38話:ニセモノの遊戯(回想)


2024-08-15 16:07:05
文字サイズ
文字組
フォントゴシック体明朝体
 子供の頃の夏の記憶というのは、比較的楽しい記憶で塗り固められている。一応、オレだってそのうちの一人だ。
 父が死んでから数か月経った頃の話だ。父が居なくなったことにより、生活自体はこれまでとは比べ物にならないくらいに平和になった。今までの生活は少し異常だったのだとはじめて理解し、そのせいで、ふとした時に父のことを思い出すのがとても嫌になっていた。
 だからといって生活に支障があるわけでもなく、そんなことはすぐに忘れてしまえばいいわけだから特に気にはしていない。そのうち、顔さえも思い出せないくらいになるのだろう。正直、半年ほどたった今すでに朧気だ。
 きっと、父の家での姿を何も知らない周りの人は、オレのことを薄情だと思うのだろう。それを公にするのは余り良くないことだということは何となく分かっていたから、家の話を外では極力しないというのが既に日常になっていた。まあ、家でも父の話をすることなんてないに等しいのだが。

「久しぶりっ! っていうか、俺のこと覚えてる?」
「お、覚えてるよ。冬に会ったし……」

 小学校中学年の夏休みのことである。去年の夏は確か来ることが出来なかったが、覚えている限りでオレが柳家に足を運ぶのはこれが三度目のことだ。もしかするとそれより前にもあったのかもしれないが、子供の頃の記憶なんて当てにならないし、これ以上考えたところで無駄な時間を過ごすだけだろう。
 柳家が住んでいるところは、オレと母が住んでいるところよりも田舎だった。家もいわゆる平屋で、防犯なんていうものは余り役に立ちそうにないような場所である。といっても、いわゆる山に囲まれてスーパーやコンビニも無く不便な場所というわけでもなく、オレの家から車でニ時間程度の場所ではあるのだが。
 祥吾とそのお母さんが最寄りの駅まで迎えにきてくれたのだが、この駅はどうやらこの一帯では一番大きな駅で、田舎と呼ぶにはやはり少しモノが多すぎるだろう。

「そういえば俺、明日は学校のプールがあるんだよなぁ……サボっちゃうか」
「怒られないの?」
「プール行かないくらいで怒られないって。どーせ全員は来ないんだしさ。ねえ母さん、いいでしょ?」

 祥吾のお母さんは、祥吾の我儘に思いのほかあっけなく承諾をした。もう少し難色を示しても良さそうなものだが、世の中そういうものなのだろうか。

「今日はどうする? どこか行く?」前のめり気味で、祥吾はオレに詰め寄った。
「こらこら、とりあえずご飯が先! 少し早いけど、お昼この辺りで食べちゃいましょ」

 祥吾のお母さんが主導して、大人同士でお昼の話をし始める。お昼もいいが、オレにとってはその後の時間の方が楽しみだった。祥吾もそうだが、普段会えない人に会えるしオレが住んでいる場所と当然土地も違う。それだけで、なんだかもう冒険に来てしまったようなそんな感覚だったのである。
 大人達と祥吾が、お昼ご飯の話をしているのをぼうっと聞いているうちに飽きてしまったオレは、ふと辺りを見回した。比較的大きな駅の外、行き交う人の中には、オレ達のように何かを話している人たちや、誰かと待ち合わせをしているのかひとりで携帯を眺めている人もいる。そんな中、ひときわ目を引いた人物がいた。
 学校帰りなのか、それともなにか集まりでもあったのか、見たことの無い制服姿でベンチに腰をかけて空を眺めている男子高校生がいたのである。何故その人物が目に留まったのかというと、男の制服に問題があったのだ。
 オレを含めた辺りにいる人たちは、誰もが半袖を着ている。中にはその上にパーカーを着ていたりもするが、殆どの人が夏に染められた軽装であることには変わりは無い。しかしその人物に限っては、制服の上着を着ていたのである。
 例えばそれが、中にワイシャツを着ているだけだったらそういうこともあるのだろうかと思うことが出来たのかもしれないが、男は上着とシャツの間に長袖のセーターを着ていたのだ。余りこういうことを言いたくはないが、季節に反していてとても浮いていたのである。

(変な人……)

 心の中でそう呟くと、まるでそれが聞こえていたかのように男がこちらを向いた。きょとんとした顔でこちらを見ている男に、オレはどういうわけか目が離せずにいたのをよく覚えている。すると、男は右手をひらひらを振り上げた。思わずどきりとしたオレをよそに、その男は笑顔だった。オレ以外の誰かに振っているのだろうかとも思ったのだが、男の視線はオレを手放さなかった。

「キョウ! いこうよ!」
「あ、うんっ」

 一体いつの間に話が終わったのか、声をかけてきた祥吾とお母さんとの距離は少し離れてしまっていた。足早に祥吾の元に向かい、一緒に母さん達の後ろを歩く。しかし、どうにも頭から離れてくれない男の姿と表情に、オレは後ろを振り向いた。

(……居なくなってる)

 ベンチに座っていたはずの男はもうそこには居なかったのである。誰も座っていない残されたベンチが、ただただ誰かを待ち呆けているだけだったのだ。


   ◇


「行ってくるね!」

 祥吾がそう言うと、「余り変なところに行っちゃ駄目よ!」といったよく聞く類いの言葉が飛び交った。オレと祥吾が遊びに出かけたのは、結局次の日のお昼が過ぎた頃だった。
 家を出てから暫く、祥吾が連れて行った先の多くは、子供が行く場所なのだから当然だがごくごく平凡な場所だった。
 家の近くにある小さな公園と、少し歩いた先にある大きな公園をはしごし、道中人通りが余り多くない裏通りのような道を通ってみたり、何を買うでもなく途中にあるスーパーに入って涼んだりと、遊んでいるというよりは散歩に近かったかも知れないが、それも含めて全てがちゃんとした遊びだったのだ。
 昼下がりのこの時期一番暑くなる時間は、そんなことをしているうちに過ぎ去ろうとしていた。オレにとってはすっかりと見たことの無い場所になってしまっていたが、祥吾はさっき通った道では無い道を選び、少し前を先導していた。この時間だと、こっちのほうが涼しいんだよ。そんなようなことを祥吾は言っていた。

「この辺り、神社があるから木が多いんだよねー」

 祥吾の言うとおり、歩道の右側はかなり木が生い茂っている。公園と呼ぶには静かな雰囲気があるし、それらしいモノはまだ見えないが、何かを守るように作られている石壁がそれを物語っていた。木漏れ日が落ちている場所を心なしか避けながら歩いていると、広々とした大きな階段があるのが見えた。

「せっかくだし、中通っていこうよ。繋がってるし」どうやら、その階段を進んだ先に神社があるらしい。

 相槌をうって、そのまま祥吾の後ろを歩いていった。見えていた階段は思っていたよりも段数が少なく、あっけなく真っ直ぐな道に戻ってしまう。しかし、さっきまで歩いていたコンクリートの道とは違い、大きめの石畳がずっと続いていた。なんだか今までとは違う場所に来てしまったような感覚が、どういうわけかオレの心を躍らせた。

「木、おおきいね……」どこを見回しても、大きな木の幹が辺りを囲んでいた。子供からしてみれば、というのが正しかったのかもしれないが。

「向こうにね、もっとでっかい木があるんだよ。神社の守り神なんだって」

 そう言うと、祥吾は「こっち!」と先を走って行ってしまう。オレは辺りをせわしなく眺めながら、祥吾のあとを追いかけていった。
 祥吾の向かった先は石畳ではなく、小ぶりの石が沢山敷き詰められおり少々走りにくく、走るたびに足の裏に当たる石の感覚が少しだけ気になったが、それよりも祥吾とはぐれたくない一心でその感覚はすぐに忘れることができた。

「わあっ……」

 その声は、祥吾が大きなそれにたどり着くよりも前にオレの口から漏れ出ていたものだった。しめ縄に、糸という漢字をもじったような白い紙がいくつもくっついている大きな木が静かに聳え立っている。意味こそは正直よく分からないが、それが凄く神聖なものであるということだけはよく分かった。
 上を見上げると、大きな傘のように空を覆う木の葉と枝の数々が見える。木漏れ日は、これまでのどこよりも細かくオレの身体に落ちていった。

「桜の木で、千年も生きてるんだって」
「長生きだね……。オレ、そこまで生きれるかなぁ」
「人間が千年生きたらそれはもう不老不死じゃない?」

 木で作られた立て看板には墨で文字が書かれているようだったが、ミミズみたいな文字で書かれていたお陰で、祥吾の言うとおり桜の木であることと、樹齢が千年ほどであるということしかよく分からなかった。オレがその大きな木を眺めている間、果たして祥吾が何を思っていたのかは分からない。

「……別に、長生きしなくてもいい気がするけどなぁ」

 しかし、何かを思っていなければこんな言葉は出ることは恐らくは無いだろう。

「死ぬまで楽しく生きていればさ。俺はそれでいいや」どこか投げやりな祥吾の言葉に、この時のオレはただきょとんとするばかりだった。
 この時、もしオレが何かを言えていればよかったのだろうかと、そう思わずにはいられない。もっと知識があって、祥吾のことも分かっていたならせめて何か言葉を返せていたかも知れない。……いや、恐らくは、高校二年生になった橋下 香にも気の利いた言葉なんて返せないだろう。十年経ったくらいでは、到底無理だ。
 祥吾が変な笑みを浮かべた後、まるで示し合わせたかのようにざあっと大きな風が吹く。その時、木の後ろから何かが見えた。それはまるで木漏れ日のような、しかし木の葉の隙間から落ちてくる光ではなく、消えかけた光の粒のようなものが目に映ったのである。

「なにかいる……?」
「え?」

 呟いたオレの視線の先へと祥吾が顔を向ける。オレは、更に木の奥が見えるように少し顔を覗き込ませる。すると、そこに居たのだ。

(あの時の人だ……)

 そこには、この街に来たとき駅で紛れもなくオレに手を振った制服姿の男子高校生が、空を見上げて立ち尽くしていたのである。


   ◇


「あ……」

 短く声を発したのは、オレでもその男子高校生でもなく祥吾だった。それは何か、嫌なモノでも見てしまった時のそれによく似ていたような気がした。その声に気付いたのか、それとももっと前から気付いていたのか、男は少しだけ顔を動かしてこちらを見た。

「……こんにちは」和やかに、まるで落ちてくる日差しのような笑みに、オレは何も言うことが出来なかった。

 祥吾はずっと苦い顔をしたままだったが、何となく、祥吾とこの人は初対面ではなさそうな気がして、それが尚更オレが首を傾げる要因だった。決して悪い人には見えないのだが、それはオレがまだこの人のことを知らないだけなのだろうか?

「……祥吾の知ってる人?」
「いや、知ってるっていうか……」はいといいえで答えられる質問のはずなのに、どういうわけか祥吾の言葉の歯切れはかなり悪かった。
「ボクは知り合いだと思ってたけど、違うの?」

 茶化すように男が言うと、ようやく身体もこちらに向ける。その姿がちゃんと視界に入ると、何故か少しだけ涼しくなった心地がした。オレと祥吾を見比べるようにして、男は目を左右に動かした。

「今日はひとりじゃないんだね」

 この口ぶりからして、この人はやはり祥吾のことを知っているらしい。まじまじと目が合ってしまい、オレはこの人を前にして初めてドキリとした。ただ目が合っているだけなのに、どういうわけか本質を見抜かれたような気がしたのである。その理由は、もしかしたら目が合ったというのだけでは無かったのかも知れない。

「お兄さん、光ってる……」

 口から出てくる言葉は、とてもじゃないが現実で起きていることとは思えなかった。木漏れ日の光なんかではなく、正しく光の粒がお兄さんの周りを浮遊していたのである。いや、浮遊しているというよりは、お兄さんがこの樹齢千年の木だとすると、そこから零れ落ちている木漏れ日のようにそれが存在しているような、そんな感じだ。

「そう見える? よく言われるんだけど、自分じゃあんまり分からないんだよね」

 あの時、駅で見かけた時とはまた少し雰囲気が違って見えたのは恐らく気のせいなんかではなく、この人はどこか現実離れしていたのだ。その原因が、この時はまだ分かっていなかったわけなのだが……。

「おれはタカハラ。よろしくね」

 自分がどう思われているのかなんてどうでも良さそうに、オレに向けて自己紹介をする。タカハラと名乗った人物は、服装のせいか夏には似合わない人だった。
 学校の制服を着ているぶんにはおかしなところは無いのだが、駅前で見つけた時と同じで、格好はやはり長袖を来ており夏に見るには少し暑苦しい。

「お前。またついてきたのか?」少し呆れた様子を見せつつ、祥吾の口調には少し棘があった。
「違う違う。だって、ボクが居るところに君たちが来たんでしょ?」

 お兄さんは、苦笑いを混ぜて笑って見せた後、またオレのことを視界にいれた。風が吹くたびに、柔らかい光が揺れてはどこかへと消えていく。まるで作り話の中にでもいるかのような、現実離れしたその様子に、地面に足が着いていないような心地がした。

「余り見ない顔だけど、キミってこの辺りに住んでたっけ?」
「う、ううん。夏休みだから、祥吾の家に遊びに来たの……」
「そっかぁ、じゃあこっちにはあんまり来ないんだね」

 お兄さんが残念だなぁと言葉を続づけると、祥吾は一層眉を歪める。理由は全く分からないが、どうにもこの人のことが気に入らないらしかった。一見すると優しそうで嫌われるような雰囲気は垣間見えないのだが、第一印象というのはそうそう当てにならないということなのかもしれない。

「……お前、なに企んでるんだよ」
「こっちには余り来ないんだなぁって感想言っただけで、企んでる扱いされちゃうの?」

 これに関しても、オレはお兄さんと同じ感想を抱いていた。口にこそしなかったが、いくら何でも企んでるというのは言い過ぎでは無いかと思ったのだ。しかし、あからさまに嫌な顔をする祥吾にも理由はあるのだろう。そうじゃなきゃ、この態度の理由がつかないというものだ。そう思うと、やっぱりこの人は悪い人なのだろうかと、ほんの少しだけ身構えてしまう。

「邪魔したら悪いから、ボクはもう行くね」

 オレがそんなことを思っているとは知らず、お兄さんが「またね」と付け加える。すると、お兄さんの周りを待っていた光の粒が、まるで意思を持っているかのように地から舞い上がって空高く飛んでいった。その中心にいるお兄さんは一体何を考えているのか、光の粒を追うように空を見つめている。
 一瞬、目だけがこちらを視界に入れたような気がしたが、粒が集約して光へと変化していくと同時にお兄さんは光に包まれて姿が見えなくなってしまう。光が消えていくのは、そのすぐ後のことだった。

「消えちゃった……」

 お兄さんがいた場所には、もう何も残っていない。強いて言うならお兄さんが纏っていた光の粒が幾つか浮いていたが、お兄さん自体はもうどこかに行ってしまった後だった。
 ふわりとオレの元に届いた一粒の光を、手のひらに納める。それが現実なのかを確かめるように、オレはその光を見て呆けてしまう。

「あの人、幽霊なんだ」

 恐らくオレに向けていったのだろう。だがその言葉は、オレを見てではなくお兄さんがいた場所に吐かれていた。この時、オレは初めてさっきのお兄さんが幽霊であるという認識をした。
 ここに至るまで、当然人間では無いということは分かってはいたのだが、それでも説明される後と前では汲み取り方は全然違った。そうは言っても、オレはまだお兄さんのことを何も知らないわけなのだが。

「だから俺、嫌いなんだよね」

 そうやって口にする祥吾の顔は、本当に嫌っている時の顔をしていたのをよく覚えている。しかしこの時のオレは、到底そんな気持ちを持ち合わせてはいなかった。祥吾の言う幽霊という括りの中に存在しているそれを、オレはまだどういったものか理解をしていなかったというのもあるかもしれない。

(二人、喧嘩でもしてるのかな……)

 そんなことを思っていたら、知らない間に手のひらに残っていた光の粒は消えてしまっていた。

いいね!