36話:ニセモノは口を割らない


2024-08-15 16:04:32
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 視線が怖い。そう相谷くんに言われてしまうほど、どうやらオレは相谷くんのことをじっと見つめてしまっていたらしい。おまけに、宇栄原先輩にも小言を言われてしまう始末だった(何を言われたかは余り覚えていないが)。
 あれ以来、相谷 光莉と名乗る人物が居るであろう道路に行くことはなかった。出来ることなら記憶違いであって欲しいと思っているのだが――その気持ちが、自分の思っているよりも漏れ出てしまっていたようだ。相谷くんを見れば見るほど、やはり姉弟であるのではないかという気がしてならないが、かといってそれを突き止めるほどの気概はなかった。
 姉弟がいるのかどうかくらいはただの日常会話かもしれないが、事実だとするなら余り簡単に触れていいことではないということは分かっているし、馬鹿なフリをして聞くなんてことは出来なかった。

 暇を持て余したオレは、自分は何も関係ないといったように本に視線を巡らせている神崎先輩に目をつけた。わざとらしくテーブルに突っ伏し、分かっているであろうにこちらを見ようともしない神崎先輩を、今度はじっと見続けていた。

「……先輩先輩」しびれを切らしたオレは、神崎先輩に声をかけた。
「なんだよ」

 ぶっきらぼうな返事を返しながらも、先輩はこちらを見ることはしない。しかし、今度はオレかよ……と言いたげな顔をしているということだけはよく分かった。話しかけて欲しくないのなら、わざわざ図書室に来なければいいのに、この人もよく分からない人である。

「宇栄原先輩ってお花屋さんなんですよね? どこにあるんですか?」
「なんで俺に聞くんだよ……。目の前にいるんだから直接聞けばいいだろ」

 オレが唐突に宇栄原先輩のことを聞いたのには、当然理由がある。単に口が寂しくなったからではない。
 先輩の家が花屋であるというのは一体いつ知ったのだったか、既にオレの知識として頭の中にあった。近いうちに聞こうかどうするか迷っていたところだったから、ある意味ではちょうど良かったのかもしれないが、ある意味では都合が悪かったと捉えることも出来るだろう。
 オレのことは置いておくとして、幽霊のことはやっぱり視える人に話を聞いたほうがいいと思ったのがひとつ。
 そして、やっぱり学校内でそういう話は余りするべきではないと思ったのが理由だ。

「えぇー、聞いても教えてくれなさそうじゃないですか」オレは宇栄原先輩のことを視界に入れた。当の先輩は、オレのことなんか見えていないかのように、隣にいる相谷くんの相手をしていた。
「……そんなことも無いと思うけど」
「ホントですかぁ?」

 この中で誰よりも態度が悪いであろう、相変わらず机に突っ伏したままのオレは、二人のことをじっと眺めていた。確か、相谷くんが先輩に勉強を教えてもらっているとかいないとかそんな感じだったから、一応、これでも余り邪魔にならないようにしていたのだが……。

「この辺りはこんなところだけど、なにか質問――」
「はいはい! 質問です!」

 宇栄原先輩が質問と謳ったタイミングで、オレは思いっきり身体を起こし自己主張をした。相谷くんがかなりビビっていたことだけは申し訳なくなったが(ついでに神崎先輩もビビっていたが)、先輩はちらりとオレのことを見るだけでそれ以上はどうとも動かなかった。

「先輩のお花屋さんってどこにあるんですか」
「……質問ある?」
「あ、えーっと……わかり易すぎて質問は何にもないです……」
「そう? ならよかった」宇栄原先輩にそう問われた相谷くんが、なんとも気まずそうに返答した。
「無視されてオレは傷つきました」
「ああ、そう……」

 神崎先輩はもはや話を聞く気がなく、オレはあからさまに不貞腐れた。全く、皆してオレのことを雑に扱いすぎである(日頃の行いが悪いからと言われたら余り否定は出来ない)。

「……そこまでして聞きたい理由は?」あからさまな態度を取っていると、先輩は痺れを切らしたのか自ら理由を聞き出そうとした。
「理由?」

 聞く耳なんて持っていないとばかり思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。どうして花屋の場所を知りたいのか、という疑問は理解できる。家を教えろと言っているのとそう大差はないのだから、理由もなしに教えるのは当然気も引けるだろう。オレだって、逆の立場だったら余り乗り気ではないであろうことは明白だ。

「ここじゃあ言えないですねぇ」しかし、自分で花屋の所在地を聞いておきながら、その理由を問われてしまうとかなり困るというのが実情だった。
「あ、そう」

 ここでは言えない、というのはある意味では正しく、ある意味では間違っている。――いや、もしかすると、本当は心の奥底では先輩が断ってくればいいだなんて思っていたのかも知れない。
 先輩は、腑に落ちないといった様子で黙り込んだ。何かを考えているのか、それとも本当に呆れてしまって何も考えていないのかはオレにはよく分からなかったが、その後すぐに手持ちのメモ帳を取り出し、適当なページに何かを走り書きしていた。

「これで迷ってもおれは責任とらないけど」

 メモ帳から切り離された紙切れを、先輩は斜め前にいるオレの近くに身を乗り出して置いた。
 手の届く範囲に置かれたそれを手に取って見ると、どうやらそれは、学校からどこかにたどり着くまでの地図のようだった。この話の流れからして――恐らくそう、宇栄原先輩の家に行くまでの道のりだった。

「先輩は天才だ……」

 思わず漏れた言葉に、隣にいた神崎先輩が覗き込むようにしてオレの持っている手元の紙を視界に入れた。

「よくすぐに自分の家までの地図書けるな……」どうやら本当に、この地図が本当に先輩の家まで連れて行ってくれる魔法の紙のようである。


   ◇


「わあ、地図通りだ」

 二日後の土曜日のことである。今日の天気は快晴とまではいかないものの、外を出歩くにはちょうど良い春の陽気だった。一枚の紙切れを手に、オレは普段は歩かない道を歩いていた。

「ここか……」

 決して疑っていたわけではなかったのだが、先輩が示した最終地点には花屋が一店佇んでいた。街の花屋というのが正しいのかは分からないが、余り大きくはない店構えがそれを彷彿とさせていた。
 店頭には、花の知識の無いオレにとっては余り見たことのないものばかりが並んでいた。神崎先輩だったら、ここにある全ての花の名前と共に豆知識なんかを教えてくれたりするのだろうか? それもいつもの先輩を見ている限りではおかしな話だが、どちらかと言うと今はそういう気分ではなかった。

「ホントに居るのかな……」
「居るよ」

 突然聞き覚えのある声が耳に入り、思わず肩が動いた。姿の見えない主の声を頼りに、オレは店の中に顔を入れた。すると、深い緑のエプロンをしている、学校では到底見たことのない姿をした宇栄原先輩がいた。
 どうやら先輩が花屋の息子というのは本当だったらしく、もう既に何度も会っている人物のはずなのに、息が出来なくなるほどに心臓の動きが速くなるのを感じた。

「いつ来るのかくらい聞いておけばよかったな」先輩は小さく息を吐きながら、手に持っていた造花の花の束と一緒にレジカウンターへと向かった。少し躊躇ったが、オレはようやく花屋へと足を踏み入れた。
「もしかして、ずっと待ってました?」
「君が来た時におれが居ないんじゃ意味ないでしょ」
「口調とは裏腹に優しい……」
「それ褒めてないよね?」

 少し難しい顔をしながら、先輩はこちらに向き直した。

「で、本当は何しに来たの?」

 そんなことを聞かれ、思考が止まったのを感じた。そりゃあ、急に先輩の花屋に行きたいなどと言い出したらそんな疑問も当然湧くに決まっている。

「うーん」

 でもこの時、こんな直球で聞いてくるなんて思わなかったから。

「花を見に来たんですよ、オレ」

 この期に及んで、オレはそんなことを言ってしまうのである。
 自分にほとほと呆れてしまう状況であるに違いなかったが、先輩は数秒キョトンとするだけですぐにいつもの調子に戻った。……戻ったというか、何故か少し笑っていた。一体どこに笑う要素があったのか、分からないふりをしたいくらいだったが、それももう手遅れである。

「橋下君ってさ、案外嘘が下手だよね、いや、うん。まあいいや」

 こういう時、余り深く突っ込んでこない先輩に助けられているという自覚はありつつも。

「見るくらいはしていったら?」

 どうせだったら無理やりにでも聞いてくれればいいのにと、そんな理不尽なことを考えている、ただのひやかしかもしれない客人に、先輩はこれまでにないくらいに優しく振る舞った。


   ◇


 ――そう、オレは父に手向ける花を買いに来たのだ。例え命日が既に終わっていようと、その気が全く無かろうと、それを盾にしなければ、ここに居ることもままならない。先輩にそれを言うなんてことはしない。あくまでも、そういう気持ちでここにいるということだ。
 実を言うと、オレが花屋にそれを買いに来るというのはこれが人生で始めてだった。
 季節柄、春に咲く花が多く並んでいるようだったが、何を選ぶのが得策なのかは見れば見るほど分からくなっていった。それが例えば、自分の為であったり母にプレゼントを贈るというのであれば、案外すんなりと決められていたのかも知れない。色の好みを知っていればだいぶ絞られるし、「この花が好き」というのもあるかもしれない。
 実際、数ある花を眺めてみると、オレにも好き嫌いのようなものは感覚ながらに存在した。その感覚通りであるなら、オレは大きな花は余り好みでは無いようだった。

「先輩、花言葉って気にした方がいいんですか?」
「さあ」
「さあって、お花屋さんって花言葉は覚えたりしないんですか?」
「熱心な店員なら覚えるかもね。気になるなら調べるけど」
「ああいや、いいですよ。どうなのかなって思っただけなので」

 オレがそう言うと、先輩はどういうわけか少々腑に落ちないといった様子だった。

「余り深くは聞かないけど、花言葉を気にしないといけないようなことでもあったの?」
「まさか。考えすぎですよ」

 先輩の勘の良さには、正直うんざりしていた。
 適当にあしらいながらもオレが先輩のことを見ることが出来なかったのは、恐らくは後ろめたい気持ちがあったからだろう。いっそ口を滑らせてしまおうかとも思ったが、そんな早計なことはしてやるもんかと、目の奥に力を入れた。

「先輩って、幽霊にも優しいんですか?」
「き、急になに?」先輩はその質問を全く予想していなかったのか、目を見開いた。
「いや、オレずっと思ってたんですよね」

 今初めて見たであろう、紫の小さな花が沢山ついた花を見ながらそんなことを口にした。
 先輩が幽霊に向けて何かをするとか、そういうところは見たことがないが、恐らく今回の件に限らず起きることであるには変わりない。幽霊というのは視える人に寄ってくるわけで、しかも力を持っているとなれば尚更だ。

「もう死んでいる人に構うなんて、そんな面倒でリスクの高いこと、先輩がする必要あるんですかね?」

 一般的に、既に死んでいる人間を見ることはおろか、喋ることも出来ないはずであるにも関わらず、オレを含めこの人はそれが出来る。しかしオレは、視ることが出来ても幽霊を払ったりするようなことは出来ない。否、オレがそう思い込んでいるだけでもしかしたら出来るのかも知れないが、もしそんなことが出来るのであるなら、既に祥吾はこの世にはもういないだろう。だからと言ったらいいのか、この人のやっていることが少々異様なことに思えて仕方が無かったのである。

「……君も、拓真と同じようなこと言うんだね」

 困ったように笑みを浮かべ、先輩は続けてこういった。

「おれは別にさ、幽霊を追い払ってやろうとか、何かをしてやろうだなんて考えたことは一度も無いんだよね。もっと言うなら、幽霊だからどうっていう考えもあんまり無くてさ」

 力って言われても、正直未だにピンと来てないけど。と、先輩は続けて言った。

「幽霊なんて視えなければよかったって思うことは、ゼロではないけど――でも、そういうものなのかなとも思うんだよね。視えるっていうことはさ」

 先輩の言っていることを聞いて、オレはなんだか拍子抜けをした。例えば、過去に何か幽霊と大きな出来事があったからお節介を焼こうとしているとか、そういう話でも始まるのかと思っていたからだ。
 いや、もしかするとそれを隠しているだけで本当は何かそういうことがあったのかもしれないが、先輩の言いぶりからは、流石にそれを察することは出来なかった。

「つまりおれは、特に何も考えていないってこと。まあでも、拓真が怒るから最近はよっぽどのことがない限りはそういうことはしてないけどね。今のところは」

 そう口にする先輩に、おれは思わずどきりとした。
 可能な限り要約するなら、先輩は損得とかそういうことではなく、どうしようもないお人好しであるということだろう。本人にその自覚があるかは知らないが、恐らくはそういうことなのだと思う。それだけ聞けば、先輩はただただ良い人であるに違いないのだが……。

(……やっぱり、巻き込んだらいけなかったかもしれない)

 先輩の言うよっぽどのこと、というのに、相谷くんの件は含まれてしまうのだろうか? いや、それだけだったらまだいいのかもしれないが……。

(……余計なことだよな)

 もしもそれに眼邪というものまで当てはまったら、どうなるだろう。そして、何かの拍子にオレと眼邪が知り合いであるということがバレてしまうかもしれない。そうなったら、どうだろう?
 先輩が自身で動いて知るのならともかく、オレが何かを吹き込んで、させる必要のないことをさせてしまうことだってあるだろう。
 それに一番の問題は、力を使うということが具体的にどういうことなのかを、オレは詳しくは知らないということだ。

(力を使うっていうのは、実は大変なことだったりするのかな……)

 それは、どんなに考えてもオレには理解の出来ない領域だ。

「だからこの話、拓真には内緒ね」

 そう言った先輩は、どこか寂しそうにオレの目には映っていた。そんな先輩の顔は始めて見たが、この目は見覚えがあった。
 あの逝邪と名乗る人物がよくする目に、そっくりだったのである。


   ◇


 先輩とああでもないこうでもないと言いながら花を選び終えたのは、約一時間したころだった。
 最終的に先輩のお姉さんが現れ、ぐずぐずしていたオレの気持ちをしっかりと区分けしてくれて、そうなってしまえば話は早かった。
 別に先輩の仕事ぶりがどうというわけではなく、オレと先輩が知り合いだからこその気持ちの推し量りが、そこまで時間がかかってしまった要因だった。つまり、先輩はなるべくオレの意を尊重しようとしていたということだ。そんなことを言ったら「何言ってんの?」と一蹴りされてしまいそうだが。
 二人が選んでくれたのは、余り大きな花ではなくて下さい小さな花と蕾が混ざったこじんまりとしたものだ。淡い青と紫でまとまっており、オレとは正反対に落ち着いた雰囲気の花束である(このサイズのものを花束と言っていいのか解らないが)。

 家に帰ると、いつものように冷たい風が漂っていた。オレに兄妹がいれば、もう少し賑やかに人の声が聞こえていただろうに、生憎この家にはオレと母しか住んでいない。その母も、この時間はまだ帰って来る時間ではないはずだから、暫くは、オレしかいない時間が続く。さっきまでの出来事とは確立された現実が、一気に襲ってきたような、そんな気がした。
 お店の紙袋を持ったまま、中身を誰に見せびらかすこともなくオレは自室に入る。少し暗がりの部屋の電気をつけることもせず、勉強机の上に鞄を置き、紙袋を適当に床に置いてベットに転がり込んだ。
 ベットで天井を眺めるのは、すぐに飽きてしまった。外から僅かに聞こえてくる車の音や、隣人の足音がオレに無理やり干渉してくるのが分かると、嫌々上半身を起こした。乱れた髪の毛をなんて、今は気にする者は誰もいない。

(……何やってるんだろう、オレ)

 気付けば、深いため息をついてしまっていた。外ではこんなことはしないし、母の前でもこういうことはしないのだか、今日ばかりは話は違った。
 先輩が繕ってくれた花束が入った紙袋を、オレは再び覗き込んだ。それを見るたびに、何故か気が晴れたような気がした。だがこれは、正確に言うとこれはオレの為ではなく、オレが渡すと思われる誰かを想定して作られたものだ。そこになんだか虚しさを感じてしまうのは、恐らくその渡す相手というのが虚空の存在だからなのだろう。きっと、そうに決まっている。

「……まあ、いいか」

 聞きそびれてしまったことはいくつもあるし、それに関しては少々後悔しているが、いつもだったら見れない先輩の姿を見たということもあり、それが僅かな充実感を生み出してしまっていた。それはもう、しょうがないことである。

「花瓶、買わなきゃな……」

 綺麗に整えられたこの部屋には余り似合わない花束を飾るものを探しに、オレは一度部屋を出る。
 この花束はもはやオレののものであり、誰かに渡すなんてことは起こり得ないのだ。

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