柳 祥吾という人物が消えようとしていた時、恐らくおれは誰かの言う逝邪という存在を視たのだと思う。視ただけですぐにどこかに行ってしまったけれど、中条さんが「公園に来る前にあの人に会った」と言っていたし、その人が公園におれがいることを教えてくれたらしかったので、断定しても差支えは無いだろう。
あの後、結局柳さんは跡形も無く消えてしまって(辺りを少し探ってみたけど、結局見つけることは出来なかった)、何となく消化不良のままおれは中条さんを家まで送った。聞きたいことだってもっとあったような気がしているのだが、一体何を聞きたかったのかも、もうあまり覚えていない。
「先輩は、大丈夫なんですか……?」
静かに道を歩いていたのだか、中条さんがふと、そんなことを口にする。
「大丈夫だよ」
反射的にそう答えてしまったのを少し後悔したが、別におれ自身に何かあった訳ではないし妥当な回答のように思う。
「おれは何も出来ないし、してないから」
それに、ここまで俺だけが何も被害にあっておらず、かつ何もしていない。それなのに……いや、だからこそと言うべきか、今は独りだ。
「でも先輩は、私のこと助けてくれましたよ……?」
そんなことあっただろうかと、薄情なおれは素直にそう思った。
数秒考えてようやく思い出したのだが、確かに一度中条さんのところに駆けつけたことはあった。あの出来事がおれにとっては考えないと出て来ない程度のものだというわけではない。決してそうではないのだけど……。
「でもそれも、きっとおれのせいなんだと思うんだよね」
この時、言わなくてといいことを言ってしまっていたのを分かっていながら、一度口にしてしまった感情は口を閉ざしただけでは収まらなかった。
「もう少し話を聞くことが出来たら、こんなんじゃなくて、もっと違う今があっただろうなってそう思う」
きっと中条さんは何の話をしているのかまるで分からないだろうが、それでもおれの話に口を挟むことはしなかった。全く聞いていないだけかもしれないが、まあそれでもいいだろう。
「どうせなら中条さんには、幽霊とか関係なく会いたかったな。平和でさ、そのほうがいいよね」
などと言ってみたものの、三年生と一年生がいた知り合いになるなんて部活くらいでしかないだろうし、あれくらいのことがない限りはきっと中条さんと会うことは無かったのではないかと思う。
幽霊という単語で繋がっていないのは相谷君くらいだけど、その相谷君を連れてきたのは橋下君で、さらに言えば拓真と親しくなることも無いということだろう。
……誰も関わりを持ちたくないとまでは言っていないのに、一つの接点を無くそうとするだけで全部終わってしまうのかと、何故だか少し、笑えてしまう話だ。
「それは少し、嫌です……」
もしもの話を、この時の中条さんはとても嫌がった。
「……どうして?」
「ど、どうしても!」
両手の指を落ち着きなく触っているのは、恐らく言葉を探しているからなのだろう。
彼女は足を止めたが、おれの方は見ずに自分の手ばかりを見ていた。
「どうしても私は、先輩に会いたいから……」
彼女はそう言うと、一瞬で顔を真っ赤に染めた。「いや、えっと……」などと言葉にならないものを幾つか口にし、ついには黙ってしまう。
(……こういう感情は、何ていうんだろう)
中条さんと別れた時、きっともう中条さんに会うことは無いのだろうなと、そう思っていた。それで良いだろうとも思っていた。これは別に普通の行動だと思う。誰だって他人を簡単に巻き込みたくはないはずだ。
「や、やっぱり……私じゃあ、先輩のお役には立てないですねっ!」
忘れてください。忘れましょうと、まるで自分に言い聞かせるように彼女はそう言った。
もし彼女の言うように、何もなかったかのようにおれが振る舞ったら、本当にこれで終わってしまうのだろう。おれは今年で卒業するし、人の関係なんてそんなものだ。
「ひとつ、あるかも」
なのだけれど、正直言って我慢が欠けていた節があるのは否めない。
「……今度、映画観ようかなと思ってたんだけど一緒に行く?」
これまでとは違う緊張感が、何故だか全身に走ったような気がした。言いながら、さてどうしようかと考えなければならないのは嘘を付いている証拠だ。
「知り合いは暫く誘えなさそうだし、興味無さそうだったから一人で行こうかなと思ってたんだよね」
この情報は半分嘘で、もう半分は本当だ。別にここ最近知り合い(この場合は拓真ということにしておく)に映画の話をしたことはないし元々一人で行こうと思ってはいた。でもこんなタイミングで映画に行くだなんて言葉が出てくるだなんて、どういう神経をしているのだろうかと自分を疑う。それに、これじゃあまるで……。
「いやでも、おれ中条さんの趣味ってよく知らないな……。ごめん間違え――」
「わ、私も観に行こうかなって思ってました! 行きたいです!」
「そ、そう? なら良かった」
おれはまだ映画のタイトルもどういうジャンルの映画かという話もまだひとつもしていないのにそんなことを言うもんだから、おれはそれ以上余計なことを言うのを止めた。その辺りを突っ込んでもよかったのだけど、まあきっと、本当に映画を観たかったのだろう。多分。そういうことにしておくのがお互いに都合が良さそうだった。
そもそもおれは中条さんのことを余り知らない気がするのだが、もし本当に互いの趣味趣向が似たよったものであるのなら、少なからず今日よりはマシな時間が送れるのではないかと、そんな淡い期待は出来るだけ心の底に沈めたまま。
「中条さんは、映画は好き?」
おれはきっと、今日までに起きた事柄のことをずっと考え、苛まれるのだろうとそう思う。