23話:ヒミツの容認


2024-08-15 12:12:30
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 高校入学というのは、思いのほかあっけなかった。同じ学校から来たらしい人や、見たことのある気がする人は見かけたものの、だからといって話すということにはならなかったし、それこそクラスには特別知り合いという知り合いはいなかった。というよりも、それどころではなかったというのが本当のところなのかもしれない。

『あいつ、二ヶ月前に起きた事件の容疑者だったらしいよ』

 僕が入学して早々の話だ。そんな声が聞こえてきたのは、存外すぐのことだった。僕は見ていないから知らないのだが、大方ニュースにでもなっており名前を知っていた人が中にいたのだろう。それか、最初から僕のことを知っている中学の同級生が触れ回っているかのどちらかだろうが、そんなことを今更言及するのは非常に馬鹿らしいというものだ。

『両親は刺殺されたんだって』
『犯人まだ見つかってないんだとか』
『おい、誰か話しかけてこいよ』

 わざと聞こえるように言っているのか、それとも本当に聞こえていないと思っているのか、しかしそれらの言葉は、驚くほど鮮明に耳に入った。案外と僕のほうが心の声が聞こえてしまう力に目覚めてしまったのかも知れないが、別にそんなことは無いのだろう。特別言及しない僕も僕なのだろうが、そこまでして止めさせたいとも思っていない。逆効果になる可能性だってあるし、ただの噂に振り回されるような人に声なんてかけたくないというものだ。
 暇な学校生活の中でのそれは、どうやら色恋沙汰よりも深く人の興味を引くものだったらしく、クラスではすぐに噂が広まった。クラス以外の見知らぬ人が僕を視界に入れている時間が長く見えてしまうのは、少なくとも一年生の間では共通認識として既に定着しつつあるというのがあったのかもしれない。
 だが、それに関しては特別どうとも思わなかった。僕だって第三者として考えた時、その場に居たら少なからずその人物のことを見るくらいはするのではないかという思いを、声を大にして否定することが出来ないからだ。

 ――あいつが犯人の可能性もあるんじゃないか?

 しかし、やはり犯人扱いをされるというのはいい気はしない。最も、本当に僕が犯人だったのならもっと違う感情が湧いていたのかも知れないが。
 噂というのは面白いもので、簡単に話が曲解し簡単にそれが蔓延し、人々は簡単にそれを信じていく。根拠のない週刊誌のゴシップ記事に群がっている暇人ばかりのようで酷く滑稽だったが、それが集団化すると余計に厄介に感じた。勿論全員がこぞってそんな話ばかりをしているというわけではないけれど、授業が始まるまでそれらが止まることはなかった。
 聞いていないフリをするのは簡単だったけれど、止まることのないそれには流石にうんざりしていた。いつかは止むと分かってはいるものの、そのいつかを待てるほど僕もお人よしではない。
 用意周到とでもいったところか、上着のポケットに手を入れるととあるものの感触が走った。自分の気を紛らわすには、一旦何もかもを遮断するしかない。深い青色をした音楽プレイヤーと、それに巻き付けられたイヤホンはすっかり見慣れてしまった。
 ……これを買ってくれたのは、今は何処にもいない家族ではなかった。伯父さんとおばさんが、僕に内緒で入学祝いとして買ってくれていたのである。それが、僕にとって唯一知っている良心のような気がして、思わず手に力が入る。
 巻き付けられたそれを一度外し、右側面にある電源をスライドさせる。すると、朝来るときに聞いていた曲が表示された。中途半間なところで止まっているシークバーを見て、僕はすぐに曲を巻き戻す。違う曲を聴くという選択肢も当然あったのだが、どちらかというと今はこれを聴きたい気分だった。
 しかし、こういう環境において壮絶ないじめ人生が始まらなかったなと寧ろ感心してしまう。こればっかりはただの運でしかないのだろうが、状況から見るに幸いだと言っていいのだろう。最も、決して褒められたことではないが。
 それにしても、この休み時間という十分の限られた短い時間は、僕にとってはとてもつまらないものに感じた。そう思うのが早いか否か、すぐさまイヤホンで外の害音を遮断した。それだけで、ほんの僅かにだが救われた気持ちになったのである。


   ◇


 到底口には出来ないが、どうしてあの時死ななかったのかと、そう思った。
 果たして運がいいのか悪いのか、僕が死ぬという事態は起こることはなく、殺されかけてただただ苦しい思いをしただけだった。病院に運ばれてからは早いもので、治療が施されている間は僕がどう思っているのかなんて関係なく時が経過していく。全く無駄な時間だと息を吐くほかなかった。
 そう思っていたにも関わらず、こうして今ごく当たり前に高校生活を送ろうとしている。それが滑稽に思えて仕方がなかった。もうあんな思いは御免だと思う反面、やはり心の折り合いを簡単につけるのは難しい。そのうえ学校でもこうなのだから、気持ちのやり場が何処にもなかったのである。
 伯父さんとおばさんが「胸を張って行っておいで」と行ってくれたのに、これから先そう簡単に死んではいけない。実の息子でもないのにあそこまでされてしまったら、もう少し息をする努力をしないといけない。そう思った。

『――何してるの?』

 それでも僕は……。

『ねえ、そんなところに居たら危ないよ?』

 僕はどうしても、誰かに助けを乞うこともなく消えてしまいたくて仕方がなかったのだ。

『雲ひとつ無い空だったから、もう少し近くで見てみようかなって。……そう思っただけですよ』

 ……あの時、僕は別に本当に死んでやろうだなんて思っていなかったのだと思う。
 確かに僕は、あの時授業をサボってまで屋上に行き、一体どうやってやったのか柵を乗り越え、ご丁寧に上履きまで脱いだ。そして、柵から手を離して一歩踏み出せば、いわゆる飛び降り自殺というものが出来上がる状況を作ったのである。それでも死ぬ気がなかっただなんて、詭弁だろうと言われるかもしれない、しかし、やっぱり違うと思うのだ。
 そうでなければ、今もこうしてのうのうと生きているわけがないのだから。

「お、相谷くんみっけ」

 無理矢理引きずり戻された現実の先には、もうすっかり聞き覚えがあると思ってしまうとある人物の姿があった。辺りは、いつにも増して騒がしい。

「いやぁ、見つけられないままお昼休み終わっちゃうかと思ったよ」
「な、なんで見つけてくるんですか……」
「なんでって言われても」

 図々しくも向かいの席に座った橋下さんは、教室のものとは違う長机の上に適当にコンビニの袋を放った。
 隣の通路を通りすぎる学生を視界に入れながらも、橋下さんの口は止まることがなかった。

「オレ、学食って食べたことないんだよねぇ。いや、一回くらいはあったかな……」

 今僕と橋下さんがいるこの場所は、教室ではなく学校内の学食だ。お昼休みというだけあって当然だが人が多く、人の声がかなりあちこちから聞こえてくるのが分かる。
 人が多いというだけでも疲れるからこういうところには極力行かないようにしたいものだが、今回ばかりは事情が違った。

「折角来たのに二人して学食じゃないってのも、中々に面白いね」
「僕は全然面白くないです……」

 折角こうして逃げてきたというのに思っていたよりも人が多いし、しかも見つかりたくなかった人に見つかってしまったのだから、これでは全くと言っていいほど意味がない。
 既に開かれた僕のお弁当箱とは裏腹に、橋下さんはコンビニの袋の中を漁っていく。ガサガサという音は、周りから聞こえてくる声と合わさってより一層大きく耳に入ってくるような気がした。

「玉子焼き、美味しくできた?」

 僕の持った箸が玉子焼きへと向かうと、何故かそんな質問を投げかけてきた。……もしかしたら、この前みたいに人の玉子焼きを奪っては文句を言ってくるのかも知れない。そう思うと、僕は自然とお弁当を少し自分の身に寄せてしまっていた。

「……また狙うんですか?」
「イヤだなぁ、そんなことしないって」

 そう口にしながらも、目ではお弁当の中身を物色しているように見える。それが僕の気のせいだったら良かったのだが、どうやらそうせいではなかったらしい。

「どっちかって言うとウインナーの方が欲しいっていうか」

 まじまじとウインナーを見つめる姿を見るに、その言葉は嘘ではないようだ。教室の机を二人で使うより距離はあるものの、身を乗り出せば比較的簡単に届くだろう。
 ……変な争いは、極力したくないというものだ。

「どうぞ……」
「すっごい嫌そう」

 恐らくはかなり顔に出ていたのだろうが、だからといって別に撤回はしない。お弁当を僅かに橋下さんの元に寄せると、オレ遠慮しないよ? と言いながら手を伸ばした。
 この人が遠慮をしたところを見たことがないのだが、もう余り気にしないことにしようと思う。どちらかと言うと、諦めに近かったのだろう。

「ウインナーだけでご飯進むよねぇ」

 そう言いながら右手に持たれたメロンパンの封を開ける様に、僕は僅かに息を漏らしながらも玉子焼きを口に入れた。

「メロンパンいる?」
「け、結構です……」

 今日の玉子焼きはおばさんが作ってくれた美味しくないだなんていうことはあり得ないのに。そう言いそうになったのを、僕は必死に堪えながらひたすらに咀嚼した。


   ◇


 学校の授業が終わると同時に鳴るチャイムは、いつしかとっくに聞きなれてしまっていた。それと同時に騒がしくなる室内の中、僕はと言えば一人帰る準備を進めている。
 放課後なんて、部活にさえ入っていなければ特に残っている意味も無いわけだから、さっさと帰ってしまったほうが遥かにマシで賢い選択だろう。強制的に部活をやらされるシステムじゃなくて良かったと、その点に関しては安堵を示さずにはいられない。
 いわゆる帰宅部という存在しない部活に所属しているわけだが、少なくとも、僕は今もこれから先もどこかに籍を置くということは考えていない。運動部なんてのはもってのほかで、文化部も別にそこまでして入る気には到底なれないし、幽霊部員というのも気が引ける。そこまで考えないといけないのなら、いっそ入らないほうが清々しいというものだ。
 こうして極力人間関係を築かないように努力しているはずなのだけれど、想定外の事態というのは常につきものだというのを、ここ最近は痛感している。

「相谷くん!」

 放課後すぐに僕を訪ねてくる人物が存在するという状況を作ってしまったのは、完全に僕の落ち度だろう。部活をしていないにも関わらず訪ねてくる人物がおり、それがしかも同級生ではなく先輩ということに、当然周囲は不思議がっているに違いない。「あの相谷に」と、恐らく誰もが思っているはずだ。

「な、なんですか……?」

 放課後に橋下さんが訪ねてくるということはどういうことかなんて大方検討はついているが、来る度に毎回こうして訪ねてしまう。と言っても、毎日放課後に現れるというわけではないから、まだ慣れるに至っていないというだけなのかも知れないが。

「図書室、一緒に行こうよ」
「嫌です……」
「もうちょっと考える姿勢が欲しいよオレは」

 もしかすると、これから先そう遠くない未来に慣れてしまう日が来るのだろうか? ……正直なところ、想像は難しい。

「早く行こっ。先輩たちが居るかは知らないけど」
「ちょ、ちょっと……!」

 勝手に教室に入ってきては、僕の荷物を勝手に取って行ってしまう。残されてしまった筆箱を手に、僕は急いで後を追った。こうなるともう、諦める他なくなってしまう。
 しかし諦めるということは、多少なりとも受け入れてしまいつつあるのだろうということに、僕は意図的に気付かないふりをしているのだ。

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