最終話:静かに変わりゆくこと

 拓真が退院したのは、秋も半ばの頃だった。拓真が目を覚ましたと連絡があった後すぐにおれは病院に向かった。例えば橋下君の話とか、雅間さんの話とか、公園で会った奇妙な話とか言わなければならないことが沢山あるはずなのだが、言葉にするのもままならず、拓真もそれを感じていたのかお互いに特定の話は避け続けていた。
 雅間さんについてだが、拓真の目が覚めた後おれが再び事故があった場所に行った時、雅間さんはもうそこにはいなかった。そこはもう、事故の形跡だけが取り残されたただの一般道に違いなかった。おれは雅間さんと「拓真を連れてくる」と約束をしたのだが、そうする前に彼女の方から消えてしまっていたわけだ。
 誰かが雅間さんを消した……というのは、可能性がないわけではないのだけれど……。どちらかと言うと、雅間さんが心変わりをしたというのが自然なのかもしれない。どれも憶測で、真偽は分からない。
 一応、雅間さんについては少しだけ話をしようとしたのだが、拓真は雅間さんには余り会いたそうではなかったから、そのことについては口にしていない(おれと雅間さんが接触したことも言っていない)。拓真はとても勘が鋭いから、既に気付いているのかもしれないが。
 数ある異変の中で、どうしてもおれの中で消化できない物事がひとつだけある。本当はそれも含めて話をした方がいいんじゃないかと思いつつ、それでもあえて口に出したりはしなかった。

「最近、曲聞いてること増えたよね」

 おれが知らなかっただけかもしれないが、拓真が曲を聴いているところを余り見たことが無かったのだが、ここ最近イヤホンを付けている頻度が上がっているように思う。例えば、これまでだったら登下校中に偶然あってもイヤホンなんて付けていなかったのに、最近は声をかけるとイヤホンを外す仕草をよくしていた。

「何聴いてるの?」
「別に……なんだっていいだろ」

 そして、一体何を聴いているのかを教えてはくれないのだ。
 ワイヤレスイヤホンを上着のポケットに入れながら、拓真は少々面倒くさそうにおれに言った。

「そんなに人に言いたくないようなもの聴いてるんだ」
「誤解を生むようなこと言うなよ……」

 そのせいもあってか、元々少なかった拓真の口数は更に減ったように思う。それがどういうわけか、微かに誰かを思い浮かばせるものであるということなんて、恐らく拓真は意識すらしていない。それが本来正しくて、おれが考えすぎているだけだから、下手をしたら喧嘩になりそうな余計なことなんて口にはしない。
 どことなくとある彼を思い出すとはいえ、おれといる時にわざわざ曲を聴くようなことは拓真だってしないし、彼だってそういう姿は見たことがない。だけれど、どういうわけかそう感じてしまうのだ。
 相谷君について補足しておくが、彼が前に住んでいた家で遺体となって発見された。拓真の目が覚めてから少ししてからのことで、誰かに首を絞められたのだと村田という刑事から直接聞いた。何故刑事がおれらのところに来たのかというのは……なんというか、あの時四人で撮ったあれが関係している。村田さんは相谷君に会ったことがあるようで、色々と複雑な思いをしているのが伺えた。
 ちなみに相谷君を見つけたのは村田さんと一緒に来た池内という人のようで、彼曰く「人の仕業ではないから解決には至らないのではないか」ということらしく、言う通り今のところ進展があったという連絡はない。そんな話を刑事が普通にしてくるというのはおかしな話だが、池内さんはおれをそういう話をしても差支えがないと思ったから話をしただけで、少なくとも警察内でそういう話は一切していないし、それ以上でも以下でもないと言っていた。ああいう組織の中で池内さんみたいな人が居るというのは少々驚いたが、池内さんは余り気にしていないようだった。村田さんは少し焦っていたけれど。
 少しだけ相谷君についての話もしたが、何を話したのか正直余り覚えていない。覚えていないというより、何かを喋れるほど親しかったかというと疑問で、実のある話はそんなにしていないというのが正しいだろう。それでも村田さんは、相谷君が一人じゃなくて良かったといった旨のことを口にしていて、それが非常に申し訳なくなった。仮に一人じゃなかったとして、今ここに彼が居ないのであればそれは何も意味を持たない時間であったに違いない。
 村田さんから貰った名刺は一応財布の中に入っているが、出来ればもう二度とこれを見ることがないようにと願うばかりだ。

(……また見てる)

 ある時から、拓真は人が全くいないどこかを見ることが増えた。単純に何かを考えているとかぼうっとしているとか、拓真なら別にあり得るのだがそういうことではなく、人が全くいないどこかを見るというのは、俺が一番よく知っているひとつの事象だ。
 拓真がイヤホンを付けるようになった理由はきっと聞いても教えてくれないだろうし、別に曲を聴くこと自体どうとは思っていない。だけれど、もし自身の気を紛らわす為のそれだとするなら、おれの方から声をかけるべきなのかもしれない。でも、それもどうなのだろうと考える。

「な、なんだよ……」何かを感じ取ったのか、拓真がそんなことを言った。
「いや、別に」

 この時、一言「もしかして、幽霊視えてる?」と言ってしまえば楽なのかもしれないが、それを本当に言ってしまっていいのだろうかと、無駄な気の使い方をしていた。
 おれが幽霊が視えるというのは拓真は知っているはずだし、それなら隠していたってバレるものなのだから既に知っていたって不思議じゃないのに、拓真からその話をしないということは余り聞かない方がいいのかもしれないと思った。……というのもあるのだが。

「そろそろ涼しくなってきたね」
「……まあな」

 今はこれ以上悩み事を増やすのはごめんだというのが、心の根底にあったのかもしれない。

何もない部屋