34話:ニセモノとヒミツ


2024-08-15 16:02:21
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「朝はやっぱりまだ寒いよなぁ……」

 世間一般的には春に分類されている四月の早朝は、まだ春と呼ぶには相応しくない気温だった。いくら日中に寒いからといって、寒冷地域でもないのに四月にマフラーをしていたら変な目で見られるだろうが、まだ歩いている人が少ないこの時間であれば、さほど注目をされることはなかった。
 一般的な学生はまだ起きてすらいないであろう時間の中、オレは制服を着て外を走っていた。こんな時間に一体何をしているのかと言えば、別に運動がしたいからでも、部活の早朝の練習に間に合わないわけでもない。コンビニのバイトの時間が迫っているのだ。といっても、別に急がなければいけない程遅れているというわけではないのだが。余りにも面白みに欠けるバイトへ行く道を、オレは定期的に違う道を使ってバイトに向かっているのだ。
 こんな時間から学生がバイトだなんてと、何も知らない周りの人間は思うかもしれないが、そんなことは余計なお世話で、世の中そう単純には出来ていない。と言うより、特待生として入学しているお陰もあって、そこまで生活も困窮しているわけでもない(と、胸を張って言えればよかったのだが)。
 だがそれでも、公立高校に通うより当然出費は多かった。自分で使うお金くらいは自分でどうにかするのが、この場合は普通だろうし、まあ……なんというか、家に居ても面白くないのだ。

(幽霊、この辺りにはいないのかな……いや、いても困るけど)

 走っている最中でも、オレの意識は自然とそんなことを考えてしまっている。
 幽霊を探すという行為は、一見難しいと思うかもしれない。生きている人々よりも存在している数は少ないだろうし、確かに、そう多く見つかるものでも無い。とはいえ、すぐに区別はつくから(あくまでも、感覚的なものでしかないのだが)難しいという話ではないだろう。
 しかしその数少ない幽霊の中で、話が通じる幽霊と通じない幽霊がいるということを忘れてはいけない。
 幽霊だって、急に訳の分からない奴に話しかけられても意味が分からないだろうし、オレのことを幽霊が祓えるのだと勘違いするような幽霊も当然いる。この前幽霊に追われたのがいい例だが、正直話が通じるような幽霊のほうが少ないのではないだろうか。そうじゃなければ、悪霊や怨霊などという言葉が、視えない人々にもすらも根強いているなんてことはないはずなのだから。
 車通りのない一車線道路の歩道を若さに任せて走っていると、向かいの歩道に一人の女性がいるのがみえた。
 少し近づいて分かったが、髪型はセミロングで白い長袖のシャツを着ており、黄色いサロペットスカートを風に任せて靡かせている。四月の平均的な気候と、早朝ということもあり、少し薄着の印象だった。

(あれ、幽霊か……)

 目だけを動かし女性を追いながらも、オレは走るのを止めなかった。いくらバイトの時間にまだ余裕があるからといって、全く知らない幽霊を相手にするほどの時間まではないし、そんなにホイホイ話しかけていたら、それこそ本当に、命がいくつあっても足りないなどという話になってしまうだろう。

(この道、また使うか迷うな……)

 帰りは帰りでまたバイトがあるのだが、夕方のほうがまだ余裕があったと記憶している。僅かに後ろ髪を轢かれながらも、オレはバイト先のコンビニへと向かった。


   ◇


 午前の授業が終わりを告げる合図というのは、普通の休み時間とは心なしか開放感が少し違う。このまま学校が終わればいいのにと思わざるを得ないが、そんな都合のいいことは起こるわけがなかった。
 貴重品とコンビニの袋をだけを持ち、少しだけまばらになった教室を抜け、クラスメイトと言葉を交わすこともなく教室を出た。別に話す相手が全くいないわけでもないのだが、かといって話したいと思うような人物もいなかった。そこまでオレに興味のある人間もいないだろうから、比較的スムーズに教室を出ることが出来たし、廊下に出たからといって言葉を交わすほどの知り合いがいるわけでもなかった。最も、知り合いが出来ないほどに協調性がないわけでもないから、知り合いが全くいないというわけでもなく。

「あ、先輩だ」神崎先輩を視界に捉え、オレは思わず声をかけた。
「なんだよ……」
「会っただけでなんだよは流石におかしくないですか?」

 学食堂に向かう途中、神崎先輩に遭遇して思わず声をかえてしまった。既にバイト先でご飯は買っていたのだが、飲み物を買い忘れるという失態を犯してしまったお陰で、仕方なく足を運んだのである。
 先輩は少々迷惑そうで、かつそれを隠すことはしなかった。オレという人間に会ったからそうだったのか、それとも一人で居たかったのかは分からないが、なんにせよ余り話しかけていい雰囲気でもなかった。といっても、神崎先輩は元から話かけやすいほうではないとは思うが。
 オレは、まるでこれから悪い話をする時のように辺りを見回した。

「宇栄原先輩はいないんですね」
「いつも一緒な訳ないだろ。それにクラスも違う」
「ふーん」

 そういえば、二人は同じクラスじゃなかったなと心の中で自分に言った。聞くところによると、二人は小学校からの仲で、中学の時は同じクラスになったこともあったようだが、高校では同じクラスになったことはないらしい。

「……会ったのが俺で悪かったな」先輩は、唐突にそんなことを口にした。
「誰もそんなこと言ってないじゃないですか」
「顔が言ってんだよ」
「言ってない言ってない」

 どうやら先輩は、オレが宇栄原先輩を探していたものだと思っているらしい。もしかすると、宇栄原先輩に纏わりつく変な奴だと思われているのかもしれない。あながち間違ってはいないのだろうが、そう思われるのは正直心外だし、宇栄原先輩が幽霊が視えるということを知っているくらいだから、神崎先輩にも多少なりとも興味があった。
 相変わらずなんだか嫌そうにしている先輩の後ろについて歩いていたのだが、オレは先輩の制服の腕を引っ張り、学食に行くのを引き留めた。

「あ、先輩。オレあっちの自動販売機に行きたい」
「じゃあな」
「まあまあ、三秒で終わりますから」
「ほう……」

 やれるものならやってみろとでも言いたげに先輩は一声上げ、今度は先輩がオレの後ろをついて歩いた。オレが引っ張って行っただけなのだが、なんだかんだこうして付き合ってくれるのは、恐らく先輩が本当は優しいからだろう。まだ出会って数ヶ月も経っていないが、それくらいのことは既に何となく理解していた。
 自動販売機にたどり着くまでに既に三秒が経過しているような気がするが、そんなことは最早この場にいる誰もが気にも留めていなかった。

「何買うんだったっけな……」

 オレの独り言を、先輩は拾うこともしなかった。ここに来るまでにどの飲み物を買おうか考えようと思っていたのに、先輩に会ったお陰ですっかりと忘れていたのだ。
 何も考えずに自動販売機の前に立つと、一体何を飲もうかといつも以上に考えてしまうというものだ。お茶と水は勿論あるが、そのほかにも何故学校に設置されているのかよく分からない飲むゼリーや、飲んだこともないし余り飲みたいとも思わない変なジュースが並んでいる。
 オレは販売機の一番下にある、食事と共にというには余り相応しくなさそうなとある飲み物に目を付け、販売中と書かれてたボタンを押した。少しだけ間を開けて、取り出し口からガタンッ、と音が鳴る。
 少し屈み、少々取りにくい取り出し口に手を突っ込んだ。ピンク色をしたパックにいちごの絵が書かれており、既に少し水が滴っていた。

「……やっぱり普通に水とかにすれば良かったかも。そういう時ありません?」
「あるにはあるけど、昼時にいちご牛乳は目に入らない」
「うーん、そっか……」

 特に理由もなく選びはしたものの、確かにお昼時に真っ先に選ぶものではなかったかもしれないと、先輩に言われた初めて気づいた。

「……ここって当たりあるんだな」
「え?」

 少々後悔したのもつかの間、お金を入れる当たりにある、デジタル式の時計のような部分には四桁の数字が表示されるようになっているのだが、二という数字が四桁綺麗に並んでいた。つまりこれは、もう一つ好きな飲み物を選んでいいというわけだ。

「えぇー……どれがいいですか?」こんなところにある自動販売機で当たるとは思っておらず、オレは思わず先輩に押しつけた。
「お前の好きにすればいいだろ」
「先輩にあげますよ」
「いらん」
「なんで?」
「いらないっての」
「うーん……」

 確か、三十秒以内に選ばなければその当たりは無かったことになったと記憶しているから、別に飲みたいものがなければ選ばなければ別にどうということもないのだが、当たりが出ているということを認識してしまっているせいでそれも何だか癪に障るような気がした。
 オレは再び自動販売機に並べられている飲み物を軽く見回し、考え無しに適当にボタンを押した。取り出し口から、再び少し大きな音が響く。

「……先輩にあげる」
「何度も言わせんな」
「ごめんなさい」

 取り出し口から出てきたパックのコーヒー牛乳を前に、オレと先輩は何とも形容しがたい感情に取り憑かれていた。


   ◇


 自動販売機を後にしたオレ達は、すぐに学食に向かった。先輩は何故ついてくるのかというような顔をしていたが、どうやらついて来られるのが嫌だからというわけではないようだった。
 先輩は、学食で適当なパンを買っていた。オレは学食で何かを買うということは余りしないせいで忘れていたが、当然だがそこにも飲み物が売っていた。先輩は一緒に飲み物も買っていたが、緑茶ともうひとつ、小さな水のペットボトルを買ったかと思うと小さい方をオレに押しつけてきた。

「先輩って優しいって言われません?」
「一度もない」
「うそぉ」

 神崎先輩は、オレとは違って疑うまでもなく優しい人だったが、イ相変わらずチゴオレとコーヒー牛乳は頑なに拒否されたままだった。
 先輩は、教室に帰らないでそのまま学食の適当な席で昼食を済ませていた。当然のようにオレも先輩のすぐ近くの席を陣取り、あることないこと適当な会話をした。先輩は、オレの適当な会話に適当な相づちを打った。先輩はいつも長い言葉を口にすることはないが、それでも会話は成立した。というより、一方的にオレが話をしていただけで、先輩と会話らしい会話をした記憶は余り残っていない。

「お前、よく喋るな……」何を喋っていたのか思い出せないくらいの会話が一段落した時、先輩がそんなことを口にした。
「五月蠅いですか?」
「いや……」

 オレがそう言うと、先輩は少し考え込くようにパンを口に運んだ。まだ出会ってそこまで時間が経っていないような奴に付きまとわれて、おまけに滅茶苦茶喋る奴だし、内心嫌な思いをしているのではないかと、少し気がかりではあった。

「周りの声のほうが、よっぽど五月蠅いだろ」

 返された言葉に、そう来るのかとオレは内心驚いた。この人の許容範囲の中には一応オレが居るのだということがその言葉だけで分かってしまい、なんだか頭の奥がかゆくなった。しかしそれと同時に、出会った理由が理由なだけに少々罪悪感も生まれた。
 例えばオレが、本当に宇栄原先輩に祥吾のことを伝えたとして、神崎先輩にも少なからず何か影響が出るのではないかと思うと、居たたまれなくなった。
 本当にどうでも良いと思うような人物なら別にどうなったって構わないが(多少の後ろめたい気持ちはあるだろうが)、オレの感情が上乗せされているような状況でそんな奴に頼むようなことは絶対にしないし、かと言って信用出来そうな人に頼むというのも――なんというか、それこそ危ないことに首を突っ込んで欲しくはないと思うのが普通の感情だろう。一応、それくらいの一般的な感情は持ち合わせている。

「先輩は優しいなぁ」

 ふと呟いたオレの言葉の意味を、恐らく先輩は分かっていない。


   ◇


 今日の昼食の時間は、終わりを迎えるのが酷く早かった。それほど楽しかったのだと思えば当然の感覚なのかもしれないが、本当のところはどうなのだろうと、何故だが少し疑問が残った。
 先輩とは、今日ちょうどばったり出会った場所で別れた。最後にミルク飴を渡された時は餌付けされているのかと流石に疑ったが、恐らく深い意味は全くないのだろう。先輩と別れた後は、なんだか周りが急に静かになったような気がした。恐らく会話の八割オレしか喋っていないのだろうが、先ほどまで埋まっていた何かが欠けていってしまったような、そんな気分だった。
 予鈴が鳴る少し前のことである。教室まで戻ると、殆どの生徒は教室におらず、残っていた数人も少々足早に教室を出て行った。そういえば次の授業は移動教室だったかと、急に嫌な気持ちになった。本当なら今すぐ準備して教室を後にするべきなのだが、悠長に自席に着いた。
 もうオレしかいなくなりそうな教室は、いつも使っている教室ではないのではないかという錯覚に陥るくらいに別物に感じた。本当にこのまま誰も帰ってこないのであれば、これほど楽なことはないのだが。

(……面倒くさいな)

 予鈴と同時に、オレの身体は比較的すぐに動いた。本当ならサボってしまいたいくらいの気持ちだが、生憎そこまで素行が悪いわけではなかった。別に移動に五分も十分もかかる訳もないし、そんなに焦ることもないだろう。というよりも、予鈴よりも前に人が完全に居なくなるなんて、このクラスが真面目すぎるのだ。全くもって、面白くない。
 教科書と筆箱だけ持っていくというのも面倒で、必要なものと貴重品を入れた鞄と、あと引き続きコンビニの袋を持って別の校舎に移動した。廊下だけは、さっきより少し慌ただしい様子を見せていた。
 音楽室や多目的室といった、普段は使うことのない部屋が集まっている校舎の三階にたどり着くと、数人の生徒とすれ違った。オレのクラスの人ではないようだったが、移動教室はどの時間帯でもあるだろうし特に気にも留めなかった。そのうちの一人を除いては。
 目的の教室にたどり着いたとき、既にグループのようなものが出来ており、オレが座る場所は既に数少なかった。別に自由時間でもないただの授業でそんなに仲の良い人と一緒に居たいのかと正直思ったが、それをわざわざ口にするようなことは当然しなかった。
 少し落ち着いて背もたれに身体を預けると、ふとさっきすれ違った人物のうちの一人のことが頭をよぎった。彼だけは確か階段で上の階に向かっていたが、この学校は三階にまでしか教室がない。つまり、四階はいわゆる屋上なのだ。
 それともう一つ、オレには気がかりなことがあった。それは例えば、屋上は普段開放されていただろうかとか、あれは幽霊なのではないかなどということではない。

(あれって確か――)

 オレの記憶が正しければの話だが、記憶の引き出しにそれは残されていた。
 授業開始の合図は辛うじてまだ鳴っていないし、先生もまだ教室にはいない。コンビニの袋に貴重品とそれらが入っているのを簡単に確認し、オレは席を立った。
 近くにいた誰かがオレに声をかけたような気もしたが、今のオレにはその声が一体誰の声だったのかも分からないくらいにどうでもいいものだった。


   ◇


 もしオレが、昔のことをまるで思い出せないような全く記憶力のないの人間だったら、この時こんな行動を取ることはしなかった。知らない人物をわざわざ授業を放棄してまで追うほど、オレは暇人ではないしお人よしでもない。だったら何故教室を抜け出したのか? その答えは、余りにも単純であるために説明のしようがないものである。
 だがあえて言ってみせるのであれば、全生徒が集まる集会か何かで、オレはこの人物を見かけていた。学年が近いからなのだろうが、その時名前も知らない誰かが、その人物の悪い噂のようなものを話していたのをぼうっとしながら聞いていて、それが彼であるということを知ったのは、それからすぐ後のことだ。同じような底意地の悪い話を口にしていた数人の女子が、彼のことをチラチラと見ながら話をしていたのである。あれは恐らく、彼にも聞こえていたのではないだろうか。
 あの時、全く気にしていないような素振りを見せていた彼をこんなところに寄越したのは、一体どの連中なのだろう。いや、もしかすると連中なんて可愛いものではないのかもしれないし、それにオレも含まれているのかもしれない。それはとても心外だが……。
 この場合、恐ろしいくらいに偽善という言葉がよく似合いそうで、それがなんだが嫌だった。
 ――本当に、こういう状況じゃなければ良かったのにと、そう思う。

「……何してるの?」

 だからこそ、間に合って良かったと言うべきか、それとも関わるべきではなかったと思うべきなのか、この時はまだ分からなかった。

「そんなところにいたら危ないよ?」

 幾らなんでも、人が死ぬかもしれないという場面に出くわすなんてこの世の中はどうかしている。……いや、その気配があったからオレはついてきてしまったのかも知れない。いや、そんな超能力のようなことが出来たのなら、祥吾のことなんてとっくにオレがどうにかしていただろうから、それはあり得ない話だ。

「誰かの前でとか冗談じゃないので今日は止めます」

 目の前にいる男子生徒は、そんなことを簡単に口にした。余りにも、それが日常であるかのような口ぶりだったのだ。
 この時、その行為を本気でするつもりだったのかをちゃんと聞けばよかっただろうか?
 そんなことをしたら、余計にややこしい事態に発展してしまっていただろうか?

「オレは橋下 香。えーっと、キョウとでも呼んでよ」

 なんとなく、変な感覚になりながら。

「……で、オレはきみの名前教えて欲しいんだけど?」

 さっきまで目に映っていた物事を何も気にしていないような素振りを見せて、なにかを取り繕うかのように、オレはそんなことを言う。出来れば答えたくない、というような顔をしたまま、その彼との沈黙が続く。
 せめて本当に、ただサボった者同士の出会いだったらどれだけ良かっただろう。恐らくは誰もがこういう出会い方はしたくはないだろうが、オレは尚更、その気が強かったように思う。
 だからこそ、オレはこの事実を誰かに言うつもりはない。もしも言えるようなチャンスがあったとしても、その時が既に手遅れであるのなら、言いたい気持ちを必死に抑えてその生涯を終えてやりたい。それは流石に意地が悪いだろうか?

「……相谷 光希、です」

 何故なら、オレは最初から、この人物のことを知っていたのだ。

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