07:平穏の始終


2025-09-25 14:30:15
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 ――週末の夜。駅の辺りにある人工的な明かりも落ち着き始め、飲み会などで集まっていたであろう人たちも解散し始めるくらいの時間である。
 住宅街は静まり返っているだろうが、駅周辺は店の閉店時間に合わせるかのようにいつもより人が多かったように思う。数人が集まって寒い寒いと言っているのが、よく耳に入った。その中に紛れるように、駅の外にあるベンチで俺は人を待っていた。ちなみに言うと、待ってるのは原ではない。一応、原にはさっき家に居るかどうか確認を取ったところだ。真偽はともかくとして、家にいるという連絡が来たから鉢合わせはしないという想定だ。
 そんなことはさておき俺は人を待っているわけだが、別にその人物と待ち合わせをしているわけではない。嫌な言い方をすれば、待ち伏せをしているのだ。しかし、俺の待っている人物が果たして本当にこの時間に駅に来るのかも、正直なところ定かではない。一応情報筋はあるのだが……カラスに聞いたらそう言っていたと誰かに言っても、きっと誰も信じないだろう。原を除けば、の話だけれど。
 何をするでもなく酔っぱらったサラリーマンが電車から出てくるのを見ていると、隣に一羽のカラスが降りてきた。羽音が耳をつんざく感覚は、夜に聞くと流石に少しビビる。

「あれ、こんな時間にどうしたの?」

 俺はカラスにそう言った。傍からしてみれば動物に話しかける変な奴と思われるだろう。それは別に構わない。隣に座っている一羽のカラスは、小さく声を上げた。

「俺のこと見つけてわざわざ来てくれるなんて、モテそうなことするね」

 カラスにモテ術を教わったところで、少しだけカラスの話を聞くことになった。カラスの話すことと言えば、今日食べたご飯の話や街中で出会う変なおっさんの話など、多岐に渡るので案外面白い。例えばスズメやハトとなると、話こそ出来るもののここまでの雑談になることはそう多くない。頭がいいと言われるカラスだから出来る話ということなのだろう。暇を潰すにはちょうどよかった。
 ちなみに一応言っておくと、俺は決してカラスに餌をあげて飼い慣らしているわけではない。周りからすればそう見えるかもしれないが、そうでないのだから違うとしか言いようがない。勿論、カラスに触れることだって基本的にはしない。カラスには悪いが、いくら意思疎通が出来るからといってその辺のごみを漁っている野生動物には流石に余り触れたくないというものだ。
 カラスの話を適当に流していると、お前こそこんな時間に何やってんだと至極真っ当な質問をされてしまった。

「……ああ、俺? 例の原のストーカーに会おうかなって思って待ってるんだけど、やっぱり止めようかなって思ってるところ。逆上されるだけならまだいいけど、それもそれで原に迷惑かかっちゃうしさあ」

 今日俺がここに来たのは、原のストーカーに会うためだった。一言くらい何か言ってやろうと思ったのだけど……何だかんだで、ただ暇を潰して帰るだけになりそうだ。
 俺が言うと、カラスは少し声を荒げて一つの提案をした。どうやらカラスにも何か思うことがあるらしい。

「え? いや、そういうのはいいよ。下手したらカラスくんがヤられちゃうし。とはいえ、原は警察行くつもりなさそうだし……かといって俺が警察に言ってもしょうがないしな。そもそも証拠がなぁ……」

 俺が原にストーカーについて言及した日よりも前に、実は既につきまとっている奴が居るのには気付いていた。だけどどうも原は時に気にしていないというか、最悪気付いていないのではないかという気がして、原に言う前に相手のことを色々と探っていたのだ。俺だって別に、不用意に相手を疑っているわけではない。
 調べたと言っても別に探偵を雇ったとかいうわけではなく、俺の情報網は全てその辺にいる動物から聞いた話で、証拠と呼ぶには余りにも希薄なものであるには違いないのだが。

 まず俺が目を付けたのは、原の家の近所のゴミ置き場を狙っているカラスだ。最初は滅茶苦茶鳴かれて周りの目に若干困ったが、通りすがりの猫に助けられて何だかんだ和解して情報を集めることができた。情報と言っても断片的なものばかりで、人に言えたものではないのだけど。
 原の特徴をカラスたちに伝え、「この人につきまとってる人を知ってたら教えて欲しい」と言ったら、どうも最近原の家の近くをウロウロしていたり、果てには近くの文房具屋によく足を運んでいるやつがいるというのを教えてくれた。この話をしたとき、どうにもカラスたちが苛立っていたのを覚えている。
 よくよく調べてみると、どうやら三か月ほど前からその文房具屋の店員になっていたらしかった。もし、原の家の近くのわざわざその文房具屋を選んだのだとするのなら、言っちゃあ悪いが非常に気持ち悪い。
 三か月前と言うと、原が労働環境の終わっているバイトを辞めたとか言っていた頃だ。もしかするとその時には既にストーカーは原のことを知っていて、原が店を辞めたことがきっかけで原を探しているうちにストーカーになったのかもしれない。あくまでも憶測にすぎないが。
 そういえば、原が始めた新しいバイトは家の近くではなく大学の近くで、しかも大学からも少し歩く場所だった記憶がある。原は「条件に合うのがそこしかなかった」とか言っていたが、もしかして既に家の近くにストーカーが居るのを知っていたなんてことは……。いや、どうだろう分からない。何かを考えていそうで考えていなさそうなあの感じからは、真意を特定することは到底無理だ。

「どうにかバレないで処理したいよなあ……。いや別に、完全犯罪しようってわけじゃないんだけど」

 俺は、警察にバレることなく、原にもバレることなくこの状況をどうにか平穏に戻したい。戻したいというか、見ていて俺が不快なのでさっさと消えてほしい。そう思うくらいには、わりと機嫌が悪かった。原のためというよりは、自分のためだ。だからといってそのストーカーを殺すとか、痛い目を見てほしいとまでは思っていないが……。
 いや、心のどこかでそう思っているから、今日こんな行動をしてしまったのかもしれない。それならそれで、否定するつもりもないけれど。
 本当は警察に話をするのが一番楽なのだろうが、原が被害を受けているという自覚が無いと駄目だし、今の状況では本当にストーカーがいるという証拠がない。それじゃあ、警察に相談に行ったって意味が無いだろう。何より、今原に警察に相談しに行くように言ったところでどうせ原は聞かないだろうことは何となく分かる。
 俺が勝手にちゃんとした証拠だけでも集めておいてもいいのだが、何よりも原がその気にならなければ無意味だ。どうにか原にことの重大さを知ってもらう必要があるわけだが……。

「というより、なんで原はあんなに平然としてんの? なんかそれにも腹立ってきたわ」

 原にストーカーがいると話をしたとき、余りにも反応が薄かったのを思い出す。何をどうしたらあんな反応になるのだろう。ストーカーを知ってて放置しているのだろうか? それとも、本当に俺の勘違いで、カラス達が言っていることも嘘なのか……? どうやっても一人では答えが出ることはなさそうで、自分でも無駄な時間を過ごしているなという自覚はあった。

「ねえ、カラスくんはやっぱり――」

 余りにも面倒臭くなり、やっぱり原にストーカーなんて居ないのだろうかと意味のないことをカラスに聞こうと思ったのだが、いつの間にかカラスは隣に居なくなっていた。まあ別に俺が飼っているわけではないし、忽然と姿を消しても別に構わないのだが……思わずどこに行ったのかと辺りを見回した。すると、駅のホームにカラスが降り立ったのが見えた。こんな時間にカラスが外に居るのも珍しいし、同じカラスだろうということはすぐに分かった。
 ふと、ホームを歩く一人の女性が目に入る。

(あ、いつの間に……)

 自分の思考を纏めるのに集中しすぎて、駅に来たところを目撃することが出来なかったのだろう。その女性というのは、俺が待ち構えていた原のストーカーだった。遠目でも分かるくらいには、俺はその女の特徴をしっかりと認識していた。誰かが通れば分かる範囲内を通っていたはずなのに見逃すなんて、俺は多分探偵に向いていないのだろうということがよく分かる。
 ストーカーの歩く先には、まるでタイミングを計ったようにカラスが歩いている。なんでこんな時間にカラスが……ということを除けば、稀にある光景かもしれない。多少はビビるかもしれないが、普段ならきっとなんとも思わなかっただろう。だけど、今回ばかりは違った。
 俺の隣にいたカラスは、巣に帰るわけでもなく何故わざわざ駅のホームに行ったのだろうか? 少し気にしながら、それでも俺はまだ非常に楽観的だった。一般的に、わざわざカラスに向かって突っ込んで歩く人は居ないだろうし、カラスだって何もしなければ攻撃なんてしてこないだろう。その様子を呑気に眺めていた……のだが。
 刹那、カラスが歩いて来るストーカーの女に向かって、突如攻撃を始めた。顔付近をめがけて飛び、頭を突こうとしているのかカラスの鳴き声が薄っすらこちらまで聞こえてくるのが分かる。女がカラスの攻撃を避けようとした――その時だ。

「うわぁ……」

 女は、俺の視界から一瞬で消えた。どうやら足を踏み外してホームから落ちたらしく、周りに居た数人が一斉に顔を向ける。ほんの数秒のことだった。ホームに居た数人は、人が落ちた付近をぼうっと見つめている人と慌てている人とで真っ二つに分かれている。駅員を呼びに行ったのか、走ってホームを後にする人もいた。騒ぎが次第に大きくなってくるのが、外からでも非常によく分かる。それを俺は、何をするでもなくただただ眺めていた。
 それから少しして、カラスがわざわざ俺のところに戻ってきた。短く鳴き、俺に何かを期待している様子が伺える。……なんというか、これじゃあまるで俺が手懐けたカラスをけしかけて襲わせたようだ。もし俺のところにカラスが戻ってきたところを誰かが見ていたら、そう思われるに違いない。とはいえ、別に俺がカラスに何かを頼んだわけではないし、仮に頼んだとしてもそれを証明する術は現代にはないだろうけれど。

「駄目だって言ったのに……なんだよ、そんな誇らしい顔しても可愛くないから。どうすんのあれ、大事故じゃん」

 褒めろと言わんばかりに羽を膨らませ、褒められるか或いは撫でられるなどを期待していただろうが、俺にその気がないというのが分かると鳥足で俺の太ももを蹴り飛ばす。

「いって」

 カラスは文句を言うだけ言って、どこかに飛び立っていった。もしかすると、次に駅のホームから落ちるのは俺かもしれない。今のうちに遺言でもしたためておくべきだろうか。
 今回の場合、カラスが人を襲って事故が起こったということになるのだろう。しかし残念ながら、現在の法律ではカラスを裁くことは出来ない。今後、カラスを捕まえて殺処分するという動きがもしかするとあるかもしれないが、それだって誰かが個人で勝手にしていいものではない。
 落ちた女の安否がどうだかはここからでは分からないが、図らずとも完全犯罪のようなことになってしまったのは、余りにも想定外で流石に落ち着かなかった。カラスが勝手にやったこととはいえ、ここまでの大事になると俺が悪いのだろうかという気にもなる。しかしそれでも、他人事のように騒動を眺めていた。

(少なくとも、暫くは平和になるか……)

 あのカラスは、ごみ置き場に居ると「原がよく話しかけてくる」とか言っていた。だからカラスの中では原は恐らくいい人という扱いで、そのいい人に迷惑をかける奴は総じて悪ということだったのだろうか? それとも、ストーカーが俺の知らないところでカラスに何か悪態をついていたのかもしれない。どちらにしても、わざわざあの場所で襲うというのは、何というかとても醜悪だとは思うが。
 居合わせた人には同情せざるを得ないが、ストーカーの生死については正直なところ余り興味がなかった。仮に亡くなったというニュースが流れてきても、多分余り心は動かないだろう。落ち着かないのは確かだが、正直なところ今もそんなに心は痛んでいない。せめて帰りが遅くなる彼女を待っているとかだったらよかったものを、良いんだか悪いんだか本当に時間の無駄となってしまった。急に寒さが頬に触れ、俺は一体何をやっているのだろうという気持ちが急に湧き、非常に心地が悪くなる。

「……アイスでも買って帰ろ」

 こんな時間、しかもアイスを食べる季節でもないが、コンビニで高いチョコアイスでも買って食べてやるかと思うことで自分の中の何かの均衡を保つことしか、今の俺には出来ることがない。