なことかと思っていた。それともオレが期待をしすぎてしまっていたのか、こういう人が何かを言いに来るにしてはいたって普通のことの気がしてしまったのだ。
ガシャンと再び音を鳴らした柵に、タカハラさんは少々呆れていた。「歩きながらにしようか」そう言って、特別オレに意見を聞くことすらなく勝手に歩みを進めていった。何処に向かっているのかは知らないが、その後ろをオレは仕方なくついていった。どうやらここからが、タカハラさんが本当に話をしたいことのようである。
「幽霊には序列のようなものがある。例えば、ただその辺りにいるだけの幽霊と、人に悪影響を及ぼすほどに何か意思を持っている所謂悪霊っていうのは、何となく違いが分かると思うけど、多分、それくらいなら共通認識として誰もが持っていることだと思う。信じているかは別としてね。ぼくが逝邪だっていうのって言ったことあったっけ?」オレは少しだけ思案した。
「確か……悪霊みたいなのを消すとかなんとか、そういう感じだった気がするのは覚えてるけど」
そう言うと、タカハラさんは改めてオレに逝邪というのはどういう存在であるのかを説明した。
タカハラさんが言うには、どうやら逝邪というのは『幽霊や悪霊よりももっと厄介な瞑邪(めいじゃ)という存在と対になり得る存在』なのだそうだ。しかし、どうやら決して幽霊や悪霊を相手にしないというわけでもないようで、つまりは逝邪――タカハラさんの塩梅によるところが大きいということだろう。それらを対処するかどうかは逝邪次第といったところなのだろうが、その中で瞑邪という存在が少々厄介らしい。
如何せん瞑邪というものを視たことがない為、具体的にどういったモノなのかはよく分からないが、『悪霊はその場の思念のようなものだけれど、瞑邪は明確に力を持って意識を持ち合わせて行動している』のだと、タカハラさんは言った。
「その瞑邪っていうのが、今の交通事故を起こしてるんだと思うんだ」
「な、ならタカハラさんがどうにかするのが一番いいんじゃないの? オレそういうの視えるだけで何も出来ないし……」オレがそう言うと、タカハラさんはこれでもかというくらいに難しい顔をしながら唸りを上げた。
「まあね、流石に目が余るしぼくがやってもいいと思うんだけど、それってどうなのかなあって思ってさ」
なんだがイマイチ要領得ない話し方をするせいで、一体どうしてタカハラさんがそんな話をしに来るのかをオレが考える羽目になった。それとも、タカハラさんはオレからその答えを聞きたがっているのかもしれないと一度疑ったが、タカハラさんはこれまでもこういうまどろっこしい話し方をしてくる人だということは既に分かっていたから、疑うということでは最早なかった。
「――もしかして、その瞑邪っていうのが祥吾だって言いたいの?」
重い口を開き、余りにも考えたくない一つの仮説をわざわざ口にした。それなのに、タカハラさんは目線をこちらに向けるだけでちゃんと答えてはくれなかった。だが、それが答えであるということがよく分かった。
「きみが行くならボクもちゃんと付き合うよ。万が一……は多分ないと思うけど、危ないことになっても責任は出来るだけ取るからさ」
しかし、続いた言葉がそれを確信に導いた。言いたくないのかも知れないが、自ら会いに来ておいてそれは少々無責任だと思った。だが、一口に無責任というのは違う気もした。
もし本当に無責任であるというのなら、こんな話をオレにしに来る必要なんて最初からなかったはずだ。無責任と言うよりは、タカハラさんもどうするべきなのか考え倦ねていると言った方が正しいのかもしれない。
「どうしてタカハラさんは、それをわざわざオレに言いに来たの?」
「……ボクじゃあ、祥吾くんは取り合ってくれないからさ」
その言葉には、少しだけ自嘲の意が込められているような気がした。
◇
春の穏やかな空気は、どうにも俺には似合わない。今日の夜は風もなく落ち着いた天気で、星もそれなりに視ることが出来る。暇つぶしには少々物足りないが、それでも気を紛らわすのにはちょうど良かった。――しかし、その時間もそう長くは持ってはくれない。
人と幽霊の気配の違いというのは、まず温度が違う。こういう身になってよく分かったが、人の気配には当然熱が通っているし、人を目の前にした時は色が鮮明でよく分かる。いっぽう、幽霊の気配というのは温度を感じることはないし、色も鮮明というわけではなくくすんでいる印象だ。
「……冷やかしなら来るなよ」俺の感じた気配は、少なくとも後者だった。
わざとらしく空から落ちてきたタカハラという人物は、地面に着地すると僅かに光の粒を纏わせた。それが余計に、俺の口を悪くさせる要因だった。
「相変わらず冷たいね。昔はもう少し可愛げがあったのに……」
「何しに来たんだよ」
「まあまあ、世間話くらい付き合ってくれてもいいじゃない。ボク達のことを認識出来る人なんて、どうせそう居ないんだしさ」肩をすくめて、男は更に言葉を続けた。「どう? 死んでみた感想は」余りに不謹慎な台詞だとは思ったが、そんなことは最早どうだって良かった。
「もっと大げさなものかと思ってたけど、あんまり変わらないな」
感想と言うには余りにもそっけなく、しかしそれ以上のことは特に感じなかったというのが実情だ。――最も、死ぬ少し前はその限りでは無かったと記憶しているが。
「人に見えてるかどうかの違いだけだよ、幽霊なんて」
「それにしては、ボクには寂しそうに見えるよ?」
「……勝手に言っとけ」
一体俺の何を見てそう思ったのか、その言葉を聞いて余計にげんなりした。それじゃあ自分はどうなんだと厭らしく聞いてみても良かったのかも知れないが、生憎この男にそこまでの興味があるわけもなかった。
それに、この男は俺よりもかなり前に幽霊として存在していて、消える気配も無く未だにこの世の中に蔓延っているのだから、どうせろくな死に方をしていないのだろうと容易に想像が出来たからお陰で、それ以上深く知る気も起きなかったのである。
「説教しに来たんなら、これ以上相手するつもり無いけど」
「そういうつもりで来たんじゃないよ。ボクの言葉じゃあ、きみには届かないってことはよく分かったから」その言い方に、少々嫌な気持ちになった。
「だったら尚更、何の用だよ? こんなくだらない話するために来たわけじゃないだろ」
「だからそれは、これから話すんだよ」
そう言いながら、タカハラさんは肩をすくめた。この男のことは昔から知っているが、正直に言ってしまうと酷く性根が悪い。どうせ、こうなることを最初から分かっていてわざと話を引き延ばしていたに違いない。
「祥吾……」
そうでなければ、俺は再びキョウに会うことなんてなかったはずなのだから。
小学生の頃は夏休みか冬休みのどちらかで会う機会があったのだが、去年は会うことがなく、そのお陰かなんなのか、正直なところ特別大きなショックはなかった。身内が死ぬのはこれが二回目で慣れてしまったというと聞こえは悪いが、もしかするとそういうことだったのかもしれない。オレ自身が特別騒ぎ立てるということはなかった。
葬式には当然参加した。葬儀に参列した人たちは、オレの知らない人ばかりだった。オレと祥吾は一年に二回会えれば多い程度だったのだから知らない人の方が多いのは当然なのだが、なんだかオレだけ場違いのような気がしてならなかった。まるで全く知らない人間の葬儀に来ているような感覚に苛まれたのだ。
「――元気?」そんな中、オレに話しかけてくる一人の人物がいた。
「別に、元気だよ」
黒い服に囲まれるのに飽き飽きしていたオレは、ひとり外の空気を吸っていた。なんだか似たようなことが前にもあったような気がするが、そんなことはもうどうだってよかった。
こんな場所に黒く纏わない人間がいるのも珍しい。オレは、視線だけその人物に向けてすぐに空を視界に入れた。この日は余り天気が良いとは言えず、雲が多く流れているのが難点だ。
「祥吾、本当にいないんだね」
タカハラさんに会うのも、かなり久しぶりだった。最後にあったのが小学生の頃だったからどんな顔をして話せば良いのか分からなかったし、何より誰かと話す気分でも無かった。
「きみが会いたいと思うのなら、会えるよ」そう言われ、オレは今日初めてタカハラさんに顔を向けた気がした。何を言っているのか最初は分からなかったが、今の状況と、オレとタカハラさんが話をしているというのを鑑みればこの人が何を言いたいのかは自然と理解が出来た。
「……それって、つまり祥吾が幽霊として居るってこと?」
例えばこの相手がオレではなく祥吾のお母さんだったら、何をふざけてたことを言っているのかと怒られてもおかしくはないだろうし、実際オレだってそう突っ返したい気持ちはあった。数日経っているならまだしも、わざわざ葬式が行われている最中に言うだなんて、誰だって気分がいいものではない。
しかしそれよりも、タカハラさんの言っている意味がどういうことかということかが分かってしまう自分に腹が立った。
「タカハラさんの言うことは信用できないよ」
「どうして? ああ、キョウくんもぼくが幽霊だからって言うの?」その言葉は、まるでいつかに誰かに言われたことがあるかの言いぶりだ。
「違うよ。だって、タカハラさん嘘つきだし」
「嘘?」
本当に何を言っているのか分からないといった様子で、タカハラさんは何度か目を瞬かせた。だがその行動すらも、本当か嘘かオレには区別がつかなかった。
「祥吾、本当にいるの?」これ以上余り突っ込まれたくなかったオレは、すぐに話を戻した。
「うん。そんな悪趣味な嘘はつかないよ」
本当に、これが嘘だったらオレはタカハラさんのことを嫌いになるし、二度と会いたくないと思ってしまうだろう。まあ、タカハラさんが会いに来ない限り話すことはそうないだろうけれど。
「但し、会うという行為が二人にとって良いことかどうかは分からないけどね」
そう言いながら、タカハラさんは真っ直ぐにオレを見つめた。一体どういう意図があってこの人はオレと祥吾を会わせようとしているのか、これまで会話をしている中でもよく分からなかった。
余り疑いたくはないが、本当に祥吾はまだこの世界のどこかに居るのだろうか? そうだとするなら、どうして祥吾はまだこんなところにいるのだろうか? もし本当に祥吾に会えるのだとするなら――。
「どうする?」
その問いに、オレはすぐに答えを出すことが出来なかった。
◇
祥吾の葬儀が行われて数ヶ月が経った。何となく空っぽになったような心持ちで過ごしていたのだが、学校は通常通りに行われているし、日常というものはいとも簡単に流れていった。最初こそオレも学校なんて行く気には到底なれなかったが、一度学校に行ってしまえばあっけないもので、まるで祥吾の死なんて何にもなかったように一日一日が過ぎていくのを感じた。日常に溶け込むという行為自体が、オレの薄情さを少しずつ薄めていってるようなそんな気がした。
あの時、タカハラさんから「祥吾は幽霊になっている」というのを聞かされ、合うかどうかの打診をされたが、オレは祥吾に会うという選択はしなかった。というより、オレが答えを言うよりも前にタカハラさんが「困らせてごめんね」と言って、この話をそこで終わらせてしまったのだ。お陰で、祥吾がどういう経緯で死んだのか、どうして幽霊というモノになってしまったのかはよく分からないままだが、正直変に首を突っ込みたくはなかった。気にならないと言えば嘘になるのだが――。
学校の外では、交通事故が増えているようだった。先生が交通事故に気をつけろと子供に言うように何度も言っていたのが耳に残った。しかし、そんなことは幾ら言ったところで全くと言っていいほど意味が無いだろうと感じていた。
(どうせ幽霊がやってるんだし……)
事件が起きている周辺には当然行っていない。住んでる場所とは離れているあるからというのが理由だが、元より行く気なんてなかった。なんて言ったって、その事故が幽霊の類いの仕業であるというのは何となく分かっていたからだ。誰もが思っていたことだろうが、その複数の事故は余りにも不可解だったのだ。
全く同じ場所で、同じような事故が起きているという事象を人が起こすのには、何か誘導的なものが働かないとまず起こりえないだろう。
一般的な思考があれば、その事故が起きた場所は避けて通ろうとするだろうし、通るにしても事故が起きたのだから警察がいるはずだし、変な気を起こそうとはなりにくいはずだ。それを掻い潜るように起きているということは――いや、元々交通事故が多い場所だったようだし、それは考え過ぎだろうか?
「おお、元気だねぇ。頑張れー」
そんなことを漠然と考えながら学校終わりの道を歩いていると、前の方から聞き覚えのある声と姿を目撃した。住宅街の裏口が集まっているような細い道で、柵を返した犬がとある人物に向かって威嚇をし続けていた。
柵に犬がぶつかる音と吠える声が、近所迷惑になるのではないかと思うくらいに耳によく入った。威嚇され続けているその人物は、犬の視線に合わせるようにして屈み、悪趣味なことにまるでその様子を楽しんでるかのようだった。
「な、なに犬に喧嘩売ってるの?」
オレの目には少し異様に映ったそれに、思わず声をかけた。その人物はタカハラさんだったのだ。
「逆だよ逆。犬がボクに喧嘩売ってるんだよ」果たして本当にそうなのだろうかとオレは首をひねったが、疑問だったうちの一つがすぐに解決したので、オレはまたすぐに質問を投げた。
「こんなところで何してるの?」
「ただの散歩。……ああでも、しいて言うならキミと世間話しをしにきたってところかな?」
そう言いながら、タカハラさんは少し面倒くさそうに腰を上げた。どうやら、オレに何かを話したくて仕方がないらしい。相変わらず怖い顔をしている犬にはもう飽きたのか、タカハラさんはようやくオレのことを視界に入れた。
「最近、この辺りで交通事故が多くなってるっていうの知ってる?」
「知ってるけど……わざわざ注意奮起しにきたの?」
「違う違う。いや、そうかも分からないな。でもぼくが言いたいのはそれじゃない」
次にタカハラさんが口にする言葉を、オレは既に勘づいていたようなそんな気がしてならなかった。
「あれ、人間の故意が原因で起きてるわけじゃないって言ったら、キョウくんは驚くのかな?」
「……驚きはしないかな。そんな気はしてたし」
「あ、そう? なら話が早そうだ」
正直なところ、タカハラさんの口から何かが発せられるのだからもっと大層なことかと思っていた。それともオレが期待をしすぎてしまっていたのか、こういう人が何かを言いに来るにしてはいたって普通のことの気がしてしまったのだ。
ガシャンと再び音を鳴らした柵に、タカハラさんは少々呆れていた。「歩きながらにしようか」そう言って、特別オレに意見を聞くことすらなく勝手に歩みを進めていった。何処に向かっているのかは知らないが、その後ろをオレは仕方なくついていった。どうやらここからが、タカハラさんが本当に話をしたいことのようである。
「幽霊には序列のようなものがある。例えば、ただその辺りにいるだけの幽霊と、人に悪影響を及ぼすほどに何か意思を持っている所謂悪霊っていうのは、何となく違いが分かると思うけど、多分、それくらいなら共通認識として誰もが持っていることだと思う。信じているかは別としてね。ぼくが逝邪だっていうのって言ったことあったっけ?」オレは少しだけ思案した。
「確か……悪霊みたいなのを消すとかなんとか、そういう感じだった気がするのは覚えてるけど」
そう言うと、タカハラさんは改めてオレに逝邪というのはどういう存在であるのかを説明した。
タカハラさんが言うには、どうやら逝邪というのは『幽霊や悪霊よりももっと厄介な瞑邪(めいじゃ)という存在と対になり得る存在』なのだそうだ。しかし、どうやら決して幽霊や悪霊を相手にしないというわけでもないようで、つまりは逝邪――タカハラさんの塩梅によるところが大きいということだろう。それらを対処するかどうかは逝邪次第といったところなのだろうが、その中で瞑邪という存在が少々厄介らしい。
如何せん瞑邪というものを視たことがない為、具体的にどういったモノなのかはよく分からないが、『悪霊はその場の思念のようなものだけれど、瞑邪は明確に力を持って意識を持ち合わせて行動している』のだと、タカハラさんは言った。
「その瞑邪っていうのが、今の交通事故を起こしてるんだと思うんだ」
「な、ならタカハラさんがどうにかするのが一番いいんじゃないの? オレそういうの視えるだけで何も出来ないし……」オレがそう言うと、タカハラさんはこれでもかというくらいに難しい顔をしながら唸りを上げた。
「まあね、流石に目が余るしぼくがやってもいいと思うんだけど、それってどうなのかなあって思ってさ」
なんだがイマイチ要領得ない話し方をするせいで、一体どうしてタカハラさんがそんな話をしに来るのかをオレが考える羽目になった。それとも、タカハラさんはオレからその答えを聞きたがっているのかもしれないと一度疑ったが、タカハラさんはこれまでもこういうまどろっこしい話し方をしてくる人だということは既に分かっていたから、疑うということでは最早なかった。
「――もしかして、その瞑邪っていうのが祥吾だって言いたいの?」
重い口を開き、余りにも考えたくない一つの仮説をわざわざ口にした。それなのに、タカハラさんは目線をこちらに向けるだけでちゃんと答えてはくれなかった。だが、それが答えであるということがよく分かった。
「きみが行くならボクもちゃんと付き合うよ。万が一……は多分ないと思うけど、危ないことになっても責任は出来るだけ取るからさ」
しかし、続いた言葉がそれを確信に導いた。言いたくないのかも知れないが、自ら会いに来ておいてそれは少々無責任だと思った。だが、一口に無責任というのは違う気もした。
もし本当に無責任であるというのなら、こんな話をオレにしに来る必要なんて最初からなかったはずだ。無責任と言うよりは、タカハラさんもどうするべきなのか考え倦ねていると言った方が正しいのかもしれない。
「どうしてタカハラさんは、それをわざわざオレに言いに来たの?」
「……ボクじゃあ、祥吾くんは取り合ってくれないからさ」
その言葉には、少しだけ自嘲の意が込められているような気がした。
◇
春の穏やかな空気は、どうにも俺には似合わない。今日の夜は風もなく落ち着いた天気で、星もそれなりに視ることが出来る。暇つぶしには少々物足りないが、それでも気を紛らわすのにはちょうど良かった。――しかし、その時間もそう長くは持ってはくれない。
人と幽霊の気配の違いというのは、まず温度が違う。こういう身になってよく分かったが、人の気配には当然熱が通っているし、人を目の前にした時は色が鮮明でよく分かる。いっぽう、幽霊の気配というのは温度を感じることはないし、色も鮮明というわけではなくくすんでいる印象だ。
「……冷やかしなら来るなよ」俺の感じた気配は、少なくとも後者だった。
わざとらしく空から落ちてきたタカハラという人物は、地面に着地すると僅かに光の粒を纏わせた。それが余計に、俺の口を悪くさせる要因だった。
「相変わらず冷たいね。昔はもう少し可愛げがあったのに……」
「何しに来たんだよ」
「まあまあ、世間話くらい付き合ってくれてもいいじゃない。ボク達のことを認識出来る人なんて、どうせそう居ないんだしさ」肩をすくめて、男は更に言葉を続けた。「どう? 死んでみた感想は」余りに不謹慎な台詞だとは思ったが、そんなことは最早どうだって良かった。
「もっと大げさなものかと思ってたけど、あんまり変わらないな」
感想と言うには余りにもそっけなく、しかしそれ以上のことは特に感じなかったというのが実情だ。――最も、死ぬ少し前はその限りでは無かったと記憶しているが。
「人に見えてるかどうかの違いだけだよ、幽霊なんて」
「それにしては、ボクには寂しそうに見えるよ?」
「……勝手に言っとけ」
一体俺の何を見てそう思ったのか、その言葉を聞いて余計にげんなりした。それじゃあ自分はどうなんだと厭らしく聞いてみても良かったのかも知れないが、生憎この男にそこまでの興味があるわけもなかった。
それに、この男は俺よりもかなり前に幽霊として存在していて、消える気配も無く未だにこの世の中に蔓延っているのだから、どうせろくな死に方をしていないのだろうと容易に想像が出来たからお陰で、それ以上深く知る気も起きなかったのである。
「説教しに来たんなら、これ以上相手するつもり無いけど」
「そういうつもりで来たんじゃないよ。ボクの言葉じゃあ、きみには届かないってことはよく分かったから」その言い方に、少々嫌な気持ちになった。
「だったら尚更、何の用だよ? こんなくだらない話するために来たわけじゃないだろ」
「だからそれは、これから話すんだよ」
そう言いながら、タカハラさんは肩をすくめた。この男のことは昔から知っているが、正直に言ってしまうと酷く性根が悪い。どうせ、こうなることを最初から分かっていてわざと話を引き延ばしていたに違いない。
「祥吾……」
そうでなければ、俺は再びキョウに会うことなんてなかったはずなのだから。