相谷光希という人物は、想像通りと言ったら良いのか自分の話を余りしない人だった。オレのことはさも当然かのように信用していないようだったし、恐らくオレの話なんてまともに聞いていなかっただろう。最も、別に実のある話なんてひとつもしていなかったから、それくらいがちょうど良かったのかもしれないが。
本当に屋上から飛び降りようとしていたのかは分からないが、オレが相谷君と別れた後そういう展開にはならなかったというところを見るに、もしかするとその気は余りなかったのかもしれない。それか、結果的にオレが引き留めたからそうなったということになるのだろう。それはそれで、恩着せがましくて好きではないのだが……。
相谷くんと別れてからというもの、オレは普通に授業に参加した。「用があるから」といって相谷くんと別れたが、実際のところ平日のまだ授業があるような時間帯に用なんてあるわけがなかった。
授業の途中に扉を開けたということもあり、クラス全員の注目を集めたが、そんなことはさして重要なことではなかった。先生には何か小言を言われたような気もしたが、それも別にどうだってよかった。
(明日また会えるかな……嫌な顔されそうだけど)
授業に参加こそしていたが、今更授業の内容なんて聞く気もなかった。
これはあくまでもオレの想像だが、なるべく人付き合いを避けたいという空気を彼から感じたし、次に会ったときには嫌な顔をされるに違いないだろうという確信があった。こんなことを言ったら怒られるだろうが、それはそれで少し見て見たい気もして、不謹慎だと怒られても文句は言えないだろうが、何となく面白くも感じた。
相谷くんに関する噂のようなものは何となく知っていたから、恐らくそのせいではないだろうかとも思ったが、元々ああいう感じなのでは無いかという気もしたし、本当のところはどうなのだろうと気になって仕方が無かった。しかし、そんなことをあの状況で聞けるわけもなく。
好奇心と言ったら聞こえは悪いだろうが、つまりそういうことなのだろうと思った。だがそれは決して、彼の噂を知っているからという同情心から来るものとは違う。片隅にはその感情がもしかしたらあったのかもしれないが、そういうことではなく、もう少しだけ彼のことを知りたくなったのだ。
しかしそれと同時に、なんだか苛立ちのほうが勝っていくのをひしひしと感じた。仕事として授業をしている先生の声すら煩わしく感じるくらいだった。本当は戻って来たくはなかったが、初対面と呼べる人物と約一時間の時を過ごせるほど社交力は高くなかったのだから仕方がない。
(……オレに何が、出来るのかな)
嘘か本当かは別にして、噂というのはいかに人を追い詰めるのかというのを見てしまったような気がして、不快極まりなかったのである。
◇
「あーいたーにくん」
オレが今日学校で発した言葉は、もしかしたらこれが最初だったかも知れない。
「元気?」
オレがそう口にすると、彼は案の定少々嫌そうな顔をした。これがもう少しお喋りな人だったら、急になんですか……と続きそうな顔をしていた。
相谷くんのクラスの人々は、少なからずオレのことを気にしていた。好奇な目で見ていた者も恐らく居たのだろうが、そんなことはオレにとっては取るに足らないことだった。最も、相谷くんがどう思っているのかは計り知れない。とても嫌な思いをしているということだって、十分に考えられるだろう。
相谷くんは、何事もなかったかのように学校に足を運んでいた。あの時のことは授業をサボったということになっているだろうし、そのことで何か問い詰められたりしたのかもしれないが、本当にそんなことなんて何もなかったかのような振る舞いだった。
「な、なにか用ですか……?」
「いや別に、用は何もないけど」
オレがそう言うと、相谷くんはすぐさま「だったらなんで来たのだろうか」と言いたげな顔をした。そこまでの顔をしたのなら言ってしまえばいいのに、会話がすぐに終わってしまうのがつまらなかった。それくらい話をするのが嫌なのか、それともオレが嫌なのかは、これだけではまだ分からなかった。
「お昼、一緒に食べようかなーと思って」
「嫌です……」
「否定だけは早いな。なんで?」
このままお昼休みが終わってしまうではないかと思うくらいの沈黙が続いたような気がしたが、相谷くんが何かを言うのをじっと待つ。
「……どうして、わざわざ教室まで来るんですか?」オレの質問に、相谷くんは答えることをしなかった。
「だって、他にどこにいるのか知らないし。じゃあ教室じゃない場所だったらいいの?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
相谷くんが口にすることは、どれも確信をつくようなものではなく、なんだかぐずぐずしていた。いや、最初に話したときからこんな感じではあった気がするが、それにしても相谷くん自身がどうしたいのかが見えてて来るものはどこにもなかった。
「せ、先輩の迷惑になるじゃないですか」
「……ならないよ?」
だが、よくよく考えれば、彼が一体なにを心配しているのかなんてすぐに分かって然るべきものだったのかもしれない。
「相谷くんは、オレが来るの迷惑なの?」
「め、迷惑――ではないですけど……いや僕のことはどうでもよくて……」
「なら別に、心配することなんてどこにもなくない?」
この人物は、自分と関わることで誰かの迷惑になる可能性をなるべく排除したいだけなのかもしれない。その理由は言わずもがな――周りの目が、それを証明していた。
しかし何と言ったらいいのか、どうやらオレ自身が嫌というわけでもないようで、そこだけが唯一の救いのような気がしてならなかった。
「そんな難しいこと考えてたら、ご飯の味しなくなるよ」
辺りを一瞥すると、教室に居る数人の視線がオレと相谷くんに集まったままであるのが分かる。そこまで直接的ではないように見えたものの、それはまるで、この短い間に彼がどういった環境で過ごしてきたのかを表しているかのようで、控えめに言ってもいい気はしなかった。というか、滅茶苦茶ムカついた。
数分でこれなのだから、こんな居心地の悪い空間でこれまでを過ごしてきた彼の気持ちは、計り知ることが出来ない。
なるべく小さく息を吐き、オレは相谷くんの手を引っ張った。
「オレ飲み物忘れてきたから、買いにいこ」
この行為は、どちらかというとオレがこの空間にいる嫌で起こしたことだったと認識している。つまりは偽善であるというのが分かってしまうくらいに、分かりやすい行動だったかもしれない。内心、オレの心臓の動きはかなり早くなっていた。
これはもしもの話だが――このオレの行動で、更に相谷くんの立場が悪くなるようなことがあるのではないかと内心ひやひやしていた。その可能性は大いにあったし、余りにも軽率に彼のいる教室に足を運んでしまったかもしれないと少々後悔もしていた。
だが、だからといってあの時のことをまるで何もなかったかのようにしてこれからを過ごすということの方が、オレには到底出来る行動ではなかったのだ。
◇
相谷くんとの会話は、基本的にはオレが喋っているだけで正直なところ会話というにはほど遠かった(神崎先輩とも概ねそんな感じだったが)。
最初は話なんて全く聞いていないのでは無いかと思ったりもしたが、どうやらそういうことではなく、寧ろ聞き過ぎていて話の端にあるどうでもいいことを拾ってくるような、なんとも不思議なテンポにオレは感じた。
本当に余り会話をしたくないのならオレに適当に喋らせておけば良いのだから、恐らく話すのが嫌とかそういう極端なことではないのだろう。……そう信じたいところだが、本当のところは流石に分からない。
帰り道で走っているのは、オレ一人だけだった。といっても、急がないといけないほどの用事というものがあるわけでもないのだが、バイトがあるお陰で心なしか先急いでいる自覚はあった。普段余り通らない道であるからか、少しそわそわもしていた。わざわざいつもとは違う道を通ったのには理由があるわけではないが、思い出したことならある。
(そういえば幽霊居たんだったな……)
少し遠くの方にひとりの女性が立っているのが分かると、走る速さが少しずつ遅くなった。以前、朝早くにこの道を通った時にもいた幽霊である。あの時は帰りにここを通るのをすっかり忘れていたし、正直、もう一度それを視るまでは思い出すに至らなかった。
一体何を眺めているのか、まるで幽霊が視えるオレでも視えない何かを眺めているような、そんな様子だった。
何となく、余り近づいてはいけない人物なのではないかという気がしてならなかったが、そう思った時には既に遅く、視線がぶつかってしまったのが分かった。
「――こんにちは」
明らかにオレを認識したうえで声をかけられ、オレは息をするのを少しの時間忘れていたように思う。警戒していることを悟られないように、なるべくいつもの調子で声をかけた。
「オレが視えるってこと、分かるの?」
「だって、この前も私の方ずっと見てたでしょ? それに幽霊はね、どの人間が私たちのことを視えているのかを試そうとするの。気付いて欲しいのよ、みんな」だから気を付けてねと、笑いを含ませてながら女性は続けて言った。もしかするとオレは、知らない間に試されていたのかもしれないと思うと、尚更通らなければよかったかもしれないという気持ちに晒された。
「その制服……私と同じ学校ね。頭いいんだ」
そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、女性は勝手に話を進めた。女性は制服では無かったが、どうやら同じ学校の生徒だったらしい。それにしても、簡単に手に入るであろう個人情報を全く知らない人物に指摘されるというのは、余り良い気分では無かった。
「……それ、いつの話?」
「私がいつ死んだのかって意味? そうね――確か、そろそろ四年が経つんだったかな。まあでも、どうでもいいじゃない、そんなこと」
どうやらこの人物が亡くなったのは、比較的最近のことのらしい。しかし、そのことにはどうやら余り触れられたくはないようで、話はすぐに別の方向へと進んだ。
「あ、そういえば……私の弟は結局どこの高校行ったんだろう」
聞いてもいないのに、女性は勝手に個人情報ばかりを口にした。そんなことを言われてもオレは全く興味がないのだが、どうやら相当人恋しかったようだ。こう言ってしまってはなんだが、幽霊と喋るというのは相当面倒くさいものであるというのを、久し振りに実感したような気がした。
「弟?」仕方なく、オレは話を聞くことになってしまった。
「うん。私と歳が三つ離れていて……もう高校一年生になったんだったかな? あの時よりも大人になったのかなって、ずっと気になってるんだけど」
そう言うと、女性は改めてオレの来ている制服を下から舐めるように経由し、オレの顔を視界に入れた。
「君は知ってる? 私の弟」
こんなところに数年もいるということは、恐らく何かの執念が残っているのだろう。そしてその理由が、その弟であるというところまではすぐに検討がついた。
その弟という人物に、自分が既に会っている可能性があるという事実に僅かながら口が震えたような気がしたが、気にし過ぎていただけに違いない。
「……お姉さん、名前は?」
この後に及んでまだ相手のことを全く知らないオレは、率直に相手の女性の名前を尋ねた。もしこの質問をして、オレが後悔するような返答が返ってくるとするなら――オレは果たして、冷静でいることが出来るだろうか?
「私? 相谷 光莉っていうの」
自身を相谷 光莉と名乗る人物は、オレが何か反応を示すよりも前に更に口を開いた。――もしかすると、オレが気付いていないだけで何かしらの反応をしてしまっていたのかも知れない。
「弟、もし見つけたら私に教えてね」
その卑しい笑みにオレは思わずどきりとしたが、この感覚がなんだったのかは、正直自分でもよく分からなかった。
本当に屋上から飛び降りようとしていたのかは分からないが、オレが相谷君と別れた後そういう展開にはならなかったというところを見るに、もしかするとその気は余りなかったのかもしれない。それか、結果的にオレが引き留めたからそうなったということになるのだろう。それはそれで、恩着せがましくて好きではないのだが……。
相谷くんと別れてからというもの、オレは普通に授業に参加した。「用があるから」といって相谷くんと別れたが、実際のところ平日のまだ授業があるような時間帯に用なんてあるわけがなかった。
授業の途中に扉を開けたということもあり、クラス全員の注目を集めたが、そんなことはさして重要なことではなかった。先生には何か小言を言われたような気もしたが、それも別にどうだってよかった。
(明日また会えるかな……嫌な顔されそうだけど)
授業に参加こそしていたが、今更授業の内容なんて聞く気もなかった。
これはあくまでもオレの想像だが、なるべく人付き合いを避けたいという空気を彼から感じたし、次に会ったときには嫌な顔をされるに違いないだろうという確信があった。こんなことを言ったら怒られるだろうが、それはそれで少し見て見たい気もして、不謹慎だと怒られても文句は言えないだろうが、何となく面白くも感じた。
相谷くんに関する噂のようなものは何となく知っていたから、恐らくそのせいではないだろうかとも思ったが、元々ああいう感じなのでは無いかという気もしたし、本当のところはどうなのだろうと気になって仕方が無かった。しかし、そんなことをあの状況で聞けるわけもなく。
好奇心と言ったら聞こえは悪いだろうが、つまりそういうことなのだろうと思った。だがそれは決して、彼の噂を知っているからという同情心から来るものとは違う。片隅にはその感情がもしかしたらあったのかもしれないが、そういうことではなく、もう少しだけ彼のことを知りたくなったのだ。
しかしそれと同時に、なんだか苛立ちのほうが勝っていくのをひしひしと感じた。仕事として授業をしている先生の声すら煩わしく感じるくらいだった。本当は戻って来たくはなかったが、初対面と呼べる人物と約一時間の時を過ごせるほど社交力は高くなかったのだから仕方がない。
(……オレに何が、出来るのかな)
嘘か本当かは別にして、噂というのはいかに人を追い詰めるのかというのを見てしまったような気がして、不快極まりなかったのである。
◇
「あーいたーにくん」
オレが今日学校で発した言葉は、もしかしたらこれが最初だったかも知れない。
「元気?」
オレがそう口にすると、彼は案の定少々嫌そうな顔をした。これがもう少しお喋りな人だったら、急になんですか……と続きそうな顔をしていた。
相谷くんのクラスの人々は、少なからずオレのことを気にしていた。好奇な目で見ていた者も恐らく居たのだろうが、そんなことはオレにとっては取るに足らないことだった。最も、相谷くんがどう思っているのかは計り知れない。とても嫌な思いをしているということだって、十分に考えられるだろう。
相谷くんは、何事もなかったかのように学校に足を運んでいた。あの時のことは授業をサボったということになっているだろうし、そのことで何か問い詰められたりしたのかもしれないが、本当にそんなことなんて何もなかったかのような振る舞いだった。
「な、なにか用ですか……?」
「いや別に、用は何もないけど」
オレがそう言うと、相谷くんはすぐさま「だったらなんで来たのだろうか」と言いたげな顔をした。そこまでの顔をしたのなら言ってしまえばいいのに、会話がすぐに終わってしまうのがつまらなかった。それくらい話をするのが嫌なのか、それともオレが嫌なのかは、これだけではまだ分からなかった。
「お昼、一緒に食べようかなーと思って」
「嫌です……」
「否定だけは早いな。なんで?」
このままお昼休みが終わってしまうではないかと思うくらいの沈黙が続いたような気がしたが、相谷くんが何かを言うのをじっと待つ。
「……どうして、わざわざ教室まで来るんですか?」オレの質問に、相谷くんは答えることをしなかった。
「だって、他にどこにいるのか知らないし。じゃあ教室じゃない場所だったらいいの?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
相谷くんが口にすることは、どれも確信をつくようなものではなく、なんだかぐずぐずしていた。いや、最初に話したときからこんな感じではあった気がするが、それにしても相谷くん自身がどうしたいのかが見えてて来るものはどこにもなかった。
「せ、先輩の迷惑になるじゃないですか」
「……ならないよ?」
だが、よくよく考えれば、彼が一体なにを心配しているのかなんてすぐに分かって然るべきものだったのかもしれない。
「相谷くんは、オレが来るの迷惑なの?」
「め、迷惑――ではないですけど……いや僕のことはどうでもよくて……」
「なら別に、心配することなんてどこにもなくない?」
この人物は、自分と関わることで誰かの迷惑になる可能性をなるべく排除したいだけなのかもしれない。その理由は言わずもがな――周りの目が、それを証明していた。
しかし何と言ったらいいのか、どうやらオレ自身が嫌というわけでもないようで、そこだけが唯一の救いのような気がしてならなかった。
「そんな難しいこと考えてたら、ご飯の味しなくなるよ」
辺りを一瞥すると、教室に居る数人の視線がオレと相谷くんに集まったままであるのが分かる。そこまで直接的ではないように見えたものの、それはまるで、この短い間に彼がどういった環境で過ごしてきたのかを表しているかのようで、控えめに言ってもいい気はしなかった。というか、滅茶苦茶ムカついた。
数分でこれなのだから、こんな居心地の悪い空間でこれまでを過ごしてきた彼の気持ちは、計り知ることが出来ない。
なるべく小さく息を吐き、オレは相谷くんの手を引っ張った。
「オレ飲み物忘れてきたから、買いにいこ」
この行為は、どちらかというとオレがこの空間にいる嫌で起こしたことだったと認識している。つまりは偽善であるというのが分かってしまうくらいに、分かりやすい行動だったかもしれない。内心、オレの心臓の動きはかなり早くなっていた。
これはもしもの話だが――このオレの行動で、更に相谷くんの立場が悪くなるようなことがあるのではないかと内心ひやひやしていた。その可能性は大いにあったし、余りにも軽率に彼のいる教室に足を運んでしまったかもしれないと少々後悔もしていた。
だが、だからといってあの時のことをまるで何もなかったかのようにしてこれからを過ごすということの方が、オレには到底出来る行動ではなかったのだ。
◇
相谷くんとの会話は、基本的にはオレが喋っているだけで正直なところ会話というにはほど遠かった(神崎先輩とも概ねそんな感じだったが)。
最初は話なんて全く聞いていないのでは無いかと思ったりもしたが、どうやらそういうことではなく、寧ろ聞き過ぎていて話の端にあるどうでもいいことを拾ってくるような、なんとも不思議なテンポにオレは感じた。
本当に余り会話をしたくないのならオレに適当に喋らせておけば良いのだから、恐らく話すのが嫌とかそういう極端なことではないのだろう。……そう信じたいところだが、本当のところは流石に分からない。
帰り道で走っているのは、オレ一人だけだった。といっても、急がないといけないほどの用事というものがあるわけでもないのだが、バイトがあるお陰で心なしか先急いでいる自覚はあった。普段余り通らない道であるからか、少しそわそわもしていた。わざわざいつもとは違う道を通ったのには理由があるわけではないが、思い出したことならある。
(そういえば幽霊居たんだったな……)
少し遠くの方にひとりの女性が立っているのが分かると、走る速さが少しずつ遅くなった。以前、朝早くにこの道を通った時にもいた幽霊である。あの時は帰りにここを通るのをすっかり忘れていたし、正直、もう一度それを視るまでは思い出すに至らなかった。
一体何を眺めているのか、まるで幽霊が視えるオレでも視えない何かを眺めているような、そんな様子だった。
何となく、余り近づいてはいけない人物なのではないかという気がしてならなかったが、そう思った時には既に遅く、視線がぶつかってしまったのが分かった。
「――こんにちは」
明らかにオレを認識したうえで声をかけられ、オレは息をするのを少しの時間忘れていたように思う。警戒していることを悟られないように、なるべくいつもの調子で声をかけた。
「オレが視えるってこと、分かるの?」
「だって、この前も私の方ずっと見てたでしょ? それに幽霊はね、どの人間が私たちのことを視えているのかを試そうとするの。気付いて欲しいのよ、みんな」だから気を付けてねと、笑いを含ませてながら女性は続けて言った。もしかするとオレは、知らない間に試されていたのかもしれないと思うと、尚更通らなければよかったかもしれないという気持ちに晒された。
「その制服……私と同じ学校ね。頭いいんだ」
そんなオレの気持ちを知ってか知らずか、女性は勝手に話を進めた。女性は制服では無かったが、どうやら同じ学校の生徒だったらしい。それにしても、簡単に手に入るであろう個人情報を全く知らない人物に指摘されるというのは、余り良い気分では無かった。
「……それ、いつの話?」
「私がいつ死んだのかって意味? そうね――確か、そろそろ四年が経つんだったかな。まあでも、どうでもいいじゃない、そんなこと」
どうやらこの人物が亡くなったのは、比較的最近のことのらしい。しかし、そのことにはどうやら余り触れられたくはないようで、話はすぐに別の方向へと進んだ。
「あ、そういえば……私の弟は結局どこの高校行ったんだろう」
聞いてもいないのに、女性は勝手に個人情報ばかりを口にした。そんなことを言われてもオレは全く興味がないのだが、どうやら相当人恋しかったようだ。こう言ってしまってはなんだが、幽霊と喋るというのは相当面倒くさいものであるというのを、久し振りに実感したような気がした。
「弟?」仕方なく、オレは話を聞くことになってしまった。
「うん。私と歳が三つ離れていて……もう高校一年生になったんだったかな? あの時よりも大人になったのかなって、ずっと気になってるんだけど」
そう言うと、女性は改めてオレの来ている制服を下から舐めるように経由し、オレの顔を視界に入れた。
「君は知ってる? 私の弟」
こんなところに数年もいるということは、恐らく何かの執念が残っているのだろう。そしてその理由が、その弟であるというところまではすぐに検討がついた。
その弟という人物に、自分が既に会っている可能性があるという事実に僅かながら口が震えたような気がしたが、気にし過ぎていただけに違いない。
「……お姉さん、名前は?」
この後に及んでまだ相手のことを全く知らないオレは、率直に相手の女性の名前を尋ねた。もしこの質問をして、オレが後悔するような返答が返ってくるとするなら――オレは果たして、冷静でいることが出来るだろうか?
「私? 相谷 光莉っていうの」
自身を相谷 光莉と名乗る人物は、オレが何か反応を示すよりも前に更に口を開いた。――もしかすると、オレが気付いていないだけで何かしらの反応をしてしまっていたのかも知れない。
「弟、もし見つけたら私に教えてね」
その卑しい笑みにオレは思わずどきりとしたが、この感覚がなんだったのかは、正直自分でもよく分からなかった。