最終話:静かに変わりゆくこと

 いつもの落ち着いた静けさは、なんだか久しぶりな気がした。客人がいなくなってしまっては、もう私たちがすることなんてあるわけがなく、暇な時間をただただ過ごすだけとなる。それはとある人にとっては拷問のような時間となるだろうが、さて私たちの場合はどうだろうか?

「なんか疲れましたね」
「それはよかった」
「いや全然よくないんですけど!?」

 私は支配人の部屋のソファーで暇をつぶしていた。いつものことだから支配人は別に何も言わないし、支配人はさっきまでの出来事なんてお構いなしに既に自分の世界を創り上げていた。支配人はいつも言葉を紙に記しており、それを辞めたことは数えるくらいしかない。
 その書いたものを見せてくれるかどうかは支配人次第だが、頼み込めば大抵のものは見せてくれる。というか、こちらが見せてと言わない限り見せてはくれない人だからそうするしか方法がないのだけれど。
 ペンを走らせながら、支配人は更に言葉を続ける。

「大体、暇だと言っていたのはキミじゃないか」
「確かに暇とは言いましたけど……誰も大勢で来いとは言ってません」
「たかだか三人来たくらいで大げさだよ」
「いや、三人一気に来るなんて今までなかったじゃないですか」

 そう。今回のことは特にイレギュラーだった。そもそもここに人が来るということ自体がそうないことであり、しかも三人となれば当然疲れるに決まっている。ここに来た全員が知り合いとなれば余計だ。気を遣わなければならないことが増えるだけで、楽しいことなんて一つもない(誰が来ても余り楽しくは無いのだけれど)。

「三人でも一人でも、どうせキミは疲れたと言うんだろう」
「そりゃあ、人数に関わらず疲れるもんは疲れますよ」

 今回に限ったことではないけれど、暫くはもう誰も来ないでくれと思うくらいには疲れていた。ここの設定を保つのも、なるべく波風が立たないように気を回さなければならないのも私がここに居る為に必要なことだし、それを私は望んでいたけれど、それをやりを得た後は誰だって疲れるに決まってる。平然と自分の趣味に戻ろうとしている支配人の方がおかしいのだ。

「そうやって言う割には、今回は一段と頑張っているようにワタシは見えたけどね」少し間を置いて、支配人はそんなことを言った。
 私の何を見てそんなことを言ったのかと、嫌な顔をした自覚はあった。

「そういう約束なので、やることはやりますよ」

 支配人が当てずっぽうでものを言うはずがないということは知っているが、こういう時には惚けるくらいのことしか出来ないのは仕方がない。
 話がひと段落したかと言ったところ、扉の開く音に私は注目した。ここに来るのはあと一人くらいしかいないから、別にわざわざ確認する必要も無いのだけれど。

「あ、掃除終わりました?」
「……そうですね」

 掃除士さんはそれだけ言うと、私の座っているソファーの向かいに腰をかけた。腰をかけたどころかそのまま寝てしまいそうな勢いだった。いつものことだから私は特別気にならなかったが、支配人は少し引っかかることがあるようだった。

「寝るなら自分の部屋に行ったらどうだい。大体キミ、客人が来る時くらいは気を付けてくれとあれだけ言ってあっただろう。屋上ならまだしも、廊下で寝ていたそうじゃないか」
「…………そうですね」

 適当に返事をするにも程があるが、この人の図太さは見習いたいところだ。掃除士さんの意識は既に半分どこかに行ってしまっているらしいく、それ以上の言葉は返ってこなかった。それはまるで、神崎さんの時のそれとよく似ている。
 掃除士さんの態度に支配人が多少げんなりとしているのを見てから、私は仕方なく再び話を戻すことにした。

「また暇になりますね」
「……どうかな」

 あからさまに「果たして本当にそうだろうかと」言いたげなそれに、私は思わず反応を返した。これに反応を示さないのは掃除士さんくらいのものである。

「なんですかそれ。どういう意味ですか?」
「どうもこうも、そのままの意味だよ」

 そう言うと、支配人は机に広げていた名簿を閉じた。

「まあ、杞憂かもしれないけれど」
「え、怖い……やめてくださいよそういうの」
「ははは」

 その様子を見るに、恐らくはまだ解決していないものがあるのだろうと推察するが、だからといって詮索をする気は余りなかった。
 詮索をしたところでろくなことにはならないということは知っているし、もし何かが起こるのだとしても、先回りして出来ることと言えばあらゆる選択肢を考えるということくらいで、それは私にとってはただの暇つぶしに過ぎない。だから疲れている今、別に率先して何かを知る必要もないのだと思ったのだ。
 笑って誤魔化す支配人ほど、怖いものはないというのに。

何もない部屋