二日後の午前。十一時半頃だろうか? 僕は大学の近くを中野くんと歩いていた。特にどうといわけでもなくいつものように実のない会話を交わしながら、頭の隅で駅にいた幽霊についての話をするかどうかかなり迷っていた。別に中野くんに直接関係ある話ではないものの、一番気にしていたのは恐らく中野くんだったし、話しておいた方がいいのかもしれないが……。
「そういえば、この前の人居なくなったよね」
「ああ……そういえば、そうだね」
そんなことを思っていると、中野くんに先手を打たれてしまう。いざその話になると、非常に困った。最寄りの駅に幽霊が居たこと。その幽霊が生前に僕のことをストーキングしていた人物であること。そして、その幽霊は昨日勝手に消えたこと。
……それらを中野くんにしても、恐らく変な空気になるだけだろうということは容易に想像がつく。中野くんは僕が幽霊が視えることを知ってはいるし、何となく理解はしてくれるだろう。しかしそれでも、言うのは躊躇した。
(……やっぱり、言いたくないなあ)
それに、中野くんがあの彼女が事故死したということを知らないのであれば、そういう話は余計にしたくないなと思った。
「ま、気にするものが減ったなら良かったよね~」
そう言って、中野くんはすぐに話を切り上げた。僕よりもあんなに嫌そうにしていたのに、例えば「本当にいなくなったのか?」という疑問すらも掲げないのかというのが少し気がかりだった。……いや多分、中野くんはあの彼女が事故にあったことを知っているのかもしれない。それなら余り多くのことを言わないのも納得だ。蒸し返すのは僕にとっても都合が悪いし、そういうことにしておこうと思う。
信号待ちで少し人が増えてきたのを感じ、オカルトじみた話をする空気ではなくなってしまったこともあり、この話はすぐに終わった。
「そういえば、あそこに新しく来た定食屋行った?」唐突に、外に人が並び始めているとある定食屋を見て中野くんがそんなことを言った。
「いや、行ってないよ。いつ見ても並んでるし……」
「あー、やっぱり? 入れても人が多いと落ち着かないよなあ」
元々僕は外食はそんなにしないのだけど、中野くんはいつもご飯処を探していた。しかも探しているのは、新しいお店や有名なところなどではなく、かといって穴場を探しているわけでもないらしい。ご飯を食べたらすぐに会計をしなければならないような雰囲気もなく、人は居てもいいが騒がしくなく、同じ大学の生徒が出入りしない……。確か、中野くんが探しているお店はこんな感じの条件だった。話を聞く限り、そういうのを穴場と呼ぶんじゃないのだろうかと、いつも思う。
「まだ見つかってないんだよねえ。普通にご飯が食べられる場所」
「中野くんの言う普通にご飯が食べられる場所って、ハードル高いよね」
「まあ……うん。だから永遠に探してるんだけど」
大学の近くの飲食店で、これら全てをクリアしている場所は流石に厳しいのではないかとも思うのだけど、気持ちは分かるので何も言わないことにしている。ちなみに、見つかったら僕もそれにあやかろうと思っているというのは、中野くんには言っていない。まあきっと、バレているだろうけれど。
ここから暫く、僕は中野くんの世間話に付き合っていた。
「そういえば、近所でよく会う猫がさ、会うたびに穴場のご飯屋があるって自慢するからこの前ついて行ったんだけど」
「うん」
「そこ、ご飯屋じゃなくて和菓子屋さんでさ。店員さんに聞くとそもそも野良猫じゃなくてそこの家猫だったんだよね。多分、猫にとってはそこがご飯をくれる場所だってことだと思うんだけど、結局おはぎ買うことになっちゃって。あれって多分、猫のキャッチだったのかなって思ってるんだけど」
「う、うん……」
「いわゆる街の和菓子屋って感じだったけど、次はみたらし団子でも買おうかな」
中野くんが、猫のキャッチにまんまとやられてしまったというよく分からない話をしているのを適当に聞いていると、信号に捕まった。詳しい話は聞いていないが、中野くんはどうやら昔から動物と会話が出来るらしい。僕は動物と喋れるわけではないから本当かどうかは分からないが、動物と喋れるだなんて嘘をついたところで、中野くんには何の得もないだろう。僕が幽霊が視えると言っても、それが本当かどうかは分からないのと同じだ。
僕が幽霊が視えるというのも、中野くんが動物と喋れるというのも、誰に証明できるものでもない。だから二人して、それに関して深く聞き返すということは基本的にしない。普通なら詳しく教えてと言うだろうことを、お互い気にはなりつつもやんわりと流すのだ。
向かいの信号を見ると、見たことのあるとある人物とばっちり目が合ってしまったような気がした。
「お、原くーん」
……気がしただけなら別にどうということもなかったのだが、その人は明らかに僕に向かって大きく手を振り主張をした。秋山さんだった。この人は夜限定の人ではなかったのか、というのが率直な感想だった。
「知り合い?」中野くんは少し訝しげに言った。
「うーん、どうだろう」
知り合いかどうかと聞かれて、僕は困った。僕は秋山さんについて、名字以上の情報は何も知らない。あえて付け加えるとするのなら、僕と同様に幽霊が視えるらしいということくらいのものだ。まあ、そういうのを知り合いというのかもしれないが。
秋山さんは信号を渡ることはせず、どうやら僕達が信号を渡ってくるのを待っているようだった。僕に何か用でもあるのだろうか……? もしそうだとするなら、中野くんが居るこの状況だとちょっとややこしくて面倒だ。秋山さんが余計なことを言わないことを祈るのみだが……。
「あ、もしかしてきみが中野くん?」信号を渡り終わってすぐ、秋山さんがそう言うと中野くんは更に嫌そうな顔をした。
「だったらなんですか?」
「いや、別にどうもしないけど。中野くんじゃなかったらどうしようかなって焦ってるところ」
僕が見る限りでは焦っているようには全く見えないし、やや険悪な空気が漂っているのも秋山さんは恐らく気にしていない。そう思うくらいには涼しい顔をしていた。というより、僕は秋山さんの前で中野くんのことを口にしたことがあっただろうか? 余り記憶はないのだけれど。
「原、また不審者に絡まれてるの?」
「えぇ? オレ不審者に見える? ビジュアルはわりと普通だと思うんだけど」
不服そうに言う秋山さんだが、何度か会っている僕ですら不審者ではないとは正直なところ言いきれないところがあるせいで、肯定も否定も出来なかった。
秋山さんが気にしている見た目はともかくとして、まあ確かに、中野くんからしてみれば会ったことのない人に名前を呼ばれたとなれば不審者だと思われても仕方がないかもしれない。最近、怪しい人を警戒していたというのもあるだろう。あとは、気さくというよりはこうやって話しかけてくる感じが軽々しいところも要因の一つだろうか? これ以上は悪口になりそうな気がするので、もう止めにしようと思う。
「そういえばオレ、ともしびって名前の喫茶店に良くいるからって言うのを原くんに言い忘れててさ。気が向いたら来てよ。別にオレの店じゃないけど」
そう言って、秋山さんはさっさと何処かに行ってしまった。結局信号は渡らず、人の群れに紛れていく様子を僕はただ眺めていた。そういえば、いつだったかに珈琲の匂いが秋山さんからしたのを思い出す。自分の店ではないということは客として通っているということなのだろうが、服に匂いが付くくらい入り浸っているのだろうか?
いや、というより、そのともしびと言う喫茶店がどこにあるのかを僕は全く知らない。名前は言ったのだから、あとはネットでも使って自力で探せということなのだろうか? だったら尚更、わざわざ教えてくれなくても良かったのに。
「……原は、その喫茶店の場所知ってるの?」人に紛れて秋山さんが見えなくなった頃、中野くんが言った。
「いや、知らない……」
あ、そう……と、中野くんのどこか呆れているような返事が、沈黙の始まりだった。この空気を作った張本人に一言くらい文句を言いたい気分だが、どこにあるかも分からない喫茶店を探してまで会いたいわけでもないし、仕方がないので止めることにする。やっぱり中野くんの言う通り、秋山さんは不審者なのかもしれないとこの時強く思った。
「そういえば、この前の人居なくなったよね」
「ああ……そういえば、そうだね」
そんなことを思っていると、中野くんに先手を打たれてしまう。いざその話になると、非常に困った。最寄りの駅に幽霊が居たこと。その幽霊が生前に僕のことをストーキングしていた人物であること。そして、その幽霊は昨日勝手に消えたこと。
……それらを中野くんにしても、恐らく変な空気になるだけだろうということは容易に想像がつく。中野くんは僕が幽霊が視えることを知ってはいるし、何となく理解はしてくれるだろう。しかしそれでも、言うのは躊躇した。
(……やっぱり、言いたくないなあ)
それに、中野くんがあの彼女が事故死したということを知らないのであれば、そういう話は余計にしたくないなと思った。
「ま、気にするものが減ったなら良かったよね~」
そう言って、中野くんはすぐに話を切り上げた。僕よりもあんなに嫌そうにしていたのに、例えば「本当にいなくなったのか?」という疑問すらも掲げないのかというのが少し気がかりだった。……いや多分、中野くんはあの彼女が事故にあったことを知っているのかもしれない。それなら余り多くのことを言わないのも納得だ。蒸し返すのは僕にとっても都合が悪いし、そういうことにしておこうと思う。
信号待ちで少し人が増えてきたのを感じ、オカルトじみた話をする空気ではなくなってしまったこともあり、この話はすぐに終わった。
「そういえば、あそこに新しく来た定食屋行った?」唐突に、外に人が並び始めているとある定食屋を見て中野くんがそんなことを言った。
「いや、行ってないよ。いつ見ても並んでるし……」
「あー、やっぱり? 入れても人が多いと落ち着かないよなあ」
元々僕は外食はそんなにしないのだけど、中野くんはいつもご飯処を探していた。しかも探しているのは、新しいお店や有名なところなどではなく、かといって穴場を探しているわけでもないらしい。ご飯を食べたらすぐに会計をしなければならないような雰囲気もなく、人は居てもいいが騒がしくなく、同じ大学の生徒が出入りしない……。確か、中野くんが探しているお店はこんな感じの条件だった。話を聞く限り、そういうのを穴場と呼ぶんじゃないのだろうかと、いつも思う。
「まだ見つかってないんだよねえ。普通にご飯が食べられる場所」
「中野くんの言う普通にご飯が食べられる場所って、ハードル高いよね」
「まあ……うん。だから永遠に探してるんだけど」
大学の近くの飲食店で、これら全てをクリアしている場所は流石に厳しいのではないかとも思うのだけど、気持ちは分かるので何も言わないことにしている。ちなみに、見つかったら僕もそれにあやかろうと思っているというのは、中野くんには言っていない。まあきっと、バレているだろうけれど。
ここから暫く、僕は中野くんの世間話に付き合っていた。
「そういえば、近所でよく会う猫がさ、会うたびに穴場のご飯屋があるって自慢するからこの前ついて行ったんだけど」
「うん」
「そこ、ご飯屋じゃなくて和菓子屋さんでさ。店員さんに聞くとそもそも野良猫じゃなくてそこの家猫だったんだよね。多分、猫にとってはそこがご飯をくれる場所だってことだと思うんだけど、結局おはぎ買うことになっちゃって。あれって多分、猫のキャッチだったのかなって思ってるんだけど」
「う、うん……」
「いわゆる街の和菓子屋って感じだったけど、次はみたらし団子でも買おうかな」
中野くんが、猫のキャッチにまんまとやられてしまったというよく分からない話をしているのを適当に聞いていると、信号に捕まった。詳しい話は聞いていないが、中野くんはどうやら昔から動物と会話が出来るらしい。僕は動物と喋れるわけではないから本当かどうかは分からないが、動物と喋れるだなんて嘘をついたところで、中野くんには何の得もないだろう。僕が幽霊が視えると言っても、それが本当かどうかは分からないのと同じだ。
僕が幽霊が視えるというのも、中野くんが動物と喋れるというのも、誰に証明できるものでもない。だから二人して、それに関して深く聞き返すということは基本的にしない。普通なら詳しく教えてと言うだろうことを、お互い気にはなりつつもやんわりと流すのだ。
向かいの信号を見ると、見たことのあるとある人物とばっちり目が合ってしまったような気がした。
「お、原くーん」
……気がしただけなら別にどうということもなかったのだが、その人は明らかに僕に向かって大きく手を振り主張をした。秋山さんだった。この人は夜限定の人ではなかったのか、というのが率直な感想だった。
「知り合い?」中野くんは少し訝しげに言った。
「うーん、どうだろう」
知り合いかどうかと聞かれて、僕は困った。僕は秋山さんについて、名字以上の情報は何も知らない。あえて付け加えるとするのなら、僕と同様に幽霊が視えるらしいということくらいのものだ。まあ、そういうのを知り合いというのかもしれないが。
秋山さんは信号を渡ることはせず、どうやら僕達が信号を渡ってくるのを待っているようだった。僕に何か用でもあるのだろうか……? もしそうだとするなら、中野くんが居るこの状況だとちょっとややこしくて面倒だ。秋山さんが余計なことを言わないことを祈るのみだが……。
「あ、もしかしてきみが中野くん?」信号を渡り終わってすぐ、秋山さんがそう言うと中野くんは更に嫌そうな顔をした。
「だったらなんですか?」
「いや、別にどうもしないけど。中野くんじゃなかったらどうしようかなって焦ってるところ」
僕が見る限りでは焦っているようには全く見えないし、やや険悪な空気が漂っているのも秋山さんは恐らく気にしていない。そう思うくらいには涼しい顔をしていた。というより、僕は秋山さんの前で中野くんのことを口にしたことがあっただろうか? 余り記憶はないのだけれど。
「原、また不審者に絡まれてるの?」
「えぇ? オレ不審者に見える? ビジュアルはわりと普通だと思うんだけど」
不服そうに言う秋山さんだが、何度か会っている僕ですら不審者ではないとは正直なところ言いきれないところがあるせいで、肯定も否定も出来なかった。
秋山さんが気にしている見た目はともかくとして、まあ確かに、中野くんからしてみれば会ったことのない人に名前を呼ばれたとなれば不審者だと思われても仕方がないかもしれない。最近、怪しい人を警戒していたというのもあるだろう。あとは、気さくというよりはこうやって話しかけてくる感じが軽々しいところも要因の一つだろうか? これ以上は悪口になりそうな気がするので、もう止めにしようと思う。
「そういえばオレ、ともしびって名前の喫茶店に良くいるからって言うのを原くんに言い忘れててさ。気が向いたら来てよ。別にオレの店じゃないけど」
そう言って、秋山さんはさっさと何処かに行ってしまった。結局信号は渡らず、人の群れに紛れていく様子を僕はただ眺めていた。そういえば、いつだったかに珈琲の匂いが秋山さんからしたのを思い出す。自分の店ではないということは客として通っているということなのだろうが、服に匂いが付くくらい入り浸っているのだろうか?
いや、というより、そのともしびと言う喫茶店がどこにあるのかを僕は全く知らない。名前は言ったのだから、あとはネットでも使って自力で探せということなのだろうか? だったら尚更、わざわざ教えてくれなくても良かったのに。
「……原は、その喫茶店の場所知ってるの?」人に紛れて秋山さんが見えなくなった頃、中野くんが言った。
「いや、知らない……」
あ、そう……と、中野くんのどこか呆れているような返事が、沈黙の始まりだった。この空気を作った張本人に一言くらい文句を言いたい気分だが、どこにあるかも分からない喫茶店を探してまで会いたいわけでもないし、仕方がないので止めることにする。やっぱり中野くんの言う通り、秋山さんは不審者なのかもしれないとこの時強く思った。