46話:全ての想いを口には出来ない

 相谷らが居なくなってすぐ、この場所にため息が落ちたのは残された俺のせいに違いなかった。
 ずっと気を張っていたのだろう。自然としゃがみ込み、下を向いてばかりだった。
 酷い奴だと言われたら俺は受け入れるが、どうしてか心の何処かで安堵しているような気がして、尚更顔を上げることが出来なかった。

「聞きたいことは聞けたかい?」

 真上から覆い被さるように聞こえてくる声は、とても流暢だった。
 そんなことを聞いてくる支配人とかいう奴は、本当に心底意地が悪くてムカつく。状況が違っていたら文句の一つも言っていただろう。でも、そんなことを言える余裕が今の俺にあるわけがなく。

「……聞けるわけないだろ」

 そんな一言だけが、唯一の抵抗となった。
 俺がここに来たのは紛れもなく偶然だが、その中で、俺は果たして何か気の利いた言葉一つでも言うことが出来ていただろうか? 別に無理をして何かを繕う必要は無いのだろうが、こういう時でさえ、俺はそういうことができない奴なのだということを見せつけられているような、そんな気がした。
 というか、こんな最後とも言える場所で何か踏み込んだ話をしようもんなら、下手をしたら相手の地雷を踏む可能性だってあるし、その結果本当に喧嘩別れをするなんてことにもなりかねない。どちらかと言えば、俺はそうなるほうが嫌だったのだ。だからこうなることは当然の結果で、こうなることを俺が選んだのだけれど、だからこそやるせなかった。

「感傷に浸っているところ悪いんだけれどね、キミの気が変わらないうちに帰ってほしいのだけれど、どうだろうか」

 一言帰れと言えば良いのに、どうしてわざわざ質問として聞いてくるのだろうと、今の状況も相まってなんだかむしゃくしゃした。
 俺がここに来たときから帰ってほしそうにしていたが、もし俺の気が変わって帰りたくないなどと言った場合、この人はそれを受け入れるのだろうか? さっきあいつらには無理矢理押し込むと言っていたし、到底居座らせてくれるとは思えない。
 ……まあ、別にここに居る理由ももう無いのだけれど。

「ここで起きたことは、忘れるのか……?」
「そこまではワタシにも分からないな。個人的には、忘れた方が後の人生は生きやすいと思うけれどね」

 支配人の言いたいことは、分からないでもなかった。ここのことを知らない、またはここで知った情報は覚えていないほうが自然であり、知らないほうが良いことだってあるということだろう。
 しかし、俺に限ってはどうだろう。少し考えてみたが、どちらが正解なのかよく分からなかった。

「まあ、それは戻ってからのお楽しみということだね」

 楽しみもクソもあるかと思ったが、悪態をつく気にはなれなかった。
 ふと、相谷が渡してきた音楽プレイヤーに目をやった。まだ充電が残っていたのか、側面のボタンに触れると画面がついた。相谷は電池が無くなったと言っていたが……。
 少し躊躇したものの、俺は残されたそれを少しだけ操作した。人の携帯を勝手に操作しているときもこういう気持ちなのかもしれないと思うともう二度とこんなことをする気にはなれないが、今日に限ってはもう手遅れだった。
 メニューにある全曲という項目を選択し開いた時に、俺は驚いた。どんなに曲を並べても、そこに日本語は書かれていなかった。洋楽しか入っていなかったのだ。

「好きだったんですかね、異国の曲が」

 支配人ではない声が聞こえてきたが、それを気にする余裕はなかった。
 もしこのことをもっと早くに知っていれば、また少し別の話が聞けたかもしれないし、ここに書かれている曲や歌手についての話をすることも出来ただろうと思う。これは決して思い上がりなどではなく、俺ならそれが出来たのだ。

(もっと早く知りたかったな……)

 ふと、プレイヤーの背面に何かひっかかりがあるのを感じた。これ以上のことはないだろうと思ったのだか、一応ひっくり返してみることにする。――そして俺は、これを見たことを恐らく僅かながらも後悔したのではないかと、そう思う。
 それはいつだったか、橋下に強引に連れられた時に四人で撮った……例のあれが、プレイヤーの背面に貼られていたのだ。

「やっぱり、仲良かったんじゃないですか」

 誰かが口にしたその言葉は、胸に刺さるものがあった。……あれが仲が良いと言えるものだったのか、正直俺は自信がない。答え合わせが出来ないものを、胸を張ってそうだと口に出来るほど馬鹿にはなれない。

「……忘れるのは、御免だ」

 言いながら、やっぱり知らないほうが良かったのだろうかとも思う。何も知らなければ、もう少しどうにか出来ていたかもしれないなどということを端から考えることはなかったはずだ。
 でも出来ることなら、ここで起きたことだけではなくこれまでのことも全てを覚えていられれば良いのにと、矛盾が孕んでいることをガラにもなく何かに願ってしまうのだ。

何もない部屋