//01よりも時系列は前だが地続きであるかのように見せる
//この時の女が幽霊であると誤読させる
//中野も幽霊が視える時がある
//手紙はストーカーが原宛に出したもの(何も書いていない)
「原はこの後予定あるの?」
「今日はこのまま帰るよ。バイトもないし」
夕方になる前の、まだ色が混ざらない時刻。僕は同級生の中野くんと一緒にいた。大学での講義も今日は終わり、この後特に用がなければ暇を持て余す時間だろう。少なくとも僕は、それに当てはまる。
中野くんは小学生の時に知り合った友達で、小中と学校は同じだったが高校は別で、大学でまた一緒になった。同じ大学に通っているのを知ったのは、入学して一か月ほど経った頃だった。
彼は相変わらず人当たりがよく、誰とでも分け隔てなく話せるような雰囲気を漂わせている。小学生の時はもっと当たりが強かった気がするのだが、今はそうでもない。僕以外の人にどうかは知らないが。
「俺、気付いたら今週の予定バイトしか入ってなかったんだけど……。世の中ってそんなもん?」
「まあ……うん。そうかも」
歩きながら、中野くんの問いに適当に返す。ちなみに、中野くんが一体なんのバイトをしているのかはよく分からない。聞いても適当にはぐらかして教えてくれないから、もう聞く気はなかった。そんなに隠さないといけないような怪しいバイトでもしているのだろうかと気になるところではあるが、今のところ話してくれる気配は全くなく、それならそれで仕方がないと思うことにしている。
「この後もすぐ行くの?」
「いや、ちょっと微妙な時間かも。コンビニでも寄ろうかな」
どうやら、中野くんがバイト先に行くにはまだ少し時間が早いらしい。一度近くのコンビニに寄ることになり、僕たちは進路を変え歩みを進めた。特に何も変わりないよく通る道の横断歩道で止まり、ふと中野くんが後ろを見る。後ろに何かあるのかと思ったのもつかの間、車が止まりすぐに歩みを戻す。
「……後ろ、なにかいた?」
「うーん。いや、今は大丈夫」
今は、というのが少々引っかかるが、はぐらかしている時の中野くんは絶対に口を割らないことを僕は知っているため、それ以上のことは聞かなかった。……聞きたくなかった、というのが正しかったのかもしれないが。
◇
コンビニに居たのは、ものの数分だ。まあコンビニなんて余り長居をする場所ではないのだが、時間を潰すという目的としては少し薄かったに違いない。
「何買ったの?」
「飲み物だけ。原は?」
「コンビニは高いからなあ」
僕は今一人暮らしをしていることもあり、コンビニではあまり物は買わないことにしている。飲み物くらいなら買うこともあるけど、僕はもう帰るだけだし買う理由も特にない。お互いに、暇を持て余している事実は変わらなかった。この後の選択肢として、そのまま中野くんと別れるかどこかでまた時間を潰すかといったところだろうけど、夕方になる前の微妙な時間だし恐らくこのまま解散になるのだろう。そう思っていた時だ。
「……ひとついい?」
「うん、なに?」
中野くんは僕に何かを聞きたそうにしているが、肝心の質問が中々発せられなかった。その代わり、路地の角を何度かチラチラと気にしており、何かの確認を終えたのかうーんと唸りをみせる。
「あれって、原の知り合い?」
そう言うと、中野くんは身体はこちらに向けたまま視線だけを動かして方向を示した。おまけに、自分の身体で見えないよう控えめに後ろの方を指差している。仕方なく中野くんの指したほうを覗くと、建物の脇で僅かに顔を出してこちらを見ている、恐らく女性の姿があった。薄ぼんやりと見えるそれに少し集中してみるものの、中野くんの言う知り合いというわけではなかった。
「いや、知り合いではないけど……」
「大学出た後からだと思うけど、ずっと後ろつけてきてるんだよね」
少し不機嫌に、中野くんが言った。コンビニに行く前、中野くんが後ろを気にしていたのはこれが理由だったのだろうかという察しはすぐについた。仮に知り合いだったとして、まるで隠れ忍んでいるようにこちらを見ているのもおかしな話だし、僕に知り合いかどうか聞いてくるということは、どうやら中野くんの知り合いということでもないらしい。
「気にならない?」
気になるかどうかと言われれば全く気にならないというわけでもないが、偶然そこにいるだけかもしれないし、どうとも思わないというのが正直なところだった。まあ確かに、建物の影に隠れるようにしてるというのは変な話だとは思うけれど。
「でも、幽霊だったらよくあることだし……」
「いや全然ないけど!?」
僕が言うと中野くんは大層驚いた。まあ中野くんからしてみればそうかもしれないなと思いつつ、確かにここ暫く幽霊にあとをつけられるようなことは無かったから、そういう意味では不審に思う。
例えば、巷で噂の幽霊屋敷に面白半分で自ら足を踏み入れるようなことはまずしないし(幽霊が視える人はそういうところになんてわざわざ行かないし)、思い当たる節は本当になかった。無論、生きている誰かにあとをつけれられるようなこともしていない。……まあ、思い当たる節がないが故に後をつけられるということもあるだろうけれど。
「身の回りで、なんか変なことあったりしないの?」
「変? 変かあ……」
そう言われ、俺は一応考えた。しかし、やっぱり際立って大きな出来事も無かったこともあり答えに困る。
幽霊が後ろをついてくるというのは、僕からしてみればそういうこともあるよなと思う程度のものだ。その他些細なこともあるにはあるが……余りにも些細なことすぎて、わざわざ中野くんに言うようなことでもない。
「あ、居なくなった」
少し小難しいことを考えているうちに、どうやらとある女性は姿を消したらしい。だけど、中野くんは引き続き訝しげな顔をしたままだ。
「本当に知らないの?」
「うーん、知らない……とは思うけど」
「ふうん」
やっぱり納得がいっていないらしい中野くんだったが、僕が知らないと言う以上何かが進展するわけでもなく、難しい顔をしながらもこの話は比較的すぐに終わった。いつもならもう中野くんと別れている頃だろうに、結局中野くんとは最寄りの駅まで一緒に行くことになった。
コンビニから駅まで約五分、中野くんは僕の代わりに辺りを少し気にしていた。駅が見えてきた頃も、中野くんはまだ心配を重ねていた。僕はといえば、やけに用心深いなと非常にのんきに歩いている。こういうとき、家中の人間は割と冷静だったりするものだ。
「……家帰ったら、部屋荒らされたりとかされてない?」駅に着いて早々、中野くんがそんなことを言い出した。
「な、無いよ。多分」
中野くんの脅しは非常に単純だったが、恐らく今の僕にはちょうど良かった。まあ確かに、家に帰ったら椅子に置いてあったはずの荷物が床に落ちていたり、リモコンの位置が明らかに変わっていたり、さっきまでテーブルに置いてあった物が無くなるということはわりとよくあるけれど、それは今回のこととは別に関係のないことである。
逃げるようにして中野くんに別れを告げ、僕は改札に入る。中野くんは駅には入らず、結局歩いてきた道を引き返していった。
◇
中野くんと別れてから暫く、特に何かがあるわけでもなく暫く電車に揺れ、ようやく静かな街へと帰ってこれた。
僕が今住んでいる家は四階建てのマンションで、駅から二十分と少し歩く場所にある。決して便利とは言い難いけど、駅周辺の騒がしい雰囲気とは違って落ち着いた住宅街で、個人的にはそこが好みだ。とはいえ、今の僕はどこか落ち着きがなかった。中野くんが別れる前に余計なことを言うもんだから、余計なことを色々と考えてしまっていたのだ。さて、家に帰って何もなければいいが……。
カラスの声が、少し後ろの高い所から聞こえてくる。その声に、僕は思わず空を見上げた。どうやらこの辺りを根城にしているらしいカラスが一声上げたらしく、僕の近くに降りてこようとしているらしかった。
「あ、カラスくん。こんにちは」家の塀に降り立ったカラスと目が合い、思わずカラスにそう言った。
一言挨拶をしてみると、カラスは数回鳴いて何かを訴えているらしかった。どうやら僕に何かを言いたいらしいというのは分かったが、それ以上のことは何も得ることができない。こういう時、動物と喋れることが出来るか、或いは動物と喋れる人物が隣にいたらいいのだけれど。
「明日はゴミの日だけど、別に何もあげないよ?」
僕が言うと、カラスはまた数回鳴いてさっさと飛び立っていった。なにか文句を言われたような気がするが……きっと気のせいだろう。
この周辺、ゴミの日になると現れるカラスがいる。当然ゴミ置き場にはネットが置いてあり、カラスが簡単にゴミを漁れないようになっているのだが、隙あらばと狙っているのか、必ず一羽は待ち構えているのだ。毎回いるもんだから会うたびに声をかけていたら、向こうもどうやら僕を認識したようで、僕を見かけるとああして現れるようになっていた。……といっても、本当に同じカラスだという証拠はどこにもないのだけれど。
◇
ようやくマンションに着き、玄関へ入る。いつもなら何てことないはずなのに、今日はやはり、落ち着かない。一度気持ちをなかったことにしようと、郵便受けを確認した。すると何かが入っているのが見え、僕は手を入れて郵便受けからそれを出す。
(手紙か……)
中に入っていたのは、住所や名前も書かれていない封筒だった。黄みがかった色で控えめな装飾が施されているそれには切手が貼られておらず、明らかに誰かが故意に入れたものであるというのがすぐに分かった。一見地味にも見えるが雰囲気が上品で、封筒に余り詳しくない僕でも、それなりの値段で売られているものなのだろうというのが伺える。
封筒を見た時点で何が来たのかは分かっていたのだが、それでも一応封を開け、折りたたまれた一枚紙を手に取った。封筒と同じ柄が描かれた紙が、これがレターセットであるということを証明する。そして中身を見てすぐ、ため息が出た。本当はその辺に捨ててしまいたい気分だが、それで恨まれたらたまったもんじゃない。仕方なく一度、家に持ち帰るしかないだろう。
(……幽霊も手紙って送れるのかな)
何も書かれていない手紙が僕のところに届くのは、何もこれが最初ではない。
//この時の女が幽霊であると誤読させる
//中野も幽霊が視える時がある
//手紙はストーカーが原宛に出したもの(何も書いていない)
「原はこの後予定あるの?」
「今日はこのまま帰るよ。バイトもないし」
夕方になる前の、まだ色が混ざらない時刻。僕は同級生の中野くんと一緒にいた。大学での講義も今日は終わり、この後特に用がなければ暇を持て余す時間だろう。少なくとも僕は、それに当てはまる。
中野くんは小学生の時に知り合った友達で、小中と学校は同じだったが高校は別で、大学でまた一緒になった。同じ大学に通っているのを知ったのは、入学して一か月ほど経った頃だった。
彼は相変わらず人当たりがよく、誰とでも分け隔てなく話せるような雰囲気を漂わせている。小学生の時はもっと当たりが強かった気がするのだが、今はそうでもない。僕以外の人にどうかは知らないが。
「俺、気付いたら今週の予定バイトしか入ってなかったんだけど……。世の中ってそんなもん?」
「まあ……うん。そうかも」
歩きながら、中野くんの問いに適当に返す。ちなみに、中野くんが一体なんのバイトをしているのかはよく分からない。聞いても適当にはぐらかして教えてくれないから、もう聞く気はなかった。そんなに隠さないといけないような怪しいバイトでもしているのだろうかと気になるところではあるが、今のところ話してくれる気配は全くなく、それならそれで仕方がないと思うことにしている。
「この後もすぐ行くの?」
「いや、ちょっと微妙な時間かも。コンビニでも寄ろうかな」
どうやら、中野くんがバイト先に行くにはまだ少し時間が早いらしい。一度近くのコンビニに寄ることになり、僕たちは進路を変え歩みを進めた。特に何も変わりないよく通る道の横断歩道で止まり、ふと中野くんが後ろを見る。後ろに何かあるのかと思ったのもつかの間、車が止まりすぐに歩みを戻す。
「……後ろ、なにかいた?」
「うーん。いや、今は大丈夫」
今は、というのが少々引っかかるが、はぐらかしている時の中野くんは絶対に口を割らないことを僕は知っているため、それ以上のことは聞かなかった。……聞きたくなかった、というのが正しかったのかもしれないが。
◇
コンビニに居たのは、ものの数分だ。まあコンビニなんて余り長居をする場所ではないのだが、時間を潰すという目的としては少し薄かったに違いない。
「何買ったの?」
「飲み物だけ。原は?」
「コンビニは高いからなあ」
僕は今一人暮らしをしていることもあり、コンビニではあまり物は買わないことにしている。飲み物くらいなら買うこともあるけど、僕はもう帰るだけだし買う理由も特にない。お互いに、暇を持て余している事実は変わらなかった。この後の選択肢として、そのまま中野くんと別れるかどこかでまた時間を潰すかといったところだろうけど、夕方になる前の微妙な時間だし恐らくこのまま解散になるのだろう。そう思っていた時だ。
「……ひとついい?」
「うん、なに?」
中野くんは僕に何かを聞きたそうにしているが、肝心の質問が中々発せられなかった。その代わり、路地の角を何度かチラチラと気にしており、何かの確認を終えたのかうーんと唸りをみせる。
「あれって、原の知り合い?」
そう言うと、中野くんは身体はこちらに向けたまま視線だけを動かして方向を示した。おまけに、自分の身体で見えないよう控えめに後ろの方を指差している。仕方なく中野くんの指したほうを覗くと、建物の脇で僅かに顔を出してこちらを見ている、恐らく女性の姿があった。薄ぼんやりと見えるそれに少し集中してみるものの、中野くんの言う知り合いというわけではなかった。
「いや、知り合いではないけど……」
「大学出た後からだと思うけど、ずっと後ろつけてきてるんだよね」
少し不機嫌に、中野くんが言った。コンビニに行く前、中野くんが後ろを気にしていたのはこれが理由だったのだろうかという察しはすぐについた。仮に知り合いだったとして、まるで隠れ忍んでいるようにこちらを見ているのもおかしな話だし、僕に知り合いかどうか聞いてくるということは、どうやら中野くんの知り合いということでもないらしい。
「気にならない?」
気になるかどうかと言われれば全く気にならないというわけでもないが、偶然そこにいるだけかもしれないし、どうとも思わないというのが正直なところだった。まあ確かに、建物の影に隠れるようにしてるというのは変な話だとは思うけれど。
「でも、幽霊だったらよくあることだし……」
「いや全然ないけど!?」
僕が言うと中野くんは大層驚いた。まあ中野くんからしてみればそうかもしれないなと思いつつ、確かにここ暫く幽霊にあとをつけられるようなことは無かったから、そういう意味では不審に思う。
例えば、巷で噂の幽霊屋敷に面白半分で自ら足を踏み入れるようなことはまずしないし(幽霊が視える人はそういうところになんてわざわざ行かないし)、思い当たる節は本当になかった。無論、生きている誰かにあとをつけれられるようなこともしていない。……まあ、思い当たる節がないが故に後をつけられるということもあるだろうけれど。
「身の回りで、なんか変なことあったりしないの?」
「変? 変かあ……」
そう言われ、俺は一応考えた。しかし、やっぱり際立って大きな出来事も無かったこともあり答えに困る。
幽霊が後ろをついてくるというのは、僕からしてみればそういうこともあるよなと思う程度のものだ。その他些細なこともあるにはあるが……余りにも些細なことすぎて、わざわざ中野くんに言うようなことでもない。
「あ、居なくなった」
少し小難しいことを考えているうちに、どうやらとある女性は姿を消したらしい。だけど、中野くんは引き続き訝しげな顔をしたままだ。
「本当に知らないの?」
「うーん、知らない……とは思うけど」
「ふうん」
やっぱり納得がいっていないらしい中野くんだったが、僕が知らないと言う以上何かが進展するわけでもなく、難しい顔をしながらもこの話は比較的すぐに終わった。いつもならもう中野くんと別れている頃だろうに、結局中野くんとは最寄りの駅まで一緒に行くことになった。
コンビニから駅まで約五分、中野くんは僕の代わりに辺りを少し気にしていた。駅が見えてきた頃も、中野くんはまだ心配を重ねていた。僕はといえば、やけに用心深いなと非常にのんきに歩いている。こういうとき、家中の人間は割と冷静だったりするものだ。
「……家帰ったら、部屋荒らされたりとかされてない?」駅に着いて早々、中野くんがそんなことを言い出した。
「な、無いよ。多分」
中野くんの脅しは非常に単純だったが、恐らく今の僕にはちょうど良かった。まあ確かに、家に帰ったら椅子に置いてあったはずの荷物が床に落ちていたり、リモコンの位置が明らかに変わっていたり、さっきまでテーブルに置いてあった物が無くなるということはわりとよくあるけれど、それは今回のこととは別に関係のないことである。
逃げるようにして中野くんに別れを告げ、僕は改札に入る。中野くんは駅には入らず、結局歩いてきた道を引き返していった。
◇
中野くんと別れてから暫く、特に何かがあるわけでもなく暫く電車に揺れ、ようやく静かな街へと帰ってこれた。
僕が今住んでいる家は四階建てのマンションで、駅から二十分と少し歩く場所にある。決して便利とは言い難いけど、駅周辺の騒がしい雰囲気とは違って落ち着いた住宅街で、個人的にはそこが好みだ。とはいえ、今の僕はどこか落ち着きがなかった。中野くんが別れる前に余計なことを言うもんだから、余計なことを色々と考えてしまっていたのだ。さて、家に帰って何もなければいいが……。
カラスの声が、少し後ろの高い所から聞こえてくる。その声に、僕は思わず空を見上げた。どうやらこの辺りを根城にしているらしいカラスが一声上げたらしく、僕の近くに降りてこようとしているらしかった。
「あ、カラスくん。こんにちは」家の塀に降り立ったカラスと目が合い、思わずカラスにそう言った。
一言挨拶をしてみると、カラスは数回鳴いて何かを訴えているらしかった。どうやら僕に何かを言いたいらしいというのは分かったが、それ以上のことは何も得ることができない。こういう時、動物と喋れることが出来るか、或いは動物と喋れる人物が隣にいたらいいのだけれど。
「明日はゴミの日だけど、別に何もあげないよ?」
僕が言うと、カラスはまた数回鳴いてさっさと飛び立っていった。なにか文句を言われたような気がするが……きっと気のせいだろう。
この周辺、ゴミの日になると現れるカラスがいる。当然ゴミ置き場にはネットが置いてあり、カラスが簡単にゴミを漁れないようになっているのだが、隙あらばと狙っているのか、必ず一羽は待ち構えているのだ。毎回いるもんだから会うたびに声をかけていたら、向こうもどうやら僕を認識したようで、僕を見かけるとああして現れるようになっていた。……といっても、本当に同じカラスだという証拠はどこにもないのだけれど。
◇
ようやくマンションに着き、玄関へ入る。いつもなら何てことないはずなのに、今日はやはり、落ち着かない。一度気持ちをなかったことにしようと、郵便受けを確認した。すると何かが入っているのが見え、僕は手を入れて郵便受けからそれを出す。
(手紙か……)
中に入っていたのは、住所や名前も書かれていない封筒だった。黄みがかった色で控えめな装飾が施されているそれには切手が貼られておらず、明らかに誰かが故意に入れたものであるというのがすぐに分かった。一見地味にも見えるが雰囲気が上品で、封筒に余り詳しくない僕でも、それなりの値段で売られているものなのだろうというのが伺える。
封筒を見た時点で何が来たのかは分かっていたのだが、それでも一応封を開け、折りたたまれた一枚紙を手に取った。封筒と同じ柄が描かれた紙が、これがレターセットであるということを証明する。そして中身を見てすぐ、ため息が出た。本当はその辺に捨ててしまいたい気分だが、それで恨まれたらたまったもんじゃない。仕方なく一度、家に持ち帰るしかないだろう。
(……幽霊も手紙って送れるのかな)
何も書かれていない手紙が僕のところに届くのは、何もこれが最初ではない。